第72話 嬉しすぎて涙がでるな…


《さて、えんたけなわといった頃合いだと思うが、少し私の言葉に耳を傾けて欲しい》


 野菜や果物、肉が補充される速度がだいぶ落ち着いてきて、領民たちがまったりとし始めた頃、領主フォガード様の声が町の中に響いた。


 皆は飲み食いする手を一度止め、領主様の言葉通り、そちらへと耳を傾ける。


 そろそろ閉会の時間だろうと思っていた頃合いだ。小さな子供たちは満足そうな顔で船を漕ぎ始めたので、親たちが家に連れ帰り始めているくらいだ。

 そんな状態なものだから、領民たちの中でこの辺りでの閉会に不満のようなものはない。


 充分堪能させてもらった。

 あとは閉会のお言葉を頂くだけだ――そういう雰囲気の中、皆は領主様の声を聞く。


《今回は初めての試みである立食型シュラスコの宴であったが、町を巡回していた従者や戦士たちからの報告を聞くに、存分に楽しんで貰えているようで何よりであった》


 その言葉に、何人もの領民が満足そうに何度もうなずいている。


《本来であれば、このまま宴の閉会を宣言するのだが、今宵だけは少し話をさせて欲しい》


 おや? と首を傾げる者もいるが、同時に何か納得したような顔をしている者もいる。

 そんな中で、領主様はお言葉を続けた。


《我が娘、ショークリアのコトだ。

 皆も知っての通り、貴族は六歳を迎えるまで我が子の詳細を伏せておくのが習わしとなっている。

 その為、ショークリアが我が娘であるというコト以外は余り知られていないであろう》


 もっとも、公表していないだけで自由にさせていたのだろう。その上で、少々お転婆なきらいのある子だ。

 領民たちは、町中で彼女を良く見かけていたので、まったく知らないというワケではない。


 そんなお嬢様のことを今この時になって領主様が語り出すということは、そろそろショークリアお嬢様が六歳を迎えるということなのだろうことは予想が出来る。


《我が娘ショークリアは、この宴のあとで、六度目の生誕の日を迎えるコトとなる。

 彼女が生まれたのは茶月さつき銀月ぎんげつの狭間だ。

 我が妻より取り出された時、まだギリギリ茶月と呼べる時間であったが、その瞬間は呼吸も鼓動も止まっていたのだ》


 今でこそ元気に町を走り回っている姿で知られるお嬢様の出生。

 その瞬間の領主様の絶望感はいかほどのものであっただろうか。子を持つ親たちは、一様に沈痛な面もちを浮かべる。


《だが奇跡は起きた。

 天より見守りし月が頂点に達した瞬間――茶月の名が、新たなる銀月へと移り変わった時だ。ショークリアは小さく咽せたあと、大きな産声をあげたのだ。

 この瞬間ほど、私は神のご加護と奇跡を信じたコトはない》


 それはそうだろう。

 まさに奇跡と言う他ない。息を吹き返した瞬間の安堵感と喜びは、きっと領主様ご夫妻にしか理解できないものもあるだろう。


 それでも――だけどそれでも、だ。

 子を持つ親たる領民にとって、その瞬間の想像は充分に可能なものであった。


 だからこそ――


《貴族は六歳を迎えると、その生誕の日がある月の頭に、仮洗礼を兼ねたお披露目と呼ばれる行事を行う。

 以前、ガノンナッシュの際にも行ったので、記憶にある者もいるコトだろう。

 皆には特に何かしてもらうようなコトはないのだが、他領より貴族が来訪されるコトとなる。そこだけは留意しておいて欲しい》


 奇跡によって生まれ、無事に成長し、今宵のような宴を考え出してくれたお嬢様。


《母胎より取り出された時を生誕の日とするのであれば、ショークリアは茶月にてお披露目をするべきだが、産声を上げたのは銀月であった為、お披露目は銀月にて執り行うコトとした》


 領民たちの中には、そんなお嬢様に対して、祝いと感謝の念を送りたいと、そう思う者が多かった。


《だが、銀月といえば、新年を祝う《創世そうせいの宴》もある故、少々日取りが後ろ倒しになるコトをショークリアと、領民の皆には許して欲しい》


 創世の宴自体は、世終の宴のような大規模なものではなく、各個人の家で行うものだ。

 それでも、貴族ともなれば色々とすることもあるのだろう。それならば仕方がない――と、領民たちは納得する。


《それはそれとしても――やはり、茶月の間に祝うコトも大事であろうと私は考えた。だからこそ、今この場を借りて、皆と共に娘を言祝ことほぎたい》


 それに異論のある者はいなかった。


《では――我が娘、ショークリアにッ!

 六度目の生誕の日まで、無事に過ごしてきてくれたコトの感謝を!》


 領主様の音頭にあわせて、領民たちが口々に声を上げる。


「お嬢様、ありがとうございますッ!」

「今日まで生きてきて、こんな素敵な宴を考えてくれて、ありがとうございます!」

「いつも元気なお姿を見せてくれてありがとうございます!」


 多くの者たちが、心からの感謝を口にする。


 子供が元気に六歳まで生きる。貴族以上に――平民たちにとっては難しいことである場合も多いのだ。

 この領地はお世辞にも裕福とは言えないし、荒れた土地も多い場所ながら、領主様の気遣いにより、子供を失う機会が減らされているのはとてもありがたいことである。


 子供の成長は、いずれ領地を拓くチカラになる。

 僅かでも協力者を無駄に出来ない領地である以上、未来の戦力を無駄に五彩の輪へと還すわけにはいかない――というのがフォガードの考えであるからだ。


 だからこそ、領民たちもまたショークリアが無事に成長したことを感謝する。

 彼女が無事に成長した姿は、同時にいずれ六歳になるだろう我が子たちの無事の姿も同然と言えるのだ。


《我が娘ショークリアよ、数日早いが、ここにお前が六度目の生誕の日を迎えたコトを、皆と祝おうッ! おめでとうッ!!》


 続けて、領主様がショークリアお嬢様を言祝ぐ。


「お嬢様、おめでとうございますッ!」

「ショークリアお嬢様、おめでとう!」

「おめでとう! 七度目も無事に迎えてくださいよー!」


 領民たちもまた、口々に祝いの言葉をあげるのだった。



     ○ ● ○ ● ○



 父の演説のあとで、町から聞こえてくる言葉に、ショークリアは無自覚に身体を震わせていた。


 自分が盛大に祝われているのだと、そう実感した瞬間――ふいに、涙がこぼれてくる。


 これまでだって生誕の日の祝いはあった。

 両親や兄、従者たちから感謝され祝いの言葉を受け取った。

 だというのに、今日はどうして、こんなにも身体が震えてしまうのだろうか。


(……オレは……本当はみんなから、祝われたかったのか……?)


 前世ではこれほどまでに人から祝われ、感謝されたことがあっただろうか。


 思い返してみれば、誕生日など母親と過ごした記憶しかない。

 それだって母親の仕事の関係で、しっかりとしたお祝いなんてものは、中学生にあがった頃からしてもらってなかったかもしれない。


 それが嫌だとは思ったことはなかったが――それでも、案外自分はそういうものに飢えていたのだろうか。


 だが、どうして今――そんなことを思ったのだろうか。

 もしかしたら、転生してからこっち色々なことに一生懸命で、今になって祝われるということに実感が湧いたのだろうか。


 自分のことながらうまく分析できず、それでも感情だけがこみ上げてくるような状況に、ショークリアは困惑する。


「ショコラ?」


 母が、不安そうに声を掛けてくる。

 だがショークリアは動けず、ただただ、門の向こうから聞こえてくる領民たちからの感謝と祝福を聞いていた。


 聞こえるものすべてを聞き逃すまいと。


 それらの声が一段落した時になって、ようやくショークリアは言葉をこぼす。


「おかあさま」


 言葉がまとまらないまま、ただ漏れ出る思いを必死に形にするように、ショークリアはゆっくりと口を開いた。


「わたしは、こんなにお祝いされていいのですね」

「もちろんです」

「わたしは、こんなに喜ばれていいのですね」

「当たり前です」


 傍目からみると、様子がおかしいと思われるかもしれない。

 そう思いながらもこぼれる言葉を淡々と紡ぐ。


(ああ、そうか――

 感謝なんかいらねぇ、みんなを守れれば良い……前はそう思って、悪ぶって睨み利かせて、嫌われてもいいって……)


 前世は常にそうだった。

 それが当たり前だった。


 助けた奴に怖がられても、そいつが無事に解放されるならそれでいいと思ってた。


(無理して感謝してもらう必要はねぇし、喜んでもらう必要がねぇってそう思ってた……)


 それは事実だ。実際にそう思っていたし、それで問題ないとも思っていた。


 だけど、きっと

 心のどこかでは、ずっと


 誰かに感謝されたり、祝われたりしたかったのかもしれない――

 みんなから嫌われたくなんて、なかったのかもしれない――


 それが、その感情が、今この瞬間に盛大に祝われたことで、胸の裡から噴き出してきたかのようだ。


「おかあさま」

「なにかしら?」

「わたしは……たぶん嬉しいんだと思います」

「思うだけ?」

「自分でもよく分かりません……でも、涙が、止まらなくて……でも、嫌じゃなくて……」

「そう。貴女は感激屋さんなのかもしれませんね」


 そう言って、言葉が嗚咽へと変わりゆくショークリアを、マスカフォネは優しく抱きしめた。


「私からも、おめでとう――を。

 ショークリア。この日まで生きてきてくれてありがとう。そして、来年もまたこの瞬間を迎えられるコトを祈らせてちょうだい」

「はい……はい……ッ!」


 人から感謝を求める為に行動していたわけではない。

 感謝されたくて、あれこれ走り回っていたわけではない。


 前世かつても、現世いまも、それは何一つ変わっていない。


 だけど、それでも――


 今日、この瞬間は……前世と併せて考えても、今までで一番嬉しくて、自分の行いは間違いでなく、その行いの果て報われたのだと感じた瞬間だったかもしれない。



     ○ ○ ○ ○ ○



 偉大なる父――創造の神は、豪奢な椅子の肘掛けに左手の頬杖をつきながら、その光景を見下ろしていた。


「人間の心とは、本当に難しきものよな」


 そう独りごちながら、右手の指先に銀色の光を灯す。


「前世では感謝されていない?

 違うな。そう思っているのは貴様だけだ」


 これは、現世いまを生きるショークリアにとっては余計なお世話かもしれないな――そう思いながらも、どこからともなく呼び出した井戸の中へと、指先の光を放り込む。


「これが、我から貴様への祝いの贈答だ。

 ささやかな祝福と共に、受け取り噛みしめるがよかろう」




 本当にささやかな祝福。

 それは偉大なる父ゴドエンペリウムからの贈り物。




 もっとも――


 神々の庭の各所にて、思い思いに井戸を通じて下界へと神の魔力を放り込んでいたのは、偉大なる父だけではなかった。




 神々にとっては本当にささいな祝福だ。

 小指の爪の垢程度の祝福だ。


 多すぎる祝福は人間には過ぎたもの。行き過ぎた神の加護は、人間を不幸にする。


 それを自覚しているからこその、本当にささやかな祝福だった。



 銀、白、赤、緑、黒、青。

 六柱の神々は、それぞれに同じことを考えながら、それぞれに別の場所で他の神が同じことをしていると気づかぬままに祝福を井戸の中へと投げ入れていたのだが……


 果たしてそれは、ショークリアにとって幸となるか不幸となるか。

 それは、神々ですら想像していないことだった。

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