第42話 刺繍は嫌じゃねぇぜ


 刺繍ししゅう

 言葉にすればシンプルな言葉だ。漢字は些かややこしいが。


 言ってしまえば布などに、糸で模様や絵を施す技術のことだ。


 地球における刺繍の歴史というのは、国々によって多々あると言われている。

 中国では3000年近い歴史があると言われているし、中世ヨーロッパでは上流階級の嗜みとされていたそうである。


 ならば、この世界スカーバのニーダング王国における刺繍とは――となった時、それは女性の嗜みとされていた。


 年齢・階級問わず、女性という括りにおける嗜みだ。


 庶民は庶民なりに、富豪は富豪なりに、貴族は貴族なりに。

 階級に合わせた刺繍技術を必ず身につけている。


 識字よりも重要な教養とされているのが、刺繍である。


 ニーダング王国の信頼や友愛に関する言い回しに『百の言葉よりも一の刺繍』なるものがあるほどだ。

 女性の嗜みではあるが、その言葉が示すとおり親愛などを示すのに刺繍を使われることもある為、男性であっても技術を持っているものは少なくない。


 とはいえ、刺繍を苦手とする女性が多いというのも一面としてある。


 そんな中で、ショークリアはどうなのかと言えば――


「~♪」


 椅子に腰掛け、練習用にと渡された真っ白なハンカチに刺繍を施しながら鼻歌を歌っていた。


「ご機嫌ですね。ショコラお嬢様」

「うん。刺繍は嫌いじゃないから」


 実際、ショークリアは刺繍を楽しんでいた。


 い物自体は前世の頃から嫌いではなかった。ただ表だってそれを口にできなかっただけだ。


 最初は母親の手伝いで始めたことだったが、気が付けば母親の服のほつれだ何だを醍醐がつくろうようになっていた。

 そして、それをイヤだとは思わない自分に気づいた時、興味がわき始めたのだ。


 とはいえ、その手のハウツー本も欲っした時、ネット通販で購入することすら恥ずかしかった為に、ほぼほぼ我流である。

 自分のような人間が買うのは、本と作者に対して失礼だとすら思っていたように感じる。


(実際は、ンなワケねーんだけどな。

 まぁ不良たれ、悪役たれっつー呪いみてぇなモンだわな)


 誰に言われたわけでもなく、ただそうらなければならない。そう思いこんでいたのだ。前世では。

 だから、人目に付かない場所であっても、可能な限り不良らしくないことは避けていたのである。


 だが、今世ではそんな呪いなど存在しない。

 やりたいからやる。楽しいからやる。それをする自分を許せるのだ。


「ふんふんふ~ん♪」


 ココアーナに何度か教えてもらっているうちに、コツは掴んだ。

 あとは自分が思い描いた刺繍ができるかどうかというだけだ。


 今回はハンカチの隅だけでなく全体を使って構わないと言われている。

 なので、ショークリアは自分の記憶力を頼りに、ハンカチ全体へチクチクとその絵を描いていく。


「あの……お嬢様。なにを描かれているのでしょうか?」

「ふふ。何だと思う?」

「実際のものより十倍くらい苦悶に満ちた顔のシャインバルーンに見えますが……」

「うん。シャインバルーン」

「……なぜ?」

「えっと……丸くて全体のバランスが取りやすそうだし、苦悶に満ちた顔なんかは難易度がちょうどよさそうで、かつハンカチ全体に表現するなら絵になるかな、と」

「誰かに見せるというわけではなく、完全に練習用なのですね」


 どこか納得したような呆れたようなココアーナに、ショークリアは首を傾げた。


「え? そういうものじゃないの?」

「練習という意味ではそれも正しいかもしれませんが……」


 ココアーナは苦笑してから、少しだけ真面目な顔をする。


「そうですね。少しだけお話ししましょう。

 刺繍を続けながらで構いませんから、耳を傾けてくださいね」

「うん」

「我が国でここまで刺繍を重用視する背景には、建国当初は布の国だったコトに由来しております」

「お塩じゃなくて?」

「はい。

 西側の隣国ニル・スームの高級布エニ・レッソモほどではありませんが、かつては機織りで有名だったそうです。

 塩が売り物になると分かってからは、そちらが重要視されるようになり、ニル・スームへ機織りの技術はすべて売り払ったと言われています」


 なかなか豪快な舵切りだ――と、ショークリアは思う。

 ただ、全力で塩に注力したからこそ今のニーダング王国の繁栄があるのだと思えば、その決断こそが今日に繋がっているわけでもあるのだが。


「ともあれ、刺繍が教養というのは、その頃からの名残なのです。

 当時、縫い目には布と糸の色に合わせた加護が宿ると言われていました。

 だからこそ、縫い目の少ない服を身に纏う子供は、悪いモノが寄って来やすいと言われていたのです」

「わかった! だから、子供服に刺繍をすることで縫い目を増やしていたのね」

「その通りです」


 前世の母親が見ていた歴史番組を思い出す話だ。

 確か、日本でも背守せまもりという似たような風習があったはずだ。そんな内容をテレビで見た記憶がある。


 そういえば、母マスカフォネが手ずから刺繍してくれたハンカチを四歳の時の誕生日に貰った覚えがある。

 貰った時は難しく考えなかったが、この話を知ってから思い返すと、あれはマスカフォネの思いの籠もった品だったのだろう。


 元々大切にしていたが、今後はもっと大切にしようと、ショークリアは人知れず心に誓う。


「そういう歴史から、他者の衣服や、他者への贈り物に刺繍を施すコトは、親愛の証となっております。

 分かりやすいところでは刺繍したハンカチの交換ですね。

 同性であれば変わらぬ友愛の証。異性であれば相思相愛の証となっております。

 特に後者に関しては、自分以外の誰かの話で女性たちは盛り上がりますね。お茶会の定番の話題です。

 奥様は、あまり得意な話題ではないようですので、先日のお茶会ではしなかったようですが」


 母が恋バナが苦手であるというのは少し驚いたが――女性のお茶会で恋バナが交わされる光景は容易に想像できて、ショークリアは苦笑する。


「いつの時代も、恋バナは女の花なのね」


 思わずそうこぼすと、ココアーナはどこか困ったような笑みを浮かべた。


「間違ってはいませんが五歳のお嬢様が口にするのはとても間違った言葉な気がしますよそれ」


 そのツッコミに、それもそうだと胸中では苦笑しつつ、表面上は曖昧な笑みを返すに留める。

 そして話題をズラす為に、ショークリアはココアーナに問いかけた。


「こういう刺繍をしたら面白いかなぁ……程度だったんだけど、練習でも変な絵にはしない方がいいかな?」

「そこが難しいところですね」


 ショークリアの問いにココアーナは言葉通り非常に難しい顔をする。

 実際のところ、ココアーナは施すなら彩術刻輪カラー・クシードが良いと言うつもりだったのだが、絵が完成に近づくにつれ、何とも言えない気分になっていっていた。


 描いているのがシャインバルーンというのは、ツッコミどころ満載ではあるのだが――絵として見た場合、非常に上手いのだ。

 誰に見せてもそれがシャインバルーンだと分かるほどに。それでいて、絵の基本的な考え方である実在のモノに寄せるというのとは、少々趣が違う絵となっている。


 実在のシャインバルーンに比べると十倍くらい苦悶している表情に加え、元々丸っとした身体は、より丸くなっている。

 特徴を捉えつつも特徴を大袈裟に表現している感じは、今までにないものである。

 何より、本物に比べどこか愛嬌を感じる絵となっている為、見ていて不快感が薄いというのも、なかなか面白い。


「お嬢様の刺繍は、刺繍としてみると題材が不適切ではあります。

 ですが、刺繍を用いた新しい芸術という面で見ると、斬新で面白いのですよね」

「その評価、どう反応して良いのか分からないわ……」


 しごく真面目な顔で言われるから、なおさら困る。


「まぁ、お話とかしているうちに完成――っと」

「すごいですね。それだけの刺繍をこんな短時間で……」

「そう? コツを覚えたらそんなに大変じゃなかったよ。楽しかったし」


 じゃーんと、ショークリアが楽しそうにハンカチを開いて、シャインバルーンの絵をココアーナに向けた。

 ココアーナは絵の内容はともかく、出来そのものは悪くないので、それを誉めようとした……その時だ――


「あら?」

「え?」


 シャインバルーンの描かれた糸が白く光りだし、ハンカチはひとりでにパタパタと動き出す。


 そのタイミングで、ガチャリと部屋のドアが開いた。


「ショコラ、いる?」

「お兄さま?」


 部屋の入り口に意識が向いた時、暴れるハンカチがショークリアの手から離れる。


「あ」

「え?」


 そしてハンカチは勝手に宙を泳ぎ、ガノンナッシュの元へと向かっていき――


「なにこれ?」


 彼は慌てず騒がず、それを捕獲した。


「えーっと、シャインバルーンの絵を刺繍したんだけど……」

「……この刺繍、動いてない?」


 ガノンナッシュが捕獲したハンカチを開くと、なぜか刺繍で作られた絵が動いている。それもハンカチごと。


「お嬢様」

「なにかな、ココ?」

「今後、魔獣の絵を刺繍するのは原則禁止でよろしいですか?」


 真顔を向けてくるココアーナに、ショークリアは少しだけ迷ってから、だけど素直にうなずく。


「そうね。勝手に動き出すとか思ってもみなかったし」

「それは私もなのですが……」


 チラリと兄の方へと視線を向けると、それを手にしたガノンナッシュがはしゃいでいた。


「あははは! すごいなッ、本物のシャインバルーンみたいに表情が動いてるッ!」

「ええー……動いてるの……顔……」

「お嬢様、なにをしたんですか?」

「なにもしてない……はず……だと……思いたい……」


 自分に一切の心当たりがなくとも、何かが噛み合ってしまった可能性は否定できない。


「ショコラ! これ、俺にくれない?」

「いいですよ。お兄さまへの親愛を込めて、お贈りします」

「やったッ!」


 即答するショークリアと、それに喜ぶ兄に対して、即座にココアーナからのツッコミが飛んでくる。


「お贈りしないでください! それは回収して奥様にお見せしますから」

「ちぇー……」


 口を尖らせながらも、ガノンナッシュはそのハンカチをくるくると丸め、ポケットからリボンを取り出すときつめに結んだ。

 残念がってはいるものの、これが面白可笑しいだけで済むものではないのだと理解はしているのだろう。


 しばらく丸めたハンカチを見つめていたが、やがて動かないのを確認すると、ガノンナッシュはココアーナへと手渡した。


「たぶん、このリボン外すと暴れ出すだろうから、気をつけてくれ」

「かしこまりました。ありがとう存じます」


 ココアーナは一礼してそれを受け取る。


「ところで、ガナシュお坊ちゃんは何をしにショコラお嬢様のお部屋に?」

「ん? この時間、ショコラがココから刺繍を習ってるって聞いたから。俺もちょっと教えてほしいな、って。ダメかな?」

「わたしはいいよ。一緒にやろう、お兄さま」

「お嬢様が問題ないのであれば」

「ありがと、ショコラ」


 ショークリアが許可を出すとガノンナッシュは部屋の中にある空いてる椅子を勝手に持ってきて、近くに置くと腰を掛けた。


「では、お二人とも少しお待ちいただけますか。

 これを奥様に届け、ご報告してまいりますので」

「お兄さまと一緒に刺繍をしててもいいかな?」

「魔獣を描かないのであれば」


 物凄い真顔でそう告げるココアーナに、ショークリアはコクコクとうなずく。


「では、少々失礼します」


 ショークリアがうなずくのを確認したココアーナは、優雅に一礼してから部屋を出ていくのだった。



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