◆48 ~ 強襲④
「ギレウス・マリオン――!」
「俺の名を知ってるのか。まあ、だろうな」
颶風を纏うかのような突きを放ちながら、ギレウスは口の端を歪める。
「その剣術、軍式――それも特殊部隊仕込みだろう?」
「っ!!」
「ぜひ、詳しい話を聞かせてもらいたいね」
軽い口調とは裏腹に、その槍捌きはまさに烈火のようだった。
だが、それに対する男たちの技量も高い。帝国最強の一角と呼び声高いギレウスの槍を、二人がかりとは言え見事に捌いていた。
それでも、防戦一方。
残る一人が加勢すればあるいは――とも思えたが。
だがそれは出来なかった。残りの一人もまた、徐々に追い詰められつつあったからだ。
霧の中から姿を現したのは、ギレウスだけではない。教官であるダニエル・レーゼマンの姿もあった。
そのダニエルは、眼前で行われている光景に、思わず息を呑んだ。
(なんと、これほど……!)
恐らく軍人――しかもその中でも特に腕利きだろう――相手と、イリア・オーランドは互角に切り結んでいた。
いくつもの剣戟が虚空に火花を咲かせ、しかしイリアは一向に崩れない。あらかじめ相手がどう来るか分かっているかのような、驚嘆に値するべき読みの鋭さ。
その剣は、どこかユキトを彷彿とさせた。
(まさか……いや間違いなく、私より彼女の方が上か!)
魔術に関してはまだ未熟、されど剣だけでいえば、間違いなく上回っている。
アイーゼ・リリエスの試合を見たときに思ったが――イリアの剣は完全に、もはや学生のレベルを逸脱していた。
まさかサポートに徹することになるとは、とダニエルは苦笑する。
だが、互角であるのならば……ダニエルのサポートによって、その優位は盤石のものとなっていく。
イリアたちの優勢は崩れようがないように見えた。
しかしその一方で。
劣勢に立たされているはずの男たちの顔色に乱れはない。
むしろ、何かを待っているようにさえ見えた。
(――やはり)
間違いない、とイリアは胸中で告げた。
「援軍、ですか」
イリアの言葉に、男は何一つ顔色を変えない。
だが恐らく間違いない。一刻も早く逃げなければならないこの状況で、男たちが余裕を失わない理由はそれしかない。
もっとも――
「援軍なら、期待しない方がいい」
「……なに?」
ようやく余裕が崩れた顔を見せた男に、好機を見て取ったイリアは魔力を迸らせた。
◆ ◇ ◆
「――このホテルが、その反政府勢力の拠点となる、と?」
数刻前。ホテル・アバンシエル。
その一室――本来ならディナーなどに使われる広めの部屋で、教官でありかつ軍人であるダニエル・レーゼマンは静かに告げた。
同席するのは九名。
学長を含めた五名の教師陣――ユキトを除く帝都に同道した教師陣全員――と、イリア・オーランド、そして生徒会長のシェリー・レレイ。
「ええ、間違いないと思います」
そして、残る二名のうち一人、ダニエルの言葉に頷いたのは、褐色の肌を持つ男性だった。
彼の名を知らない人間は、帝都にほぼいないだろう程の武人。
ギレウス・マリオン。帝国においても最強の一角に数えられる、通称にして『黒狼』と呼ばれる男が、背後に軍服姿の少女を従えながら静かに告げた。
「敵勢力の規模は不明です。ただ、ホテル全体が戦場になる可能性は捨てきれません」
「なるほど……それは由々しき事態ですね」
学長のミレーユが、老齢ながらも美しいかんばせを歪ませる。
「であれば、今すぐ生徒や民間人を避難させるべきでは?」
「それは容認できません」
教師の一人が告げた言葉は、確かに正論だ。
だがそれに待ったをかけたのは、ギレウスの背後に控えていた小柄な少女だった。
「当該勢力はこれまで完全に帝都に潜伏し、その全容は未だ把握出来ておりません。敵を釣り出すこの機を逃ぜば、永遠にそれを失う可能性もあります」
「――生徒を餌にしろとでも!?」
「そうは言っておりません。ですが、避難行動によって敵に動きを察知されることは、容認できません」
軍帽の下に見える小柄な少女の目線が、教師を圧する。
――それは軍の怠慢だろう、という教師の言葉は呑み込まざるを得なかった。
帝国において、軍事活動に民間人が協力するのは常識である。
その結果、多少の犠牲が出たとしても、求められるものは勝利なのだ。
ゆえにこそ、学長のミレーユは二人に目線を向ける。
……であればなぜ、それを自分たちに知らせたのか、という疑問だ。
何も知らせずに一方的に行動すればいい。帝国軍はそれを許される組織であり、その中でも特に、彼らは常にそうして行動してきた。
帝国の闇、その一部。名前のみが表で一人歩きする組織。帝国軍中央情報局――通称にして鴉。
構成員が誰で、どんな活動をしているのかも公表されない彼らの実態は、帝国に住んで長いミレーユもよく知らない。
(ユキト君は、彼らの活動に巻き込まれているというわけですか)
ミレーユは静かに息を吐く。
ユキトという青年が、学院にもたらしたものは大きい。だがその程度で終わる男でないというのは、最初から分かっていた。
――剣聖、ジン・ライドウの弟子。
その正体にうすうす気づいていたのは、ミレーユだけではない。特に関わりの深い理事、オーランド伯爵はそれこそ夏の時点で察していたとしてもおかしくはなかった。
「……先生」
沈黙が支配する部屋の中で、凛とした声が響く。
「私は、軍に協力したいと考えています」
全員の視線が、その少女――イリアへと向けられた。
「先生が事件に巻き込まれて……何も出来ない。このまま座して待つなんて、私には出来ません」
「それは無謀ね、オーランドさん」
ミレーユは、感情の見せない声で静かに告げた。
「貴女の実力は分かっているわ。それでも貴女はまだ学生。ユキト先生にもよく教えられてるはずではないかしら。人と戦う――いえ、本物の殺し合いというものが、どういうものなのか」
ぴく、とイリアの眉が動く。
彼女の目には見えていた。ミレーユ学長から漏れだすような、濃密な魔力の気配。
エルフという種族は、生来にして魔力が強いとされている。
だが現代魔術において、魔術の多寡はさほど重要視されない。実戦というのは火力よりも速度が重要だ。どでかい大砲一発よりも、脳天に小さな風穴を開けたほうが早いのだから。
だが、そんなことなど関係ないとまで思えるほどの、全てを押しつぶすかとも思えるほど濃密な魔力。
教師陣でさえも蒼白になってしまうほどの力を前に、しかしイリアは全く目を逸らさない。
「危険なことは、百の承知の上です」
ユキトに、何度も教えられてきた。
剣とは何か。人を斬るとはどういうことか。
「個人的な感情だけじゃない。学院の仲間が、友人たちが、危機に晒されかねないこの時にこそ、私たちは技を磨いてきたはずです」
――覚悟は、とっくにある。
何度も何度も、教えられてきた。
もうあの時とは違う。覚悟もなく、感情だけで剣を抜いたあの時とは。
「戦わせてください。ミレーユ学長。先生方」
全てを圧するような力に、ただ意思だけで前を見る彼女の目に。
ふっと、魔力が霧散した。
「――いいでしょう」
「学長……!」
「我が学院はもとより、国防に資するためのもの。生徒である前に彼らは一戦士。民間人に被害を及ぼしかねない脅威を前に、剣を抜かんとするのは当然」
――であれば、と。ミレーユは、教師たちに目線を向けた。
「私たちに出来るのは、卵である彼らを誰一人失わず、傷つけさせないために戦うことです。……皆さん、ご覚悟は宜しいですね?」
ミレーユの言葉に、教師陣の顔つきが変わる。
ヴィスキネル士官学院。その教師といえば、いずれも元軍人やハンターたちである。
教師から戦士へと顔つきを変えた彼らは、一様に頷いた。
「――さて。話がまとまったところで」
そんな彼らに、椅子に座ったままのギレウスが声をかける。
「こっちの話をいいですか? ただ戦うと言っても、闇雲じゃいけない。戦争っていうのは、事前に準備を怠らなかった方が勝つんですからね」
わずかに自嘲を浮かべつつ、告げた。
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