第45話 守るモンがあんのはお互い様だ


 ショークリアの預かり知らぬところで大事になっていたハンカチ会議から、しばらく経ち――




 ちらりちらりと、曇天の空より白いものが舞い降りる。

 少し強まってきた風に、冷たく溶ける白き綿は、くるくると宙を舞っている。


 領都を囲う外壁の外。

 農村地帯にある道を歩いていたお嬢様は、その雪に気が付くと足を止めた。


「寒い寒いと思ってたけど、雪が降ってきたわ」

「ええ。暦の上でも、季節の上でも、すでに冬に入っておりますから」


 空を見上げるお嬢様は、冬服とはいえ一般的なものと比べるとやや薄い。これ以上の重ね着をすると身動きがとれなくなるからイヤだと言うので、ミローナが妥協したのだ。


「結局、秋魔は現れなかったわね」

「やはり、お嬢様たちが交戦した熊が、秋魔だったのだろうという見方が強いようです」


 白い息を吐きながら、お嬢様は軽く肩を竦めた。


「生まれたばかりの秋魔――今後も、あのくらいの時に倒せると安全なのだけど」


 そう口では言っているものの、お嬢様の本音としては本来の秋魔に会いたかったのだろう。

 もちろん、安全だと思う心そのものも本心なのだろうが……。

 お嬢様自身でも自覚がないようだが、ミローナとしては、主が戦闘狂の領域に足を踏み入れている気がするのだ。


「お嬢様、散歩も良いのですが、そろそろお屋敷に戻りませんか?

 近々年末の宴がありますし、年が明ければお嬢様のお披露目も控えております。

 体調を崩されますと、大変ですよ」

「分かってるわ」


 こちらへそう答えながらも、お嬢様はどこか遠いところを見ているようだ。

 お嬢様の視線の先を見ても、民家があるだけだ。その民家も代わり映えしない一般的なものであるし、そこの住民が何をしているようにも思えない。


 だがその横顔は凛々しく、何か遙か先にあるようなものを見据えているようだ。

 お披露目前ながら、お嬢様のその横顔は下手な大人よりも大人っぽくみえる。


 ミローナには見えないなにか。それを見据えて、何かを考えているのだろうか。


 思考するお嬢様を邪魔をしないように、ミローナはその横顔を眺める。

 きっと自分は、この横顔に見惚れているのだと、ミローナは自覚している。


 そして自分は、この顔を一番の特等席で拝める場所にいるのだ。そのことを誇りに思う。


 ――などと、ミローナが胸中で密かに燃えてる横で、その凛々しい顔の持ち主が何を考えているのかといえば……


(雪、雪かぁ……。

 雪見酒なんてモンが前世にあったよな。そういう提案をしつつ、それにかこつけて、何か肴みてぇなモンでも提案すっか。熱燗やホットワインみてぇに酒を温めて飲むって飲み方はあんまり流行ってねぇみてぇだしな。

 しかし……ホットワインに向く肴ってなぁ……何かあるか?

 ジャガイモみてぇな芋はあるし、小麦もあっから……芋餅でも作ってみんのも悪くねぇかもな。肉と合わせると悪くねぇんじゃねぇかな?

 そういや、北海道にはジャガイモのから作る豪雪うどんっつったか? そんなようなものあったよな。うどん……うどんかぁ……食いてぇなぁ……)


 ……とまぁ、こんなことである。


 ミローナが思わず見惚れる凛々しい横顔。

 それを堪能できる時にお嬢様が考えていることは、ほぼほぼ食欲に直結しているのだということを、ミローナはまだ気づいていない。


 とはいえ、ミローナは出来る従者だ。

 その横顔に見惚れるあまり、仕事を失敗するなどということはしない。


「お嬢様」

「ん? どうしたの?」


 そのきょとんとした表情は、どこか少女というより少年らしい。

 いや、今はその美貌に見惚れている場合ではない。


冬狼ふゆおおかみです」


 即座にお嬢様の表情が切り替わる。

 何かを考えるどこか物憂げで凛々しい者ではなく、父君であるフォガードを想起させるような、好戦的で不敵な顔だ。


 腰に帯びた剣に手を伸ばしながら、ミローナが示したところを見やる。


「三匹……いや、四匹」


 冬狼は、その毛色が雪のように真っ白な狼のことだ。

 その双眸も氷のように凍てついた青色をしている。

 だが、この時期の冬狼はもこもことした冬毛を纏っており、殺気に満ちた双眸がなければ非常に愛らしい姿をしているともいえる。


 凛々しさと愛らしさ荒々しさを兼ねた姿という意味では、お嬢様そっくりかもしれない。


「この時期に人里に顔を出すのは……」

「はい。秋に食料を貯めそびれたのでしょう」


 この白い狼たちは、冬には森の中で静かに過ごす。

 名前とは裏腹に、冬以外の方が活発な種族だ。冬が近づく秋口にこそ活動を活発化させる。越冬に必要な餌を集める為だ。

 冬狼は、雑食なので肉以外にも、木の実なども集める。これも、荒涼とした場所が多く、食料の少ないこの地域に適応した結果なのだろう。


 彼らは群れを作るが大きい群れではなく、多くとも成体で見れば五匹がせいぜいだ。

 恐らくここに現れた四匹は、あれ全部で群れなのだろう。


 そして、ミローナの言う通り、この時期までに群れが生き延びるのに必要な食料を集めきれずに慌てているのだと思われる。


「縄張り意識が強いから、滅多なコトでは人里になんて来ないって話だものね」

「餌無しの冬狼は、なりふり構っていられないので、凶暴です。被害が出る前に退治するべきかと」


 ましてや、すでに農村地帯へと顔を出してきているのだ。

 この辺りで暮らす人や農作物を襲われる危険性がある。


「分かってるわ。やるわよ、ミローナ」

「はいッ!」


 今、この辺りで外を歩いているのは自分とお嬢様だけだ。

 ミローナはそれを確認すると、隠し持っていたナイフを取り出して構える。


「お嬢様、出来るだけ殺気と魔力を抑えていただけますか?」

「わかったわ」


 二つ返事で答えてやってのけるが、実際問題、この年でここまでの魔力制御が出来ることに、舌を巻く。

 だが、今はその天才性がありがたかった。


「ああ――そうか、いくらお腹が空いてても野生の本能で、実力差に気づくと逃げちゃうかもしれないのね」

「その通りです」


 こちらの意図を理解したお嬢様は、なるほどなるほど――と何度かうなずくと、左手の親指を自身の口元に当てた。


「なら、理性も本能も、食欲に押しつぶさせようか」

「は?」


 主人が何を言ったのかをミローナが理解する前に、彼女は口元に当てた親指に思い切り歯を立てた。


っ……ぅ」


 自分でやっておいて一瞬だけ顔を歪ませるも、その親指からは血が出ている。


「お嬢様!?」

「まぁまぁ」


 目を見開くミローナをお嬢様は制して、血の垂れる親指を冬狼の方へと向けた。


「ここは風上。向こうが風下」


 ぐっ――と親指に力を込め、ポタリと地面に血を落とす。


「お腹が空いて殺気立ってるところに、美味しそうな血の匂い。向こうはどう出てくるかしら?」


 なんて無茶な――ミローナがそう思った矢先、恐らく堪えきれなくなったらしい冬狼が三匹ほど声を上げながら駆けてくる。


 後方に控える他よりも大きな体躯の狼が、制止するように吠えるが、こちらへと向かってくる三匹は止まらない。


「ダメじゃない。ちゃんとリーダーの言うコトは聞かないと」


 窘めるような口調でそう言いながら、お嬢様は剣を地面に突き立てる。


散虹連華サンコウレンカッ!」


 地面から魔力カラーを花咲くように噴出させる技をお嬢様は繰り出す。

 本来なら一輪だけの技だが、独自に改良したようだ。


 魔力の花が噴出すると、続けて一歩先に二輪目が咲いた。さらに続けてその一歩先に三輪目も花開く。


 三連続で咲いた魔力の花は、三匹の冬狼のうち一匹を飲み込んだ。


 避けた二匹のうち、一匹は素早くお嬢様に肉薄してくるが――


非礼・三節ヒレイ・サンセツ!」


 ミローナとて侍女の心得として、彩技アーツとそれを用いた短剣術を嗜んでいる。


 飛びかかってくる冬狼へ向けて繰り出すのは、素早く三度斬りつける技だ。

 だが、ただ斬り裂くだけではない。


 まずは突き出すような斬撃。これで右目を切り裂いた。

 次に手を引き戻すついでのように、鼻を切りつける。

 最後に、下からすくい上げるように喉を切り裂く。


 彩技によって切れ味を高められた斬撃は、飛びかかってくる冬狼を容赦なく傷つけ、吹き飛ばす。


 絶命には至らずとも、喉の傷が深く――血が激しく滴る。

 それでも懸命に立ち上がろうとするとが、もはや助かる傷ではない。


 そして残ったもう一匹が、お嬢様へと飛びかかる。

 だが、お嬢様は慌てることなく左手に魔力カラーを纏わせた。


虹竜穿コウリュウセンッ!」


 左手に乗った魔力は螺旋を描き、その拳の先で鋭く尖る。

 冬狼にその拳が叩きつけられると、剣や槍の切っ先が刺さったように鮮血が舞う。


 しかし、この技はそこで終わらずグルグルと螺旋を描き続ける魔力が、狼の身体を抉りながら吹き飛ばした。


「もうちょいドリルっぽい挙動を意識した方が良かったかな?」


 ドリルとは何なのか分からないが、想定とズレた効果だったようだ。

 とはいえ、効果としては充分だ。むしろ、あの技の真価を理解してしまうと戦慄すら覚える。


 盾や鎧で受け止めようとも、魔力の螺旋が回転し穴をあけ、内側に潜り込んでくるのだろう。なんとえげつない技だ。

 恐らく、お嬢様が想定する完成版というのは、その貫通力をより高めたものなのではなかろうか。


「さて、残った子はどうするのかな?」


 ミローナが一人、お嬢様の技に恐れ慄いていると、当のお嬢様は何事もなかったかのように、残った冬狼を見ている。


 冬狼はしばらく、お嬢様を見つめていたが、やがて寂しそうに悲しそうに、そして残念そうに小さく鳴いて、茂みの中へと消えていった。


 ちらりと、小さい狼が足下にいたのが見える。

 恐らく、この狼たちは、群れの仔を守りたかったのかもしれない。


「追いますか?」

「うーん……大丈夫じゃないかな。たぶん、こちらにはかなわないって理解したんだと思う」


 少しだけ可哀想かな――と呟く優しい主人に、何と声を掛けるべきかと考えて……言葉が思いつかなかった。

 まだまだ自分も未熟である――と、ミローナは自嘲する。


 しばらくの間、狼が消えていった茂みを眺めていたお嬢様は、やがて大きく息を吐くと、気を取り直したように周囲を見回す。


「さて、この狼たち……どうしようか?」

「そうですねぇ……」


 その問いにミローナは答えが思いつかず、とりあえず手近なコーバンにいる駐在戦士を呼ぶことにするのだった。

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