第82話
「マリウス、殿下っ……」
リュシアンは唇を噛み、マリウスを睨み付けた。
「リディア嬢、大丈夫かい」
「っ……」
マリウスはリディアを自らの背に隠し、リュシアンと対峙する。リディアは放心状態で立っているのがやっとで、声が出ない。縋る様に、マリウスの背に視線向けていた。
「怖かっただろう。もう、大丈夫だよ」
振り返り、そう優しく微笑むとマリウスはリディアの頭を撫でた。そして彼は改めてリュシアンを見据える。
「白騎士団長ともあろう者が、する様な言動とは到底思えないね。目に余る。彼女を慕うのは構わないと思うよ、でもそれを彼女に押し付けるような真似は感心しないな」
「……これは、私とリディアの問題です。いくら殿下であろうと、口を挟まないで頂きたい」
互いに一歩も引くつもりはない様子で、睨み合う。空気が張り詰める。
「本来ならば、ね。だが君の言動は常軌を逸している。ハッキリ言うが、リディアは嫌がっている。君は今過度の興奮状態にあり、精神的に不安定で、その事に自身はまるで気が付いていない」
マリウスの言う通りだと思った。リュシアンはかなり興奮し、情緒が不安定な様に見えた。ただ何故彼がそんな風になってしまったのかは分からない。
「私は至って正常です。変な言い掛かりを付けるのはやめて下さい。私はただ、あの男の手からリディアを救い出そうとしただけです。彼女はあの男に騙されている。いつか彼女は絶対に傷付く事になる。私にはそれが分かるんだ。彼女に悲しい想いなどさせたくない。だからリディアを私が、救い出さなくてならない。私が、リディアを、リディアを救うんだっ」
リュシアンの異様さを感じ、リディアは後ろによろめいた。ただ、怖いと思った。これまでの穏やかで優しい彼じゃない……。
「だから、さあリディア。私と一緒に帰ろう。そして私の妻になるんだ。そうすれば君は必ず幸せになれる。私が生涯……永遠に君を護る。私が君を幸せにする。私だけが、君を護る事が出来、君を幸せにする事が出来るんだ」
瞬きすらせずに虚な目で、リディアを凝視していた。鬼気迫る様子のリュシアンに、恐怖以外の感情を抱けない。
「話にならないね」
呆れた様にマリウスがため息を吐き、髪を掻き上げる。少し頭を悩ませている様子だった。リディアも戸惑いながらも、どうしたらいいかと考える。このままでは、マリウスに多大な迷惑を掛けてしまう。自分で、どうにかしなくては……。
「リュシアン様……あの」
何と言えばいいのか、正直分からない。どう話せば彼は納得してくれるだろうか、正気に戻ってくれるだろうか……。
「リディア、君なら分かってくれるだろう」
リディアの声に嬉しそうに反応したリュシアンは、満面の笑みを浮かべた。それが更に不気味さを感じさせ息を呑む。だが、此処で怯んではいけない。意志を強く持ち、自分の気持ちを伝えなくては……ぐっと両手に力を込め、リディアはリュシアンを見据えた。
「リュシアン様、兄を悪く言うのは止めて下さい。兄は何も悪くない。不気味だなんて、私思ってません。それに、私はリュシアン様と結婚など、考えられません。したいとも、思いません。リュシアン様の事は、素晴らしい方だと、尊敬はしております。ただ友人の兄、それ以上でもそれ以下でもありません。今後、何があろとうと、この関係が変わる事はありません。だって、私はっ……私は……」
声が震えた。所々詰まらせながらも、話し続けた。
「ディオンが好きなんです」
静寂な中庭に、リディアの透き通る様な声色が響いた。夕闇の中、頬を掠める風がやけに冷たく感じる。リュシアンもマリウスも、リディアの言った『好き』の意味を理解したのか、固唾を呑んだのが分かった。
「だから、そんな風に言わないでっ……下さい」
感情的にならない様にと、リディアは自制しようとするが、込み上げてくる感情を抑えられなかった。
「私の事なんて、何も、知らないのにっ、分かった様に言わないで……ディオンは私の兄だけど、私は男性として、彼が好きっ……自分が可笑しいなんてそんな事、
リュシアンは目を見張り呆然と立ち尽くしていた。リディアは意に返す事なく、彼の横を擦り抜けて行った。
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