第7話

 レインに指定されたんわ、スマホ。懐中電灯。防犯ブザー。まあ、普通の装備やんな。スタンガンとかあったら心強いんやけどな。そんなもん刑事ドラマでしか見たことないしな。


 待ち合わせ場所はロエリちゃんの家から近いコンビニの前。言うても、ロエリちゃんちはここから徒歩五分。夜の九時だけど、人通りの少ないコンビニは店員が暇そうにしている。店内でマンガ雑誌を立ち読みしているレインを見つけた。来るん早いわ。


「もう着いてたんか」


「ああ、さっさとすませちまおう。口裂け女なんか俺は信じてないけど。きっとなにもなくて帰るだけになるんだからな」


 そうかもしれへんけど。


「考えはあんのか? 口裂け女かどうかってのはマスクをはずしてもらわないと分からないんだぞ?」


「マスクはずしてくれへん? って言うてみるとか」


「無理無理。コロナ流行ってるんでとか、旦那が今感染してますとか言われたら終わりだろ。コロナだったら俺うつりたくないからそれ以上追及しねえぞ」


「それは言えてるわ」


 ピンポーン。


 インターホン鳴らして、うちら何してるんやろ。返事はない。


「にしても、広い庭だな。松の木に、池はさすがにないけど。車一台か二台入りそうだな。奥には物置に、花壇の花は全部枯れてるのか。引っ越してきたばかりじゃなかったら、異常だけどな」


 もう一度インターホンを鳴らす。夜の九時に外出してても変やない。仕事の残業とか、仕事帰りにスーパーで買い出しとか。うちのお母さんもようやってるし。


「で、次はどうする? あの物置でも見てみるか?」


「不法侵入ちゃう?」


「お? 手ぶらで帰るのか? かまわないぜ。クラスのみんなも誰も怒らねえよ。もう次のユーチューブ配信に夢中だろうな」


「え、次の配信もう来たん?」


 毎回チェックしてへんけども。


「怪人キラードSのグルメコーナーらしいけどな。あいつたまに「ホラーちゃんねる」のくせにグルメ回挟むだろ。月一ぐらいにさ。まあ、それがたまたま今日」

「てかレインも怪人キラードSのこと好きなんやろ、実は」


 レインは頭をかいて少しイラっとした顔をする。


「あんまり流行ってるから俺もついていかないとってな。俺はお前らみたいに浮きたくねぇの」


 失礼なやっちゃ。うちは、浮いてても気にしてないんや。


「うちは大丈夫やけど、ロエリちゃんに言ったらあかんで?」


「何で? あいつ、まさか気にしてるのか?」


 あーあー、レインはこういうとこ鈍いわ。ロエリちゃん、今でこそノリええけど、普段はきつく言い過ぎてないかとか距離感で悩んでるんやで?


「うちにそれ言わせる?」


 物置にレインは勝手に近づく。番犬もいないようだし、人を感知して電気が点く防犯ライトもない。


 物置は掃除用具とか入れるような簡易的なもの。鍵もかかっていない。


「こ、これ、やばない?」


 暗くてよく見えないから懐中電灯を点ける。


 うち、えらいもん見つけてしもた。


「これ、薙刀やんな?」


「ほかにもあるぞ、鎌に、あと、剪定バサミ。農作業で使うとか言われたらごまかされそうだけど、薙刀はこんなところに無雑作に置いておくのは明らかにおかしい。ただ、これだけじゃ、要注意人物ではあるけど近所の殺人犯だとも口裂け女だとも言えない」


 そうやんなぁ。でも銃刀法違反とかちゃう? 警察に訴えられへんかな。でも、自分の敷地内やから無理やんなたぶん。


「あら、こんな夜に御用かしら?」


 縁側の引き戸が開いて女が青白い顔を出した。部屋の電気も点けずに、ぬっと顔だけ出て来た! うちら、飛び上がってしまった。


「こ、ここここ、こんばんは」


 レインも声が上ずってしもてる!


「あら、この前見かけた三人ね。でも、ロエリちゃんはいないのね」


「どうしてロエリを?」


 レインの言うとおりおかしいで。この前挨拶したときに名乗ったのは、この曽音田そねだ美杏みあんだけや。


「ロエリちゃんのこと知ってんの? 誰から聞いたん?」


「あなたは、ロエリちゃんのお友達の志度二しどにすみこさんね? ロエリちゃんのお母様からから色々聞いてるわ。私、人の名前覚えるのが得意でね。ニュースアプリで知ったんだけど、危ない事件がこの辺で起きているみたいだしね。あなたちも迷ったのでなければ早く帰った方がいいわよ。ご両親も心配してるんじゃないかしら?」


 この人、なんでも知ってるんや! もし、この人が犯人やったとしたら開き直りすぎやろ。うちらのこと怒ってないのも気持ち悪い。不法侵入して悪いのはうちらやのに。


「一つ聞いてええですか? いつも家の中でもマスクしてるんや?」


 曽音田そねださんはマスクを長時間つけて耳が痛いとばかりに、髪をかきわけてマスクの紐の位置をずらす。


「家庭内感染を防ぐためよ。主人は今、自宅隔離中でね。それに彼は医者でね。私は彼にコロナを移すようなことがあったらいけないから、彼が健康だったとしてもマスクをつけるわ」


 うっわー。ほんまにコロナやったんか!? レインがうちの脇腹を小突く。痛い痛い。なんやねん。うち、そんなぽかんとしてたか?


「旦那さんは医者? ポマードつけてる?」


「ポマード? 今はグリースの方がいいんじゃないかしら? ポマードはシャンプーで落ちにくいのよ」


 って、なんのうんちくを聞いてるねん!?


「まあ、今どきポマードってあんまり効かないですよね。あはは」


 って、レイン帰ってるし。待って! 置いてかんといて! パニくってそそくさと逃げ帰る。


「ロエリちゃんによろしくね。夜道は暗いから気をつけて帰るのよ」


 レインが向かったのは、まさかの玄関だった。帰らへんの?


「ちょ、レイン!」


「静かに! 旦那なんかいねえだろ。引っ越し業者が来ていた日にはいなかった」

「そうやけど」


 うちは声を潜めて言い返す。


「家にこもってたんかもしれへんやろ?」


「ポマードの話題にも乗ってくるしな」


 口裂け女って「ポマード」って叫んだら逃げるんや。それを言われても普通に会話しとった。なんでや。


「ポマードって叫んで口裂け女が逃げる理由を知ってるか?」


「あれやろ? 口裂け女の口が裂けたのは医療ミスやとか、元恋人が医者やったとか色々な説があるんやろ。そんで、関りのあった医者がポマードつけてたんや」


「お? すみこ詳しいな」


「うちかてビックリやわ。レインはオカルト好きなことずっと隠してたんか?」


「別に。誰も話題を振らないから。それに、俺は信じてねえぞ。幽霊だの、妖怪だの。信じてないから、お前とロエリがすぐ変な迷信を信じることに危機感を覚えて代わりに調べてやったんだろ」


 うわー、ロエリちゃんには余計なお世話やと思うわー。って、レイン、玄関からよじ登って二階に上がっている。壁伝いに各部屋を覗いて回るつもりなんか? 外からは中見えへんのちゃうん? 


「うーん。全室、灯りを消してるのか。会話したのついさっきだぞ。九時に寝るか普通?  あの年で」


 レインがぶつぶつ言っている。


 真っ暗な玄関の引き戸が静かに開いた。


「ひっ」


 やばいって!


 レインは二階の窓を覗き終わって、今度は室外機に足をかけてほかの部屋の窓辺に移ろうとしている。


「あなた、まだいたの? 彼は一人で帰っちゃった?」


 まるでうちの彼氏みたいな言い方やんか。どういう反応したらええんか分からん。怖いし、逃げたいのに逃げられへん。レインを置いてかれへんし、うちがこの人の注意を引きつけな! 上にいるレインに気づかれたらおしまいや! 今度こそ言い訳できひん。どないする? な、なんか喋って場を繋ぐんや!


「あ、あの」


「何か探し物でも? それともはっきり言っちゃおうかしら。あなたたちのやっていることは住居侵入罪に当たるわよ。お母様やお父様が悲しむと思うわ。通報はしないであげるから早く帰りなさい。この辺は物騒よ?」


 物騒って、この人この近辺のニュースってどれぐらい知ってるんや。聞き出そうとして、足がすくむ。曽音田そねだ美杏みあんは何のためらいもなく両手でマスクを外した。口は……裂けていない。


「嘘やん?」


「口裂け女だと思ったんでしょ?」


 曽音田美杏の口紅は白で、夜に浮かぶ月のように見える。美しいM字型の上唇。

「ねえ、なんなら触れてみる?」


 触れる? なんやろ、綺麗すぎて目を離されへん。曽音田そねだ美杏みあんがゆっくり近づいてくる。


 うちは包まれるように抱きしめられた。せやけど、その美しい唇に触れた瞬間分かった!


 マスクの下に顔を隠すような覆面タイプのマスクをしてる!


 曽音田美杏から離れようとして突き飛ばしたときに指が彼女の唇に触れた。白い肌から真っ黒な、墨みたいな色の肌が現れた。口も裂けている! 黒い肌に白い唇! 歯は真っ黒。夜のせいもあって、唇だけが闇夜に浮かんで見える! その唇がニンマリ微笑んだ。


 や、やばいって。手が震えて防犯ブザーをうまくつかまれへん。さっきまで手に汗なんかかいてなかったはずや。ドバー出てきて、あかん、走って逃げた方が早いわ!

 踏み込んだ瞬間後ろから髪をつかまれた! 


 うわー!って叫んだら口に何か詰め込まれた。舌先に絡みつく鋭い繊維質なもの。黒い髪や。い、嫌や。ここで死にたない! 死にたないっ――。

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