#17 ~ 双月祭、開幕

 双月祭イリオヴィーレ

 その始まりは、旧世紀にまで遡る。


 創世記――原初には、ただ海と月があったという。

 海と、空と、そこに浮かぶ銀色の月が。

 月には一柱の女神がいた。銀月の女神はただ一人であり、故に孤独だった。彼女を孤独を嘆き、永き月日の果てに落ちた一滴の涙は、海に映る月を蒼く染めたという。


 それはどのような奇跡だったのだろう。

 女神の涙によって、海に映る蒼月にもまた女神が生まれた。


 二柱の女神は瓜二つ。

 しかし蒼月の女神は完全なる神ではなく、ゆえに法によって海に縛られ、そして隔たれたという。

 二柱は言葉を交わすことも、手を触れることでさえ叶わなかった。


 そんな時、どこからともなく、海を泳いで白い鯨がやってくる。

 白鯨は言った。「十日に一度、私が二柱ふたりの言葉を届けましょう」と。

 そうして、白鯨は女神の友として海を泳ぐことを許されたのだ。


 しかしある日、外なる空より赤き月が訪れた。

 赤き月の神は、銀月の女神に言う。どうか共に契りを交わし、果てなき空の向こうへ行こうと。

 しかし、蒼月の女神との別れを嫌がった女神は、それを断る。

 すると赤き月の神は、その槍をもって白鯨を殺してしまったのだ。


 海は血で染まり、女神の嘆きと怒りは天を覆った。

 それを見た蒼月の女神は、自ら神の法を破り、海より出でて空に上った。銀月の女神の孤独と、その嘆きを止めるために。

 だがその対価はあまりに重かった。

 蒼き月は、銀の月が隠れる、年にたった数日しか現れることが叶わなくなってしまったのだという。


 ゆえに、白鯨に変わってその言葉を双女神に届けよう……というのが双月祭の始まりである。


「実際、この季節は数日、月の色が変わるんですよ。多少、年によってズレはありますが」


「なるほどねぇ……」


 帝城前広場。

 イリアさんに解説してもらった双月神話を聞きながら、俺は軽く相槌を打った。


 なんだか妙にもの悲しいというか、救いのない神話である。

 北欧神話も最終戦争ラグナロクで世界が滅び、一部の善良な人を除いて地獄行き、なんて話だが、そこには『礼節をもって正しく生きろ』という教訓が根底にある。

 この神話、どう切り取っても教訓になりそうにないんだよな……。最初にこの神話を作った人は、一体何を伝えたかったのだろうか。


 そんな取り留めもない感想を浮かべていると、まるで波を打つように、周囲にざわめきが起こった。


「そろそろ始まる」


 アイーゼさんの言葉に、俺は視線を正面に向けた。

 帝城前広場は、見渡す限りの人の海だ。某同人誌即売会の如くひしめき合い、秋という季節にありながら異常な熱気に包まれていた。

 俺の周囲には、士官学院の生徒たち、出場しない生徒も含めた全員が集合している……はずだが、人の波にもまれ、整列など出来るはずもない。今や俺の傍に確認できる生徒は数人だけだった。


「この場に全校生徒集合って、相当無茶な気が……」


「でもこの行事を逃すなんて、まずありえないですよ」


「……近くの映画館でも中継される。正直、そっちのほうが良かった……」


「それはっ、確かに!」


 おしくら饅頭状態に愚痴を零しながら、どうにか耐えていると、後ろから一歩前へと押し出された。

 瞬間。半ばぶつかるように、イリアさんに密着する。


「ご、ごめん」


「い、いえ……」


 息と息が触れそうな至近距離で、彼女の白い肌が朱に染まる。

 胸板に触れた柔らかい感触に思わず謝罪して、どうにか身を離したとき、不意に、歓声が爆発した。


 顔を上げる。

 生憎と、人の波で本人は見えなかったが……空中に投影された映像の中、一人の男性が高台へと昇っていくのが見えた。


「宰相のメルゼス・ロヴェール閣下です」


 ひょっとしてあれが、と思ったが違ったらしい。

 恐らく年齢は六十代ぐらいか。だがしっかりとしたステージに上り、後ろ手を組んでマイクの前に立った。


『これより、双月祭開会式典を行う。本日、陛下たっての申し出により、その玉言を賜ることとなった。帝国臣民諸君、どうか静粛に願う』


 淡々と語られた言葉で、あれほどあった狂騒のような歓声がぴたりと静まっていく。

 静まり返った観衆を前に、宰相はこくりと頷き、ステージの脇に下がっていった。

 吹き鳴らされる喇叭。宰相をはじめとした面々が、臣下の礼を取った。荘厳の音楽の元で、一人の女性が壇上へと姿を現す。


 思わず声が漏れそうになって、口を抑えた。


(帝国の皇帝は、女性だったのか……)


 翡翠色の髪の上には王冠が、その手に握られた錫杖が、彼女が何者であるかを証している。

 アスタール帝国、皇帝。

 名はない。帝国に皇帝はただ一人、それゆえに即位と共に名を失い、ただ皇帝となるのだ。


 年齢は二十代――のように見えるが、それはありえない。

 即位から既に二十年近く。即位したとき、二十歳前後だったと聞く。つまり彼女は四十歳前後ということになる。いわゆる美魔女というやつだ。


『親愛なる、帝国臣民の諸君。今日この善き日を、皆と同じ空の元で迎えられたことを、ただ嬉しく思う』


 明瞭な女性の声が響く。それは不思議と、しんの底まで染み入るような声だった。


『双月祭は、常に帝国の歩みと共に連綿と継がれてきた。たとえ帝国がどれほどの苦難にあった時でも、一度として欠かされたことがない。

 それこそが、我が帝国の源流であると余は思う。

 諸君の何者に屈さぬつよさ、どんな時であっても友と手を取り合い、笑いあえる強さ。それこそが帝国そのものであり、そして余の誇りである』


 歓声が沸き上がる。

 しばらく続いた歓声に、皇帝が口元に笑みを浮かべた。波が引くように静まっていく観衆に、再び口を開く。


『余の名をもって、これより、双月祭の開催を宣言する!

 これより七日、始まるのは年に一度の祭りだ! 存分に飲み、食い、踊り、笑い、謳歌するがいい。諸君の幸福こそが、我が帝国の礎である!』


「「「うおおおおおおおおおぉぉ――!!」」」


 掲げられた錫杖に、再び巻き上がる歓声。

 それは感じたこともない熱量をもって、帝城前広場を席巻した。

 いや、きっとそれだけではない。帝都中が、その中継を見ていた帝都中の人々が歓声をあげ、街を揺らしている。


 歓声の中、壇上から降りる皇帝と、ふと目が合った。

 果たして、それは幻覚だろうか。


(今、ウィンクされたような気が……)


「先生?」


 背後からかけられたイリアさんの声に「なんでもない」と苦笑し、首を振った。そんなことがあるわけないか、と。


 歓声と熱狂が未だ治まらぬ中。

 双月祭イリオヴィーレが、その幕を上げた。


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