◆23 ~ 学徒戦、本戦①

 混乱していたのは、ユキトだけではない。

 正確には、会場の全てがそうだった。

 噂にはあった。剣聖が、ひょっとすれば戦技大会を観戦しに来るのではないかと。

 一目見ただけであっても、近所中に大声で自慢できるだろう、生ける伝説。


 それが現れたという事実は、会場を混乱に陥れ――そしてやがて時が経つにつれ、それは興奮へと変化していった。


 そして、それは出場する選手たちも含めて。


「帝都に来てから、とんでもない人とばかり会うな……」


 出場を控え、剣を確認していたシグルドは、思わず笑みをこぼす。

 一昨日は金獅子、今日は剣聖だ。生ける伝説と二回連続で会ってしまった。

 これもまた、強者が強者を呼ぶということなのだろうか?

 どちらにせよ、今日という日が伝説の一幕になったことはもう疑いようもない。


(だとしても、俺はいつも通りにやるだけだ)


 平常心。ユキトに徹底的に教え込まれたことのひとつ。

 戦いにおいてもっとも重要なものは心だ。冷静さを失ったものから死ぬと、実体験をもって叩き込まれてきた。


「しかし……初戦の相手が、これとはね」


 会場へと足を踏み入れながら、思わず苦笑する。

 その制服には、見覚えがある。帝都大学練兵科。剣術部門に出場する生徒は、生憎知らない相手だが……かの名門校の選手だ。只者でないことはどう考えても明らかで。


 実際に、彼は余裕の笑みを浮かべている。


「へえ。ヴィスキネルの。おい、ちょっとは楽しませろよ?」


 その表情からは、自分が勝つものだと信じて疑っていないのが見て取れた。

 思わず、笑ってしまいそうになって顔を引き締める。こんなところで笑ったら、あとでどんな雷を落とされるか分かったものじゃない。


 シグルドはただ息を吐き――そして開始の合図と同時。

 一足で、間合いに踏み込んだ。


「なっ――」


 電光石火のごとく一瞬で踏み込んだシグルドに、少年は驚愕に顔を歪める。


 一閃。

 首を刈り取るように放たれた一閃は……しかし空を切った。

 全力で飛びのいて、どうにか回避したのだ。


 荒く息を吐きながら、彼は剣を構える。だが。


(なんだ、こいつ……!)


 片刃の剣を正眼に構えたシグルドの眼光に、思わず気圧される。

 それは、殺気だ。

 ただ冷徹に、怜悧に、どうやって殺すかと問いかけるように。


 剣は凶器。それを抜いたのなら、そこはもう互いに命を削り、殺し合う戦場だ。


 ――シグルド・ユグノールは、ユキトに最も影響を受けた男である。

 剣術の大家、ユグノール侯爵家の剣術は、戦場から生まれたというオスマン流剣術の流れを汲みながら、独自に発展してきた。

 それは、時に節操がないと揶揄されるほどに。他流の剣を盗み、取り入れ、常に進化し続ける。


 そして、ユキトという男に巡り会ったシグルドの剣は、完全に

 もはや剣の領域において、彼はイリアの上をゆく。ヴィスキネル士官学院最強の剣士。


「征くぞ」


 ゆえに、その剣は。

 既に、学生などというレベルを優に超越していた。


 ◆ ◇ ◆


 戦技大会本戦、槍術部門。

 その三回戦となる場で、両者は邂逅を果たしていた。


「よぉ、泣き虫野郎」


 スタン・ログウェルドは槍を担ぎ、目の前の小柄な少年――リオを嘲笑った。

 明確な挑発。にも拘わらず、まるで反応を示さないリオに、彼は「ちっ」と顔を歪ませる。


 スタン・ログウェルドは帝都大学練兵科の中でも、指折りの問題児である。趣味は弱者をいたぶること、にも関わらず実力だけはあるのだから性質が悪い。

 帝大の品位を貶めると、何度となく注意されてはいるが治らない。唯一、ロイの言葉だけには従うが、それ以外は塵芥としか思っていない。


 それを許されるだけの才能が、彼にはあった。

 すべてを屈服させ、従える、圧倒的な力が。

 そして今日もまた、そうなるだろう。


 ふん、と荒く鼻息を吐き、スタンは槍を構える。

 名槍ヴァルフィエス。ログウェルド家に伝わるその槍を。


「はじめ!」


「死ねぇや――!」


 開始の合図と同時、颶風を纏いながら突きを放つ。

 圧倒的なスピード。その一撃は、まさに突きの理想形ともいえた。

 だが。


 とん、と足でステップを踏んだリオは、それを軽く横にかわす。


「甘ぁい――!」


 槍を引きながら横に振るう。槍の基本、横薙ぎである。槍というのは、先端に刃があるからこそ、知らぬものは先端にばかり注意を払いがちだ。

 だが現実は違う。槍は柄も凶器なのだ。鉄芯が仕込まれ補強された柄による殴打は、それだけで致命傷になりうる。


 もっとも、それは。

 完全に加速すれば、であるが。


「なっ――」


 柄を掴む手。

 リオは、突きを交わした瞬間に踏み込み、柄が加速する前に掴み取ったのだ。

 あまりに初歩的な失敗に、スタンは咄嗟に槍を引き――その動作が、リオのさらなる肉薄を許してしまう。


「なぁっ――!?」


 ドンッ、と衝撃がスタンの全身を貫いた。

 十分な加速をつけたショルダータックル。もしこの場に八極拳を知る者がいれば、それを鉄山靠と呼んだだろう。

 全身の力を利用した体当たりは、軽くスタンを吹き飛ばし、その手から槍が離れた。


(バ、カな……!)


 槍を手放した。この時点で、敗北は確定である。

 しかし――

 目の前に、音を立てて槍が転がった。名槍、ヴァルフィエスが。


「おいおい、これぐらいで負けてくれるなよ。俺はまだ、槍も振ってねぇぞ」


 不満げな顔で見下ろす、リオの顔。


「ぎ、さまぁ……!」


 頭をぐちゃぐちゃにするほどの怒りで、槍をつかみ取り、立ち上がる。

 だが――


「――もう二度と笑えねぇぐらい泣かしてやるよ、クソ野郎」


 リオから放たれる、突きの一閃。

 こんなものかと軽く弾くが……その次の瞬間には、スタンの目の前に槍があった。


(っ!?)


 今日何度目かになる驚愕。

 突き、弾く、突き、弾く、突き、突き、弾、突き、突き、突き突き突き――!


 息する暇もない突きの連打。

 抵抗すらも許さない、まるで疾風のごとき連撃。突くのが速いのではない。引くのが、尋常ではないスピードなのだ。

 しかもその一撃一撃が重く、的確にスタンを追い詰めていく。


 リオ・ランペルツは天才だ。それゆえに、彼は努力が得意ではなかった。彼にとって技とは派手なもの、つまり必殺技だ。ユキトに教えを乞うた時、最初に求めたのもそれだった。

 そんな彼にユキトが課したもの――それはただ、毎日千本、二千本という基礎の反復。

 基礎こそが、奥義に通ずる。これはどんな武器でも同じだ。リオはそのことを、この数か月で知った。


 ただ突く、そのことだけに幾万という理がある。基礎とは何と奥深いのか。いつしか繰り返すうち、リオはその理に魅せられていった。

 ユキトという先達がいたのも大きかっただろう。彼の基礎を突き詰めた一刀が、果てのない道の、遥か彼方に見える灯に思えた。


「く、そおおおおお――!」


 突き。ただそれだけで、もう何もできずに追い詰められ、スタンは咆哮をあげた。

 彼は全てを持っていた。才能も、金も、権力も、女もだ。たった一人を除いて、これまで挫折さえほとんど味わったことがない。

 それが今。

 リオの突きひとつで、すべてが崩れようとしている。


 だとしても――その咆哮は、なにひとつ、状況を動かしはしなかった。

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