第2話 雛鳥たちの日常


 豪雪吹き荒れる山の崖に、スノゥドームと名付けられた、とある防衛拠点があった。


 いったい誰が、いつ、何のために建てたのかはまるで不明。だがその中身は非常に近未来的で、つ異質だった。



 特徴は何と言っても、その室内環境だろう。何と言っても、人が住める場所として存在しているのだ。普通であるはずがない。



 この施設は、特殊な動力コアのエネルギーによって様々な機器が稼働している。


 それにより透明な素材で覆われた円形ドーム状の内側は、一年を通して過ごしやすい温度に保たれていた。


 下手すれば、浄化前の地上よりも生活しやすいかもしれない。それほどまでに、このドームの内部は人類の楽園と化していた。



 更にとある区画では、なんと公園がある。

 道は舗装され、それに沿って樹木や色とりどりの草花がきれいに植えられた、住人の憩いの場だ。


 そんな街路樹の脇を、楽しそうに駆けていく子どもたちの姿があった。両手を挙げ、仲良さそうに追いかけっこをしている。


 行き先は居住区方面。ドームにただ一つある、食堂へと彼らは向かっていた。



 時刻は早朝。

 太陽光を模した蛍光パネルが、食堂を明るく照らす。


 中央にあるのは、年季の入った木製のテーブル。そして背の低めに作られた椅子が並べられている。壁には子どもたちが描いたであろう沢山の絵が飾られていた。


 大人でも優に三十人ほどが収容できる、実に広々としたフロアだ。今日も施設の住人達が朝食を摂る為に、ここへ集まってきている。



 テーブルの上座に当たる場所。そこには、紫紺のローブを纏った女性が座っていた。


 被っているフードからは、濡れ羽色の艶やかな長髪がこぼれ、豊満な胸元に流れ落ちている。


「さて、全員集まったようですね」


 彼女は全てを溶かし込むような黒色の瞳で、テーブルに居る十二人の子どもたちを見回した。


「それでは、みなさん。本日も食事の前に、神へ祈りを捧げましょう」


 そしてお決まりの言葉を告げた後、真っ赤なルージュが塗られた口でニッコリと微笑んだ。


 彼女の名は、ツィツィ。

 一見するとまるで魔女のような容貌をしているが、この中では最も古株の住人だ。ここに居る子どもたちからは『ママお姉ちゃん』と呼ばれ、母のように慕われている。



「ほら、みんな。ツィツィの言う通り、ちゃんとお祈りをしないとご飯は食べられないからね」


 そして優しく言い聞かせるような少年の声が、テーブルの上のパンに伸びていた手を止めさせた。


 声の主は、頭に被ったベージュ色の風船帽(キャスケット)がトレードマークの美少年、セタグリス。


 ツィツィと同じく、この中ではもう大人扱いをされている。彼は子どもたちに優しく微笑むと、率先して祈りの言葉をつむぎ始めた。


 それは声変わりも済ませ終わった、アルトの音階。恵みの神に感謝を込め、賛美歌として捧げる祈りの言葉だ。


「さぁ、私達も続きましょう」


 ツィツィが子供たちを促す。彼の落ち着いた、優しいメロディに合わせ、ソプラノ色の子どもたちが元気よくハーモニーを奏で始めた。



 しばしの間、食堂に美しい旋律が流れる。そしてようやく、子ども達が待ちに待った朝食の時間となった。


 ツィツィは美味しそうにパンを頬張る子どもたちを確認すると、自分の代わりに仕切ってくれたセタグリスに目で礼を言った。



 このスノゥドームに住むツィツィ以外の子どもたちはみな、雛鳥(ハーピィ)と呼ばれている。


 自分を含め、雛鳥たちは親鳥であるツィツィが、何処からか連れてきた……と、セタグリスは認識していた。


 というのも自分自身、いつからここに居るのか、その辺りの記憶が全く無い。実際、他の雛鳥も皆、突然ツィツィと共に現れていた。だからきっと、自分もそうなのだろうと思っている。


 どうやってここへ来たのか、詳しい方法は分からない。それをツィツィに、尋ねようと思ったことも無い。


 自分たちが何者であれ、みんな大事な家族だ。この隔絶された幸せな楽園で、いつかその寿命が尽きるまで、ずっと皆と一緒。それだけでセタグリスは十分であった。



 いや、セタグリスだけではない。

 ここに住む者たちは誰も、なぜここに居るかなんて、興味すら抱かなかっただろう。ましてや“この施設からは出たい”などとは、口が裂けても言わなかった。


 理由は簡単。外の厳しい環境では一日ももたずに、凍死してしまうからだ。


 誰だって、あんな雪しかない、寒くて悲しい場所で無駄死になんてしたくはない。


 ここの子どもたちは何をしたらいけないか、ここで何をするべきなのかを自然と理解している。力を合わせ、施設の中にある農園で食料を育て、交代でコアにエネルギーを注ぎながらこうして暮らしてきたのだ。

 

 施設にある機能を維持できなくなれば、外の猛吹雪から家族を守れない。

 だからここに住む者たちは、家族を絶対に裏切らない。


 ツィツィと十二人の子どもたち。誰かが欠ければ、自分の命が危うくなるなんてことは、ここに居る誰もが理解していた。



「セタお兄ちゃん、今日はお兄ちゃんが補充の当番、だからね!!」

「うん、分かっているよレモラ。ほら、お口にジャムがついているぞ。拭いてあげるから、こっちにおいで」

「えへへ、ありがとうっ!!」


 ハニーレモンの明るい黄色の髪をした、三つ編みおさげの女の子。頭にはセタグリスが彼女の六歳の誕生日にプレゼントした、花の形の髪飾りがついている。


 このドームで最年少のレモラは、優しくて頼れる兄のセタグリスが大好きだ。

 セタグリスは、ぱああ、と花が咲いたような笑顔で自分に抱き着こうとする彼女を押さえながら、口元に付いたお手製のベリージャムを手で拭ってやった。



 まわりの子どもたちは、その様子を羨ましそうに見ていた。みな年齢以上に大人びてはいるものの、どの子たちもまだ甘えたがりのお年頃だ。


 ツィツィが母なら、セタグリスはさながら父親代わりなのだろう。

 子ども達に混ざって、そのツィツィが優しい眼差しをセタグリスへと向ける。垂れ目の下にある泣き黒子が今日もセクシーだ。



「なんだよ、ツィツィ」

「ふふふ、別に。なんでも無いわよ〜?」


 セタグリスはそれが気恥ずかしかったのだろう。その視線から逃げるように、食事に戻ろうとした。


「……うん?」


 と、今度は別の方向から邪魔が入る。横からクイクイと、上着の袖を引っ張られたのだ。


「どうした、リージュ。なにか取って欲しいのか?」

「……ううん。なんでもない」


 袖を掴んだまま、首をふるふると横に振る女の子。彼女は盲目の少女、リージュ。

 年齢はセタグリスの次に年長で、とても美しい姿をしている。だが、不幸にも彼女は自身を見たことが無い。


 そのハンデが原因かは不明だが、彼女は普段から大人しく、セタグリス以外の子どもたちとはあまり会話をしない。その分セタグリスにはベッタリで、彼の隣りは半ばリージュの指定席となっている。


「ふぅん? まぁ何かあったら遠慮せずに言えよ? あ、お前もパン屑が顔についてるじゃないか……ほら、取れたぞ」

「……ありがとう」


 掴んでいた袖を、さらにギュッと握るリージュ。ぶっきらぼうな態度だが……心なしか、口元がモニョモニョと緩んでいる。


 そんな二人の甘い雰囲気に我慢が出来なくなってしまったのか、ツィツィが再びセタグリスに声を掛けた。


「ふふふ、セタお兄ちゃんはモテモテねぇ?」

「おい、からかうのはやめろよツィツィ!!」

「あらあら、セタ君ったら一丁前に男の子ぶっちゃって。もう私のことは昔みたいに『ママお姉ちゃん』って呼んでくれないのかしら?」

「――ッ!? 呼ぶ訳が無いだろ!! あぁ、もう。ごちそうさま! コアの補充行ってくる!!」


 彼女相手に、これ以上の舌戦は敵わない。そうと悟ったセタグリスは、敵前逃亡とばかりに、食堂からタタタタと走り去っていく。その顔は、熟れた林檎のように真っ赤だ。


 一連のやりとりを、他の子どもたちは大人しく見守っていたが……やがて誰からともなく、クスクスと笑い声が上がった。



 勝者であるツィツィは、してやったり顔。余裕の笑みを浮かべ、手をパンパンと叩く。


「はいはい、ご飯はもう食べ終わったかしら? それじゃあ、良い子のみんなはキチンとお片付けをしましょうね」


 はーい、という元気な声が木霊する。


 実に微笑ましく、今日もいつもと変わらない穏やかな朝の食卓であった。


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