第6話 不死鳥の囀り

 レモラが死んだ。


 セタグリスの眼前で、彼女は物言わぬ骸となっていた。



 ふにふにと柔らかかったはずの手。


 ――血で濡れており、見るからに痛ましい。



 昨日まで元気に走り回っていた小さな脚。


 ――床に投げ出され、だらんと力なく伸びている。



 クリっとした可愛かった瞳は、驚きと恐怖に染まり、何もない虚空を彷徨さまよっていた。



「どう、して……」


 小さな胸に刺さったままの異物を、優しく引き抜く。もう心臓は完全に停止し、それ以上彼女の血が身体を巡ることはない。


 流れ出た血液の分、余計に軽くなってしまったレモラを抱き上げる。

 彼女に触れた時の、幼女特有のあの温かさはもう、無い。



「今日の調理当番だった俺たちが、ここに来た時はもう……」

「レモラが夜、ベッドに入ったのは見たの。でも、朝起きたら居なくなっていて……」



 リージュの次に年長のトスローとベティが、震えた声でそう告げた。


 普段、雛鳥たちは揺り籠と言われる居住エリアで睡眠をとっている。


 レモラと同じ部屋であるベティが朝起きた時にはもう、彼女のベッドは空だったという。トイレにでも行っているのかと思えば、朝食の支度の時間まで待っても帰ってこない。


 仕方なく、先に食堂へとやってきたら――



「セタ君、とにかくレモラを……」

「……分かった。行こう」


 ツィツィはレモラの目蓋を震える手で閉じながら、震える瞳でセタグリスの顔を見上げる。レモラを弔いましょう、と言いたいのだろう。


 彼は目で頷くと、レモラを優しく抱えて立ち上がった。そしてそのまま歩き出す。周りの子たちも、年長組に連れられて一緒に歩き始めた。


 これから、スノゥドームの葬儀が始まる。


 家族の喪失に、誰もが涙と嗚咽おえつを漏らしながら。葬儀の列はコアルームへと向かっていた。



 コアルームに到着すると、コアだけは何も変わらず、紅い光をともし続けていた。


 セタグリスは中央へと歩いて行き、コアの前にある台座にそっと遺骸を乗せた。

 本当はベッドのような柔らかい場所で眠らせてやりたいが、そんな時間はない。


 ツィツィはレモラの状態を確認すると、管理者専用のモニター画面を操作し『不死鳥のさえずり』という項目を表示させた。


「みんな、一度レモラから離れなさい……」


 これから最期の……レモラと別れの時間が始まる。


 スノゥドームには、独自の葬送がある。

 不死鳥の囀りと言われる、火葬でも土葬でもない方法だ。


 それは死を無駄にすることなく、住人達と共に生き続けるという願いを込めた、再生の儀式。要するに、限界を超えて肉体が消滅するまで、コアにエネルギーを吸収させるのだ。


 この葬儀が終わってしまえば、文字通りレモラとしての存在はこの世から消える。

 だからもう、会えないのだと。しかしそれは永遠ではなく、再びいつか会えるのだ、と。


 ツィツィは言葉にするつらさに苦しみながら、一つ一つ子どもたちにも分かるよう説明していく。


「レモラちゃん……」

「さぁ、ポーラもお別れを言うのよ」

「うん……」


 今日から最年少となってしまったポーラは、妹の死をどう受け止めているのだろうか。今はまだ、言われた通りに頷くことしかできないが、いつか納得できる日が来るのだろうか。


 少し離れた場所から、雛鳥たちが順番に彼女の抜け殻に言葉を掛けていく。ゆっくりと、別れを惜しむように、時間を掛けて。



「ツィツィ……」

「分かってるわ……」


 やがて、別れの言葉も尽きた。

 心の準備はできた、とツィツィの方へみんなの視線が集まる。


 あとは彼女が最後の決断をするのみ。



 ツィツィも出来ることなら、そんなことはしたくはない。

 彼女の白く細い手が。簡単に壊れそうな華奢な肩が。運命の瞬間が近付くにつれて、小刻みだった震えが、ガタガタと大きくなっていく。


 恐怖と後悔と、悲しみが入り混じった感情が彼女を襲う。


 だがこれは、管理者である彼女しか出来ないことだ。そして他の誰かがその背中を押すなんてことは、決して許されない。



「さようなら、レモラ。ごめんなさい……守って、あげられなくて……わたし……」


 ボロボロと大粒の涙をこぼれ落ちさせながら、開始のボタンを押す。


 管理者のみが権限を持つ安全装置セーフティが解除され、台座上のレモラがボンヤリと赤く光り輝き始める。


 このまま彼女はコアの一部となり、魂の集合体となって生きていく。いずれは不死鳥のようにまたこの星を巡り、別の生命として再び甦るだろう。



 少しずつ消えていくレモラに、思わず近付いて触れようとする子どもたち。

 だがそれを、セタグリスが腕で必死に押さえる。


「……レモラ」


 いろんな想いが溢れ、セタグリスもその手に入る力が徐々に強くなっていく。


 どうして、あの優しかった子がこんな酷い目に遭わなければならなかったのか。いったい、誰があんな残虐非道な真似をしたのか。



 もう半分しか残っていないレモラだったモノを見ながら、セタグリスは望んでいた。

 薄汚い殺人鬼を今すぐ見つけ出し、ここにいる全員の目の前でゆっくりなぶり殺しにしてやる。コアに還すなんてこともせず、極寒の外で永久にはりつけにしてやろう、と。



「でも、誰がこんなことを……」


 だが、犯人の手掛かりが無い。

 このスノゥドームに住む住人の中に、そんなことをする人間がいるなんて想像もつかない。


 ここにいる全員が、彼女の死を心から悼んでいるように見えるのだ。とてもじゃないが、演技をしているようにも見えない。



 ……いや、違う。全員じゃ、ない。



「そういえばイグリットは何処へ?」


 ふと、この場にドームの住人となったばかりの銀髪少女の姿がない事に気付く。


 昨晩に大浴場で彼女に襲われた衝撃ですっかり失念していたが、彼女ほど怪しい人物はいないだろう。



「ベティ、パス。アイツが何処に居るか知っているか?」



 近くに居たベティとパスにあの女の居場所を聞いてみる。

 彼女らは女性の年長組で、周りをよく見ているから何か知っているかもしれない。


 だがどちらも行方を知らないのか、ふるふると首を横に振った。


「朝、部屋に居たのは見たけど……」

「パスはイグちゃんと食堂まで一緒に来たんだけどね。パス、レモラちゃんのことでパニックになっちゃって……」

「そう、か……」


 二人ともイグリットがその後、何処でどうしていたかまでは分からないと言う。


 上から数えた方が早いとはいえ、彼女らはまだ十四歳と十一歳だ。妹が死んで動揺するのは当たり前だろう。

 兄の役に立てずしゅん、としてしまった二人の頭を撫でて「気にするな」と慰める。


 だが、まぁ。あの女もおそらく逃げたわけではあるまい。

 イグリットはセタグリスを探して遠路はるばるやって来たと言っていたし、ドームの外に逃げたとしても、そこにあるのは死しかない。


「この葬儀が終わったら、探し出して問い詰めてやる」



 妹はもう、欠片しか残っていない。最期の瞬間まで見逃すことなく、しっかり見届けなくては。そう思ったセタグリスは、一旦怒りを心の底に無理やり押し込め、滲む視界の中の紅い光を凝視する。



 そうして不死鳥の囀りは、開始してから十分ほどで終了した。台座の上には、レモラが身に付けていたものだけが残されている。

 これで血液の一滴までもが、自分たちを生かすためのかてとなったのだ。


 残された十二人で、コアのエネルギーとなってしまったレモラの冥福を祈る。

 形は無くなってしまったが、雛鳥たちの心にいつまでも残り続けるだろう。



 誰も口を開かず、しんみりとしたコアルーム。


 セタグリスは静かに台座へと近寄ると、彼女にプレゼントした花の髪飾りをその手に掴んだ。


 そしてイグリットを探しに、居住区へと駆けだした。


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