第68話 そ、そんなに絶賛されるとビビっちまうぜ


 ――美味い。


 ボンボの口から自然にこぼれた言葉がそれだった。

 ソースのかかっていない部分でありながら、もはやこれまで食べてきたシカ肉とは比べものにならない味だった。


 キーチン領の減塩料理ではない調理法でこの最高の肉を味わうのであれば、この肉の風味で塩味えんみを楽しむ為にたっぷりと塩を盛っていたことだろう。


 だが、この料理はその真逆だ。

 塩の風味をほとんど感じない。だが、美味い。


 仄かな塩気が、肉そのものの味わいを存分に引き出し、高めているのだ。


 先日のウサギの肉の時にも感じた感想。

 それと同種のモノをボンボは目の当たりにする。


 シカ肉とは……これほどの味を秘めていたのかと。

 そして、ウサギ肉とシカ肉というのは、これほどまでに味わいが違うのかと。


 これまでの常識であった塩まみれの料理など、もはや未練はない。

 このシカ肉は、それほどまでボンボの意識へと衝撃を与えた。


「驚くのはまだ早いぞ、ボンボ……。

 このソースをしっかりと絡めてから喰ってみるんだ」

「ああ」


 ソースのついていない部分を口にして感動に浸っているボンボへ、横にいたツォーリオが告げる。


 ボンボは言われた通りに、肉をソースに絡めた。

 だが、口へ入れるのをためらう。


 ツォーリオが急かすのだ。

 先ほど以上の衝撃に襲われるのは目に見えている。

 だからこそ、怖い。

 こんなものを食べてしまったら、ほかの料理は食べられなくなのるのではないかと。


 だが同時に――それほどまでに恐怖を覚える料理を、口にしないことの方が勿体ないのでは? という疑問も湧く。


 ならば、ここで喰わねばなるまい。

 何でも屋ショルディナーなどという仕事をしている者――ましてやその中でも魔獣退治を主としている自分――は、いつその命を黒き神の門の先へと、彩輪へと還すことになるのか、分からないのだから。


 最善、最高、至高、究極――そういうものは、生きているうちに機会があるなら触っておくに越したことはないのだ。


(いざ――ッ!!)


 覚悟を決めて、口に入れる。


 最初に舌に乗るのはソース。

 自分の知る甘みとはどれとも似つかぬ甘みと、よく知っている酸味ながらとてもまろやかになっている風味。そして力強いコクを感じる。


(これが……安酒を使って作ったソースなのかッ!?)


 ソースを堪能しきる前に、勝手に口が動く。

 ボンボの丈夫な歯が、口の中の肉を噛みしめる。同時に溢れ出すシカ肉の旨みと脂。

 それだけで極上とも言えた肉の味が、ソースと混ざり合う。


 その瞬間、口の中で味わいが完成に至った。

 肉とソースの味が混ざり合い、互いを高め合う。


 ボンボの舌を相手に、重厚なる肉の戦士と、芳醇なるソースの魔術師が、絶妙な連携でもって多重の衝撃を加えてくる。

 それに対抗するように、ボンボは口を動かす。

 肉の戦士を噛み千切りソースを舐め溶かし、負けてたまるかと口を動かす。だが、その度に戦士と魔術師は反撃をしてくる。


 口の中で繰り広げられる激戦は、ボンボがそれらを飲み込むことで終焉を迎えることとなった――だが、舌に口の中に、喉を通り胃へと落ちていく戦士たちは、その生きた証を余韻として残していく。


 その余韻すら味わい深い。

 もっと余韻を味わっていたいとさえ思える中で、ふっとそれらは溶けるよう後腐れをなくすように消えていく。


「とんでもねぇ……」


 余韻が消え去り、正気に戻ったボンボが思わずうめく。

 その横でツォーリオが、何度もうなずいていた。




「お嬢、これは本当に褐色シカの肉なのか?」

「そうだよ? 間違いなく褐色シカのもも肉」


 ザハルの問いに、ショークリアは首を傾げながら答える。


「褐色シカのもも肉を食べるのは初めてじゃない。

 焼いて塩振って食うなんてのは、この仕事じゃよくやるコトだ。

 なのに――何でこんなに美味いんだ……?」


 直火か鉄板かの違いはあれど、ソース以外の部分は、焼いた肉のはずだ。それは別の作業しながらも横目で見ていたのだから間違いない。


 だとすれば――


「鉄板で焼くとこんな美味くなるのか?」

「違う違う。焼き加減と焼き方の問題――かな?」


 問うが、即座に否定され、答えが返された。

 だが、それをザハルはすぐに理解できなかった。


「焼き加減と焼き方?」

「火の入れ方とも言うけど……お肉は、熱を加えると堅くなって味が落ちていくの。だから、柔らかさと味を保ったまま火を入れていく必要があるのよ」


 ショークリアの言葉を聞きながら、ザハルは肉を口に入れる。

 生っぽさはないが、しっとりと柔らかく、味わい深い。


「なるほど、火の入れ方か……」

「一番、単純なやり方は、強い火で両面の表面を一気に焼いたら、火から下ろして平らな場所に置いて、クロッシュとか被せとく方法かな? 可能なら肉は台から少し浮かせた方がいいのだけど」

「焼くのはともかく、台に置くのは何の意味があるんだ?」

「焼けて熱を持った表面の余熱で、内側に火を入れるの。

 密閉しちゃえば熱が長く持つし、しっかりと火が通ってくれるから」


 ザハルが知りようのないことではあるが地球であればバットに乗せてボウルを被せたり、あるいはアルミホイルで包み弱火に掛けたり――と出来るのだが、この世界ではそうもいかない。


 ましてや今はキャンプ中。道具も限られているので、枝と大きな葉を組み合わせて代用したのだ。


 ショークリアの説明を聞きながらポカンとした顔をするザハル。


「嬢ちゃんはいつもそこまで考えてメシ作ってるの?」

「え? だって美味しいモノを食べたいじゃない? だったらその場その場で使えるモノを使い、自分が出来うる一番美味しくできる方法を取るのがいいかなって」

「料理人の矜持?」

「そういう大層なモノでもなくて……えーっと、単にわたしが美味しいモノを食べたいから、かなぁ」


 つまるところ、ショークリアにとってはそれが全てだ。

 料理界の未来だとか、斬新な調理方法だとかはどうでもよく、そんなものはシュガールに任せる気まんまんなのである。


 ならばショークリアは何を求めるか。

 答えは単純。美味しいものだ。


 加えて前世では食べられなかったモノ、食べられないモノを食べたいという欲求がある。

 シカやウサギなどのジビエはもちろん、この世界独自の食材などもこれに含まれる。


 無いなら自分で作るけれど、自分で作る必要がないのであれば、それはそれで良い。

 それでも美味しいモノは食べたいから食材は調達したいし、未知の味を体験したいから食べられそうなモノを求める。


 ショークリアの姿勢としては、そんなところである。


「…………」


 前世についての部分を端折って説明をするショークリアに対して、ザハルは思わず沈黙した。


 ザハルの脳裏に過ぎった言葉は【美食家】。

 料理だけに美味を求めるのではなく、美味なる食材を探しだし、必要とあれば自分で調達、調理までこなす。


 金持ちの道楽によって生まれた、自称美食家ではない――このような姿を【真なる美食家】というのではないだろうか。


 魔獣すら食材と見なし、討伐して調理する。

 なれば、彼女の在り方というのは――


「嬢ちゃんはまるで、美食に関する何でも屋ショルディナーって感じだな」


 思わずそう口にすると、カロマが納得したように付け加えた。


「ならば、美食屋といったところでしょうか?」

「お? 美味いコト言うじゃないの、カロマ」


 ザハルが笑うと、その横でマスカフォネも笑いながらうなずいた。


「美食屋――何とも貴族らしい趣味ではありませんか」

「お母様まで……」


 ショークリア個人としては、前世の少年マンガを思い出してしまう言葉に苦笑しか浮かばないのだが、シカ肉に舌鼓みを打ちながら笑い合う三人はノリノリのようである。



 感涙に咽び泣くかのように味わっているボンボとツォーリオ。

 これまでにない味わいを楽しみながら、軽やかに談笑をするマスカフォネ、ザハル、カロマ。


 それらを一歩引いたところから眺めながら、自分の作ったステーキを口に運ぶショークリア。


(……ザハルとカロマ、ぜってぇ面白がって広めるよな、美食屋って二つ名を……)


 不本意ながらも、ショークリアは美食屋という二つ名を背負う覚悟を決めるのだった。



     ○ ● ○ ● ○



「うううううううおおおおおおおおおおおおお――……ッ!!」


 食の神クォークル・トーンの厨房で、赤き神ハー・ルンシヴが雄叫びをあげる。


 だが、クォークル・トーンはそれを咎めない。咎めようがない。

 彼が雄叫びをあげなければ、自分が上げていたかもしれないのだ。


 たかが火の入れ方。されど火の入れ方。

 火の入れ方一つで、味を変え、食感を変え、香りを変えてみせた。


 生でも食せる褐色グリを、焼くことで香りを立てた。

 半分をすりつぶして甘みととろみを作り出し、大粒に切ったものは煮込むことで柔らかな口当たりと、肉とは違う存在感を作り出す。

 だが決して、肉から主役を奪うことなどない。


 その作り方。その考え方。

 この世界にも無いワケではない。食の神たる彼女はっていることだ。


 だが、っていただけだ。

 神としてそれを理解していながら、あの娘が実践してみせるまで本当の意味を理解できていなかった。


 それほどまでに衝撃を受けたのだが……


「あの娘は、この味でなお満足しないと言うんだね」


 なんという貪欲。なんという向上心。あるいは――


「地球の……日本だったかい? とんでもない食の魔境だったんじゃあ、あるまいね?」


 なれば、満足できないのも納得ができる。

 この世界では――あの国では、まだその魔境の領域に達していないのだ。


「今後も彼女を中心にどんなモノが生まれてくるのか、楽しみさね」


 食の研鑽。

 それが食の神たる自分の仕事だったはずだ。

 それが食の神たる自分の楽しみだったはずだ。


 だが、あの娘を見ていると思う。

 自分の研鑽は惰性だったのではないか、と。


「美食屋……美食屋か。確かに彼女に相応しい称号さね」


 神をも恐れるその味覚チカラ

 これからも存分に発揮してもらいたいのが、クォークル・トーンのささやかな願いだった。

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