第119話





『リディア』


『お兄さま!』


リディアはディオンへと駆け寄り飛び付くと、優しく抱き止めてくれた。


『こんな時間に何してるんだよ』


兄は、自分の事は棚に上げてそう言った。だがリディアは全く気にする素振りはない。


『窓からね、お兄さまが見えたの』


中々寝付く事が出来ずに、リディアはベッドを抜け出し窓から外を眺めていた。すると庭先を歩いている兄を見つけ追いかけて来たのだ。


『どこ行くの?ねぇ、ねぇ』


『……別に』


『えー、教えてよ。ねぇ、ねぇ』


兄を追って来た先は、裏門だった。リディアが声を掛けた時には既に門から出ようとしていた。リディアはディオンに確り抱きついて離れない。


『たく、お前は……誰にも言うなよ』


二人でこっそりと門を抜け出した。兄に手を引かれ月明かりだけを頼りに歩く。


『きれい~』


屋敷から然程離れていない場所に位置する小高い丘。普段屋敷から余り出る機会がないリディアは、屋敷周辺にこんな場所があるなんて知らなかった。


空を遮るものなんて何一つない。手を広げれば届きそうな星屑が視界いっぱいに広がっている。


『お兄さまはいつもココに来てるの?なんで?』


他意はない。ただの純粋な疑問だ。


『……一人になりたい時に、たまに』


複雑そうな顔をする兄にリディアは首を傾げた。


『勉学とか剣術とかさ、上手く行かなくて行き詰まった時とか、考え事をしたい時にね』


『じゃあ、これからは私も一緒にくる!』


『は?お前人の話聞いてたの?俺は此処に一人になりたいから来てるんだよ。莫迦なの?』


兄は心底呆れた様にため息を吐くが、リディアは気にも留めない。


『ばかじゃないもん!……だって一人より二人で考えた方が絶対いいでしょう。私も一緒に考えてあげる!』


『お前みたいな莫迦に考えて貰った所でなぁ。……まあ、考えといてやる』


それからリディアとディオンはこの丘によく、二人で夜中に抜け出して来る様になった。


『お兄さまは何でも出来るのに、何でそんなに悩むの?』


『莫迦なお前には分からないだろうけど、俺だって始めから何でもできる訳じゃないんだよ。始めは失敗だってするし、苦手なものだってある。周りからは俊秀だの何だの言われてるけど、別にそうじゃない。俺はそれに見合う努力をしているだけだ』


何時も毅然とし背筋を正している兄が、今日は背を丸めており少し可愛く見える。


『そう言えば昼間のお兄さま、すご~く格好よかった!』


脈絡のないリディアにディオンは脱力をし、呆れ顔になった。


『昼間って?』


『剣のお稽古の時!まるで悪者からお姫さまを護る騎士さまみたいだった!』


『あぁ、そう……』


リディアは興奮気味に話す。ディオンは素っ気なく返しながら顔を背け、頬を染めた。


『ご本に出てくる騎士さまって、本当に格好いいのよ!お姫さまを何時もそばで護ってて、危ない時にはこうやって、こうして、悪者を倒しちゃうんだから』


大袈裟に斬る真似をしながら、はしゃぐ。


『ふ~ん。でもさ、お姫様って言ったらやっぱり王子様じゃないの?』


『えーそうかな……。私だったら絶対王子さまじゃなくて、騎士さまに護って貰いたいし、結婚したい!』



ディオンがリディアを盗み見ると目を輝かせながら、頬を染めている。暫し見惚れてしまった。まだ幼いのに少しだけ色香を感じる。


『 じゃあさ、俺がお前の騎士様とやらになってやろうか』


自分でも思いもしない事を口走っていた。だが、今更なかった事に出来ない。リディアは大きな瞳を見開く。


『本当に?やった~!約束ね、絶対忘れちゃダメよ!お兄さまは、私の騎士さまなんだから、他の女の子に浮気しないでね』


『浮気ってお前、意味わかってるのか……。全く何処でそんな言葉を覚えるんだ』


『大きくなったら、私お兄さまと結婚するんだからダメなの!』


その言葉に一応意味は理解しているのだと分かった。


『分かった、分かった』


『なんか絶対浮気しそう……』


『何でだよ。余りお兄様を見くびるなよ。俺はこう見えて一途なんだ。……リディア』


ディオンはリディアを徐に立ち上がらせる。そして目の前に跪き手をとり口付けた。


『生涯お前だけを護る騎士になると誓う。だからお前も俺だけのお姫様でいろよ』


スッと立ち上がり、腰を屈めて顔を近づけてると……。


ちゅっ。


触れるだけの口付けをリディアの唇にした。リディアは目を見開き顔だけじゃなく首まで真っ赤に染めて口をパクパクとさせていた。


『約束……忘れるなよ』



愛らしい反応に、我慢出来ずにディオンはリディアを抱き寄せた。



その帰り道、眠ってしまったリディアをディオンは横抱きにして連れ帰った。


『本当手が掛かるよね、俺の小さなお姫さまはさ』


『おにさま……う~ん、だいしゅき……』


『……俺も……大好きだよ、リディア』


愛らしい寝言にも、先程のリディアの言動にも今日は終始頬が緩み切っていた。
















リディアは目をゆっくりと開く。どうやら眠ってしまっていた様だ。

随分と懐かしい夢を見た。あれは何時の頃だったか……。


「ディオン…………」


様々な想いが渦巻いている。あの頃の様に無邪気に、ただ兄の側にいる事はもう叶わない。


国王殺害。弁解すらせずに逃亡し、その末にリュシアンを斬り殺した。そしてまた逃亡した。シルヴィへの罪悪感が拭えない。


それでも、私は貴方を……。


「見捨てられる訳、ないじゃない」



事実かなんて関係ない。理由など分からない。このひと月余り、ひたすらに悩み続けた。自分がどうするべきかと。

ディオンの事を想えば想う程答えは出ななかった。


正しい道を選ぶならば、自分はこのまま王太子妃になり、王妃に従うのがいいのだろう。

そしてディオンが罪人として裁かれるのをただ傍観し、何れ兄は処刑され、その現実を受け入れて……。


そこまで考えてリディアはかぶりを振る。


ディオンのいない世界なんて……私には………………耐えられない。


こうしている間にも、恋しくて仕方がない。会いたい、会いたい、会いたい。抱き締めて名前を呼んで欲しい。兄の匂いに包まれて安心したい。


自分は酷く浅ましい人間だ。大切な友人の兄を殺した人間に抱く感情ではない。分かっている。それでも恋しくて、恋しくて仕方がない。


「ディオン……何処に、いるの……」


死なないで。


身勝手な願いだと分かっている。シルヴィはもうリュシアンに会う事は出来ないと言うのに……ディオンには生きて欲しい。死んで欲しくない。死なせたくない。


答えは考えるまでもない。始めから決まっている。自分は地獄に堕ちても構わない。構わないから、どうか……お願いします。


「神様……ディオンを、助けて下さい」


独り言つ。


「私は、王太子妃になんてならないわ」



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