享年28日

米騒動

第1話

 春に地元の大学に進学し、半年が経った。


 怠惰な夏休みが明け、憂鬱な後期日程が始まり、木々が木の葉に色を付け始めている今日この頃。


 前学期はバイトも部活も課外活動もせず家に引きこもり、無為な時間を過ごしたと自覚している。せめてバイトぐらいしないと人間が腐ると思い、私は毎日学校の学食に貼られるバイト募集の広告とにらめっこしていた。


 しかし、いつまで経っても地に足はつかなかった。そこで気づく。私の怠け癖が自分の気づかないうちに救いようのほど進行していることに。


 そしていつも通りの夕食している際、唐突に母がこんな話をした。


 母の妹で私の叔母にあたる人物が、私の通う大学の近くにある教会の神父と知り合いらしく、どうやらその神父は一人バイトを募集しているらしいというのだ。しかも週一で日曜日のみ。時給1000円。どうだ、やってみないか?、と。


 コミュニケーション能力は人並み以下で、週二日も働く体力はない私にはピッタリのバイト先だと思った。


 私は仕事の内容も聴かずに即了承した。




 日曜日になった。


 バイト開始の10時前に到着するため、少し早く家を出た。いつもは立ち止まる大学の校門を通り過ぎる。大学は休日なだけあって全く人の気配はなかった。


 スマホを取り出し、知らない道に入る。


 家々で日差しが遮られねっとりとした暗い道を抜けると、小さな木造の教会が現れた。


 斗南カトリック教会。


 教会は周りの建物とは場違いなほど白く、一直線の道の両脇にはイチョウの木が植えられ、道には落ち葉が溢れていた。屋根の上には白い十字架が立っていて、扉の上に大きい正方形の窓がひとつあって、その横に縦長方形の窓がふたつずつ。


 時計を確認する。


 9時45分。よし、頃合いだ。


 乾いた落ち葉を踏みしめ、パリッという音が耳に響く。


 自分の二倍ほど大きい茶色の扉の前に立つ。


 密かに深呼吸。大きく目を見開いて扉を開ける。


 手に伝わるずしりとした重い感触を受けながら扉はギシギシと鈍い音を響かせながら開くと、まず飛び込んできたのは正面のステンドグラスから漏れる真っ白な光だった。


 眩しさで目を細める。数秒ほどで目が慣れると、教会の内装が目に入る。


 結婚式場で使われる教会のイメージと重なった。


 結婚式の参列者が座る茶色の長椅子が両脇を固め、道の先には質素ながら荘厳な祭壇がある。祭壇には学校の教室にある教卓を少し立派に西洋風に変えただけのように思える台があって、ここで神父が結婚する男女へ誓の言葉を述べるのだろう。


 祭壇の後方の真上には十字架が建てつけてあった。床や壁は茶色をベースにしてあり、祭壇側の壁だけが白く塗られている。


 小さな教会で壮大な結婚式には合わないだろうとは思ったが、赤い絨毯を敷けばそれなりに格好はつくだろうと思った。


 辺りを見回す。


 誰もいない。


 自分一人だけの教会はどこまでも静謐で、ここに居るだけで自分がどこか異国に迷い込んでしまったのではないかと思わされる。


 数分経つと教会奥のドアから修道服を着た中年の女性が現れた。奥のドアは色で壁と同化しており、開けられるまでそこにドアがあることなんて気づきもしなかった。


 女性は鷹揚な口調で言う。




「バイトさん?」


「は、はい!今日、叔母の紹介で来ました○○と申します」




 虚をつかれ慌てながら準備してきた言葉を喋る。動揺が表に出なかったか心配したが、女性は気にした素振りもなしに淡々と話す。




「よかったわ。今日神父さん家の用事で休みなのね」


「はぁ」


「それじゃあ早速説明するわね。ちょっといらっしゃい」




 女性は元来た扉を開き、私を手招きする。


 女性の後ろをついて行くと客間と書かれた部屋に通された。客間には背の低いガラスの机を挟んでソファーがあってお茶でも出してもてなして貰えるのかと思ったが違った。客間の一方のソファーの後ろには本棚があってその横にまた扉があった。


 女性はその扉を開けて私を招き入れた。


 部屋は狭かった。


 四畳間ほどの部屋に背もたれのある椅子がひとつ。


 四方は壁に囲まれているのだが、椅子の前には手の置き場らしい机があった。


そして、特に目を引いたのは椅子の目の前に窓があってそれはカーテンで閉められて窓の外を見れないようになっていることだった。


 まるで刑事ドラマで見る刑務所の面会室みたいだ、と思う。




「この部屋は?」


「ここのひとつ前の部屋に『告解室』って書いてある部屋あったでしょ?」




 見たような見てないような。




「はい」


「ここがその告解室。ちなみに告解室って知ってる?知らないよね」


「はい」




 知るわけがない。




「一般的に懺悔室って言えばイメージつきやすいかな?」




 懺悔室なら知ってる。自分の罪を顔の見えない神父に向かって話すやつだ。一気に腑に落ちた。




「これから貴方にはここで懺悔しに来た人の話を聴いて、お決まりの言葉を返すという仕事をしてもらいます」




 疑問。




「はい……でもそれって神父様じゃないとダメなんじゃ」


「大丈夫。ここで懺悔をしに来る人は神父じゃなくて神に対して懺悔をしに来てるんだから間に立つのは神父じゃなくてもいいでしょ。それにちゃんと喋る手順プリントにしておいたから心配しないで」




 女性から椅子に置かれた透明なクリアファイルを手渡される。クリアファイルには『ゆるしの秘跡の手順』と題された紙が一枚入っていた。




「このゆるしの秘跡とはなんでしょうか?」




 女性は薄く目を閉じる。




「告解室で自身の罪を話すことをゆるしの秘跡と言うんです。信者は自身の罪を神に告白することで赦しを頂くのです」


「なるほど」




 楽じゃないか。これが第一印象だった。


 プリントを見る限り、自分が喋るのはほんの一言二言だけだった。これで時給1000円が申し訳なく思えるほどだ。




「今日は特に誰も来ないと思うからどんと構えててちょうだい」


「は、はい」




 女性は部屋を出ようとノブに手をかけると固まって突然振り返る。




「言い忘れてた。もし話を聴いたら誰にもそれを喋らないで欲しいの。守秘義務があるの」




守秘義務……




「それは大小関係なく、ですか?」




 女性は顔を引き締める。




「関係なく」




 強い語気だった。




「分かりました」


「心配しないでも来る人は信者さんばっかりだから重い話はないよ。せいぜい誰かと喧嘩したとか、食べ物粗末にしたとかその程度よ。じゃあ12時のお昼休憩になったらまた来るから」




 そう言って女性は部屋を出て行った。


 再び部屋に一人になる。


 なんとなく部屋全体を見回してから椅子に座る。最初は責任感から何もせず座っていたが、そのちっぽけな責任感はものの数分で事切れて私はスマホゲームにいそしんだ。


 一時間ほど経ってスマホゲームにも飽きてきた。退屈がこれ程苦痛だとも思わなかった。身体でも動かそうと立ち上がった瞬間、扉をノックする音が聞こえてきた。後ろのドアかと思ったが、聞こえた方向は間違いなく前の方向だった。


 来客だ。


 私は急いで居住まいを正して椅子に座る。


 神父っぽさを出そうと、できる限りの低い声を出した。




「どうぞ」




 ドアの開く音とカツンというハイヒールの音がした。女性だ、と思う。


 少し緊張した。


 ハイヒールの音が止み、女性が椅子に座ったようだった。




「あ、あの……」




 若い女性の声がした。声に若さはあったが、どこか元気がなくハリのない声だった。


紙には軽い挨拶を交わすとあった。




「懺悔をしに来られたのですよね」


「は、はい」




 自信のない声。少し震えてさえいる。


 相手の緊張がカーテン越しに伝わってくるようだった。




「では、」




 紙に書いてあることをそのまま復唱する。




「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。」




 少し間を置いて、




「改心を呼びかけておられる神の声に心を開いてください。イエス・キリスト慈しみに信頼して、あなたの罪を告白してください」


「あの……」




 女性が疑問を口にするように切り出す。




「なんでしょうか」


「今から話すことは本当に誰にも知られないんですよね?」




 守秘義務のことだ。


 この人は知られることを怖がっているのだろうか?


 そう考えると今から聴く話が、修道女の言っていた軽い話ではないような気がしてきた。




「はい、私には守秘義務がございます。ここは貴方が神に向けて告白する場です。私のことはどうかお気になさらないでください」


「監視カメラもないんですよね?」




 疑り深い人だ。監視カメラは確認してないが、ないだろう。たぶん。




「ございません」




 若い女性はようやく安心したのか深呼吸して、




「分かりました」




その内容を語り始めた。








 少し長い話になりますがよろしいでしょうか?ありがとうございます。まずは私の生い立ちから説明しなければいけません。あっ、ちなみに私は30歳のバツイチです。ここのところ誰とも話していなかったので聴きにくいところがあるかもしれませんが、ご了承ください。


私はここ一帯の土地を占める地主の次女として生を受けました。家族には既に他界した祖父を除いて祖母と父母、一人の姉と二人の弟がいました。


 運がよかったと思います。私は幼い頃から親から目一杯の愛情を受けて育ち、習い事もいくつも掛け持っていました。姉弟仲も良好で、喧嘩のケの字もないような家庭でした。


 小学校に入学した頃、私は既に他の家庭の子と自分は違うことを自覚しておりました。スポーツ、勉強、芸術、委員会活動、どれを取っても私は上位であり、同世代の子ひいては教師からも尊敬と信頼を集めていました。これは自慢に聴こえるかもしれませんが、むしろ自虐でもあります。


 永遠に続くかと思われた小学校も卒業し中学に入りました。中学に入ってからも私は変わらず皆の人望を集めていました。


 幼い頃から学習塾に通わせてもらっていたので、高校も難なく地元の一番偏差値の高い学校に入りました。


 今思ってみると歯車が狂いだしたのはおそらくここからだと思われます。地元で一番の高校なので、他の中学から選りすぐりの優秀な人が集まってきます。中には当然、私よりも勉強のできる人は沢山いました。ここまでの人生で自分よりも優秀な同世代の人間を見てこなかった私にとって、それは相当ショッキングな出来事でした。高校に入ってからも私は努力を重ねました。日本一の大学に入学して、また一番になるんだと信じて疑いませんでした。しかし、現実は非情なもので私の成績は停滞し結局東京の私立大学に入学することになりました。才能がなかったのでしょうね。姉は私よりも素晴らしい国立大学に合格していました。姉と比べて落ちぶれた私を見る両親の哀れみの目を今でも鮮明に覚えております。


 大学での日々は楽しい毎日でした。なんと言っても花の女子大生ですし顔も悪くなかった私は周りの人にチヤホヤされました。それは中学生以来の感覚でとても気持ちの良いものでしたが、頭の中には常に靄のような不安があり安心して熟睡できる日はほとんどありませんでした。おそらく、大学受験でのコンプレックスがついてまわっていたのだと思います。そんな私はある日方向転換を試みます。あの頃の女子大生のランクというのは付き合う彼氏のレベルで優劣が決まっているところがあり、私はお金持ちでイケメンの彼氏と付き合ってやろうと意気込み、合コンを数多くこなしクラブに入り浸りました。そのおかげもあって、私には素晴らしい彼氏が出来ました。その彼の父親は有名企業の社長さんでした。彼は金持ちではありましたがそれを鼻にかけない性格で頭脳も明晰で正に理想の人物でした。白馬に乗った王子様だと見紛うほどの彼でしたが、私の靄は晴れることはありませんでした。そこで気が付きました。優秀な彼氏を持つことで周囲からの尊敬は集めることは出来ましたが、その彼を失ったら?そこに残るのは馬鹿でプライドだけが青天井まで昇った皺くちゃで汚い私だけが残るのです。


 私はまた振り出しに戻りました。靄の中を歩いて街を徘徊していますと、廃業になった工場までたどり着きました。気づいたら夜になっていました。帰ろうと思いながらも、寂れた工場と自分を重ね合わせると自然とそこは心地の良い空間になっていました。彼と同棲している高層マンションでもこんなに落ち着いていられたことはありませんでした。しばらくそこで呆けていると生き物の声がしてきました。その声の元に行くと、野良猫たちが群れを作っていました。その中に仲間はずれにされた可哀想な猫がいました。私はその猫を抱きしめました。その猫は私への警戒心を解いたようで、私から逃げることはありませんでした。私と猫は友達になりました。女の子と仲良く話す時よりも、猫と一緒にいる方が心は満たされました。私は猫と綺麗な夜景を観ようと思って、廃工場の高い場所へ高い場所へと入って行きました。立ち入り禁止と書かれたところも無視しました。ミシミシと嫌な音を階段はしていましたが、私は怖くありませんでした。猫が一緒にいたからです。ついに頂上まで登りつめました。地上からは50メートルほど距離がありました。冷たい夜風に当てられながら私と猫は夜景に見蕩れました。その時、私は充足感に満たされていました。もうこのまま死んでもいいとまで思いました。その瞬間、




 私は猫を落としました。




 下からは何も音は聞こえませんでした。風が強かったのを覚えています。私は下に降りて確認すると、血溜まりの中にぐちゃぐちゃに原型を留めない猫らしきものの姿を確認しました。その瞬間、私は人生で初めての感覚を覚えました。これが幸福なのだ、と。それからも私は夜中に廃工場に行くようになりました。行くといっても彼氏に勘づかれてはいけないので、彼氏が夜いない日に限って行くようにしていました。彼氏も、私が見るからに元気になっていく様子を見てとても喜んでいました。廃工場でのやることは決まっていました。猫缶で一匹の猫を餌付けして、その猫を縄で縛って拘束します。猫が暴れて無理な場合はビニール袋に詰めます。でも、直に感触が伝わらないので、ビニール袋は好きではありませんでした。その後は、いつもと同じ。屋上から、ポイっと。その度に私は生と死の狭間に立っている気がして、最上の悦びを感じるようになっていました。周囲からは模範的な人物として、常識的な行動を強いられてきた私にとって、それはとても価値のある行為でした。


 いつしか、私も結婚して一児の母となります。子供は女の子でした。不思議な感覚でした。自分からもう一人の人間が産まれてきて、それが自分とそっくりに育つと考えると、吐き気を催しました。病院のベッドで私は子供を抱いて、その横で夫が涙を流して喜んでいるのです。普通ならそれが人生の最上の喜びとなるのでしょうが、私はどこか遠くからその光景を眺めていて、どうしようもなく冷静なのです。


 ちょっと喉が渇きましたね。すいません。


 話の続きをします。と言っても、もうすぐです。


 赤ちゃんは生後28日目を迎えました。夫は仕事の都合で帰って来れないそうです。私はマンションの屋上に立っていました。赤ちゃんを連れて、です。もし、赤ちゃんが私と同じ人生を歩むとしたら、赤ちゃんの人生は不幸です。不幸ならまだ早いうちに、いい景色を最後に目に焼き付けて欲しいと思いました。いいえ、これはただの自己満足ですね。赤ちゃんが私に頼んだ訳でもないのですから。そう、この子は私の悦びを満たすだけの存在でした。私はマンションのフェンスを越え、淵に立ちます。死の淵です。私は泣き叫ぶ赤ん坊の両脚を両手で握りました。頭が宙にぶら下がった赤ちゃんは自分の運命を悟ったかのように泣くのをやめて静かになりました。そして、




 私は両手を離しました。




 それからはもういいですね。私から離れた赤ちゃんの感覚は猫とは違いました。赤ちゃんから手を離した瞬間気づいたのです。自分の愚かさと罪深さに。


 享年28日でした。


 結局、事件は夫の父が揉み消してくれました。揉み消す代わりに二度と家の門をくぐるなと言われ、夫と離婚をしました。それから二年が経って、今に至ります。








 私は若い女性の話を聴き終え、紙に書いてある通りのことを読み上げた。




「それでは、神の赦しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えてください」




若い女性は祈りの言葉を知らない。


 しかし、心の中でそれを唱えているのだ。




「全能の神、あわれみ深き父は、御子キリストの死と復活によって世をご自分に立ち返らせ罪の赦しのために聖霊を注がれました。神が教会の奉仕の努めを通して、貴方に赦しと平和を与えてくださいますように。わたしは、父と子の聖霊のみ名によって、貴方の罪を赦します」




 若い女性は小さく呟くように言った。




「アーメン」


「神に立ち返り、罪を赦された人は幸せです。ご安心ください」




 女性は椅子から立ち上がり、もう一度小さく呟いた。




「ありがとうございました」




 扉の閉まる音が聞こえた。


 彼女は、赦されたのだろうか。




「お疲れ様。12時です」




 修道女が扉を開いてそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

享年28日 米騒動 @komesoudo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る