第24話
「先生! 車の後ろに髪の毛が貼りついて真っ黒ですううううう!」
先生が地団太を踏むようにアクセルを何度も踏みつける。
「時速百キロなんて僕は高速でも出さないからな! 今日は特別大特価だ!」
「スーパーのセールかよ」と、レインの辛辣なツッコミ。
ぐわんと揺れる車内。身体が前傾姿勢になるぐらいにかかっていたGが(たぶん、学校で習った慣性の法則の方が正しいかも?)急になくなる感じ。車が後ろに引っ張られてる! ま、負けるなプリウス! 燃費だけでなく馬力も見せつけてよ!
「前に進まないいい? 僕のプリウスは心霊スポットで手形がついたときも、後ろから足音が追ってきたときも、前から女の首が飛んできたときも速度だけは落とさなかったんだぞ?」
あれ? 先生、配信の幽霊は全部偽物だって言ってなかった? ちゃっかり本物とも遭遇してるんだ。
エンジンはハイブリット車だけあって静か。先生が顔を歪ませてアクセルを踏み込むのが滑稽。
「先生、ハンドルをきって! 前に進んでも逃げられないよ。蛇行運転するの!」
「そうか!」
先生は一度バックして後部の髪の毛をたゆませてから、ハンドルを思い切りきる。
なんとか曲がれた。追走してくるけど!
蛇行して前の車を抜くと、運転手はみな事態の深刻さに驚いている。二台の車が田んぼのあぜ道に突入して行くのを目にしたことだろう。って他人事に思うくらいには、でこぼこ道でイラっとした。もう、やめてよ! 座席が弾んで私とレインはそれぞれ肩をぶつける。
「向こうに見えるか? コメリだ!」
グワタングワタンと、車体は揺れる。何度か後ろの髪の毛が引き剥がれそうになる。あと、もう少し。だけど、あんまり蛇行運転すると田んぼに落ちて二台とも動けなくなる。
ドオオン!
前方に身体が跳ねて運転席の先生にぶつかった。痛い! 追いつかれて後ろから追突された!
ドオオン!
「君たち! かがむんだ!」
座席で踏ん張るのが精一杯。更に、車は大きく揺れて車体が傾く。まずい!
グワングワンッヌメンドバシャ!
田んぼに落っこちた! 深くないけど、タイヤがはまって過ぎ去っていた風景が制止する。ホームセンター「コメリ」の看板はすぐそこにある!
「いててて、ロエリ大丈夫か?」
うん、平気だけど。あれ、先生?
「先生しっかりして下さい!」
飛び出たエアバックが先生の顔を完全に覆っている。意識ある? 揺さぶると「はっ! 夢か!」と叫んだ。
「もう、驚かさないで下さいよ! 先生、悪夢は終わってません!」
「何も言うな。これは、配信ではない。現実でもない。夢なんだ!」
レインは容赦なく先生の頭部をレプリカ釘バットで殴る。ごつりと鈍い音がする。何も知らない人が見たら恐ろしい光景だと思う。
「あっちも、田んぼにはまってる。動けないのはあっちもだ。ヴィンセント、どうする。車を捨てて逃げるか?」
レインの言う通り白いワゴン車も田んぼに転落している。転落したときの衝撃で、張りついていた黒髪が離れたみたい。ちょっと待って、運転席に口裂け女こと
「君たち、先に降りろ」
「いっ? そんな恐ろしいことできませんよ。すぐそこにいたらどうするんですか」
つっけんどんに言ってしまう。お化け屋敷でキレたことはなかったんだけど、怖いとキレる人の気持ちが分かった気がする。
「じゃあ、ロエリ。俺が先導するから、あの「コメリ」まで全力で走れよ?」
た、頼もしい。
「レインってこういうとき頼りになる!」
レインの額には嫌な汗が噴き出ているように見えるけど、怖いなんて言えないんだろうな。
先生はそっと、車のエンジンを切る。
「僕の車を台無しにしやがって、口裂け女め。配信するときは、性悪女の時代遅れロンゲババアってサムネイルに書いてやる」
先生も、時代遅れヒッピースタイルでロンゲだけどね。そこはお愛嬌なのかな……。
レインが車から降りると、田んぼのつんとした泥の臭いがした。
「うわ」
レインが第一声で声を上げるのも仕方がない。足首まで田んぼにはまってる。ここを歩かないといけないのか。私も仕方なく泥に足を入れると、早くも足首にアメンボが上ってきた。ヒルがいないといいんだけど。
「あの口裂け女、コメリで痛い目みさせてやる。あそこはいいぞ? 僕は美術専攻だが、リフォームではお世話になった。そして、さくらんぼキャンペーンもある。さくらんぼが一箱九千円! 全国の旬をお届けだああああああ!」
先生が車から飛び降りたときだった。どこに隠れていたのか曽音田美杏が先生に飛びついた。
「ぎゃああああああ! 君たちコメリに急げ! 使えそうなものは全て使ってこいつを倒せ!」
「先生そんな!」
一生の別れのように先生は私達に手を伸ばしてきたが、その実、片手にはゴキジェット。
例のごとくシュコーーーーという噴出音が地味。残量が減ったためにコシュッと途切れる。
それでも、曽音田美杏が口と鼻を覆って、嘔吐するようなそぶりを見せて後退した。あっちの靴はヒールだったはずだから、泥に足を取られて動きにくそうだ。そのまま転んで欲しい。なんて、願いは叶わない。
グバアアアアアアアアア!
口裂け女の獣じみた咆哮が幾重にも重なって聞こえた。
曽音田美杏に気を取られていて気づかなかった。ワゴン車に一体何人乗っていたの? 曽音田美杏だけじゃなかったの?
飛び出てきたのはすみちゃんのお母さんと、すみちゃん!
「うわあああああ」
「レイン!!!」
曽音田美杏は私達を一網打尽にするつもりだったんだ! 私の手からレインの指が離れる。すみちゃんがレインに虚ろな目で寄りかかる。力が入っていなさそうに見えて、しっかりとした足取りでレインを捕まえる。
ぐあぶっ!
人の口から発せられたとは思えない、粘着質な口の開く音。歯茎が肉に食い込むぐちゅりという音に私の足はすくんだ。
「ぐっが」
「レイン! すみちゃん離して!」
無情にもすみちゃんはレインの首に噛みついている。
私は先生の西洋剣を車から引っ張り出す。うそでしょ! 重すぎ! 駄目だ。まだ、フローリングクリーナーの方がましだった。
すみちゃんにつかみかかられ、更にはすみちゃんのお母さんにも覆いかぶさられて田んぼに背中から沈むレイン。泥で汚れるとか言ってられない。
私がすみちゃんのお母さんに背後から抱きついて引き剥がそうとしても、力負けして無理だ。
「っぐ! ロエリ行け! コメリに行けえええええええええ!」
さっきの先生の最期の遺言より、効いた。
「置いていけないよ!」
「ロエリ君、ここはコメリに急ぐしかない! 彼も口裂け少年になるかもしれない!」
先生、ちゃっかり無事だ。肩で息をして、ゴキジェットを祈るように抱きしめて震えている。
「だったらなおさら置いていけないよ!」
「いいから!」
先生は私の肩を抱えて走り出す。といっても足はずぶずぶはまる。レインが苦し気に叫ぶ声が後ろで聞こえる。
「……や、やだ」
自分の声が震えている。足が重いのは田んぼの中にいるからってだけじゃない。
水泳で上手く前に進めない人みたいに腕を振って、勢いよく右、左と足を抜いては泥に刺す。そうすることで、田んぼからできるだけ早くあぜ道に這い上がる。
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