#18 ~ ウェストモルト

「ふぅ……」


 帝都、ウェストモルト。その一角にある小さなカフェ。そのオープンテラスでようやく腰を下ろせる場所にありついて、ユキトは息を吐いた。

 モルトというのは庶民区画を意味する言葉であり、その言葉通り、表通りと違って些か雑多な、それでいてレトロな雰囲気が漂う区画である。

 もっともそのレトロさも、こうも人が多いのでは台無しな気がしなくもない。


 ウェストモルトは、庶民区画モルトと言いながら観光名所らしい。双月祭初日、多くの観光客であふれていた。

 何でも、ある名作映画で登場したことで、一気に観光客が増えたんだとか。聖地巡礼ってやつだ。


「このカフェも、その映画で登場した有名店なんだよ!」


 鼻息荒く語るのはフェイ・イーシアだ。

 若干疲れた顔の男子と、楽しそうにしている女子の比率を見るに恐らく、どちらかというと女性に人気の映画に違いない。

 実際に、店に並ぶ行列の大半は女性のものだった。


「こんなに時間かかるなら、表の屋台にしときゃよかっただろ……」


 確かに、表通りは屋台で賑わっていて、大道芸人なんかもいて大賑わいだった。


「……言っても無駄だ、リオ」


 諦めたように息を吐き、メニューを広げる男子たちに、思わず苦笑する。

 なお同席する面々は、本戦に出場するメンバーに生徒会の面々を合わせた、なかなかの大人数だ。テラス席をほぼ独占してしまっている。


「あれ、ユキトさん……?」


 テラス席の横、路地を通りかかった女性に声をかけられて、思わずユキトは目を見開いた。


「スミアさん?」


「はい、奇遇ですね」


 奇遇というか、昨日から合わせてもう三度目。一体どんな確率だ。

 女生徒たちが顔を上げ、フェイが「あっ、アイビキの人!」と声を上げた。

 ぱちくりと目を瞬かせるスミアさんに、イリアさんがフェイの腕を抓り、「すみません」と彼女に頭を下げた。


「皆さんはご昼食ですか?」


「ええ。スミアさんは――お買い物、ですか?」


 イリアさんがわずかに首を傾げたのは、その両手に抱えた荷物が、あまりにも多かったためである。紙袋が今にもはちきれそうなほどだ。

 はい、と彼女は微笑む。その淑やかな微笑みに、男子ばかりでなく女子までも見惚れ、頬を赤くして小さな吐息を漏らした。


「スミアさん! 良かったら、ご一緒にどうですか!」


「え……」


 唐突に立ち上がり、ここ、とばかりに隣の空いた席を指さすフェイに、その横でミリーが呆れた顔を浮かべた。


「あんた、よく初対面でそこまで突っ込んでいけるわね……」


「それほどでも!」


「褒めてるんじゃなくて呆れてるのよ」


「……唐突にすみません。でも、よければどうですか? 帝都の話を聞いてみたいですし」


「その……でも」


 ふと、スミアさんの視線が注がれる先。

 アイーゼさんが、その顔を見て、見たこともないような表情を浮かべて固まっていた。驚き、というか信じられないとでも言うかのような。


「アイーゼ?」


「……ごめん。なんでもない。どうぞ座って、ください」


 アイーゼさんは首を振り、空いている席へとスミアさんを促す。


「まあ大丈夫。お金なら、先生が奢ってくれるわ。ねぇ?」


「おい……まあいいけどさ」


「そ、そんな! さすがにそれは悪いですよ!」


「いや、ここは奢らせてください。その代わりとは言っては何だけど…午後の観光に良い場所を教えてもらえたら」


 本戦組の訓練、と言うか調整は、夕方からだ。

 それまでは修学旅行というスケジュールになっている。

 今更焦って訓練したって身につくものはないし、逆に怪我も招きかねないからな。


 でも生憎、帝都に詳しいメンバーは、この面々の中にはいなかった。

 そこで、ここに住んでいたという人の意見を聞けたら、とは思っていたのだ。


 彼女はしばし逡巡していたが、女子生徒たちからの攻勢に根負けしたのか、こくりと頷いた。

 ……正直、女子生徒たちの動機は、単純にお喋りしてみたいとか、そういう類のものな気がするけど。


 やがて、各々注文した料理がテーブルに並べられると、その色鮮やかさに、女子たちは嬉しそうな声を上げた。

 だが一方。俺が座る男子のテーブルといえば。


「おい、頼みすぎだろリオ!」


 ところ狭しと並べられ、いっそテーブルから料理がはみ出している。

 レーヴの言葉に、ふん、とリオは鼻を鳴らした。


「腹減ったんだよ! 俺は!」


「言っておくけど、そっちの料理は奢りじゃないからな」


 自分で払えよ自分で。


 ◆ ◇ ◆


「皆さんは、飛空船は見たことがありますか?」


 賑やかな食事も終わり――なお男子のテーブルは、最終的にフードファイトになって、全員顔がブルーだ――食後のコーヒーを飲みながら、スミアさんはそう切り出した。


「飛空船?」


 恐らく読んで名のごとし、空を飛ぶ船なのだろう。

 俺の隣の席に座るシグルド君が、「自分はあります」と頷いた。


「といっても間近ではなく、空を飛んでいるものをですが……」


「実は双月祭の間、遊覧飛行が行われていて、一般人でも乗せてもらえるんです」


「でもそれは、今からではチケットは難しいのでは?」


 イリアさんの疑問に、「ええ」とスミアさんは頷く。


「でもこの時期だけ、遊覧飛行のために空港が一般に開放されてて、間近で見ることが出来るんですよ」


 その言葉に、女子は感心したような声を上げ、男子は顔を輝かせた。

 いつも冷静なシグルド君も、今ばかりは興味深そうにしている。


 しかしその口ぶりを聞くに、どうやら飛空船はまだ一般的ではないようだ。

 前世で飛行機は当たり前の存在だったけれど、この異世界では最新技術、軍事機密の塊。一般人を乗せるというだけでも、大変なことなのかもしれない。


「次の行き先は決まりみたいだな」


 かく言う俺だって、非常に興味がある。

 飛行船、か。俺が前世で見ていたものと、一体どう違うのだろう?


「……そういえばスミアさん、荷物随分多いですよね。しかも食料品。どうしてこんなに?」


 昼食を終え、いざ出発という直前、アイーゼさんがそう切り出した。

 スミアさんは「ああ」と両手に抱えた紙袋を見下ろし、苦笑する。


「実は今日、孤児院の方に炊き出しを……」


「孤児院に? おひとりですか?」


「いえ、教会や近所の方がお手伝いしてくださるので。双月祭の間は毎日やっているんですよ」


 そう言って笑う彼女をユキトが見ていると、ふと、誰かがその裾を引く。その主に視線を送ると、さっきまで縮こまって、一言も発していなかった桃色の髪の少女――アルネラ・ディルモントだった。


「先生……その……」


 うん、と頷いてユキトは言葉を待つ。

 彼女は、あまりコミュニケーションが得意な方ではない。こういう相手は、ゆっくりと、焦らずに言葉を待ってあげることが大切だ。


「私も……参加、したいです」


「参加? 孤児院の炊き出しに?」


 こくりと、彼女が頷く。

 それを見て、ようやく、ユキトは彼女のプロフィールを思い出した。

 彼女は孤児院の出身。その後、ディルモント男爵家の養女となったが、幼少期、六歳頃までは孤児院で過ごしたという。


(そういう意味では、俺と同じか……)


 かつては同じ境遇にありながら、彼女と同じ発想に至らなかった自分に、どこか罪悪感を覚えて苦笑する。何だがそれが自分の心の貧しさの証のようで。

 それを表に出さないように「そうだな」と頷いて、その頭を撫でた。


「スミアさん、そういうわけなんで、良ければお手伝いさせてもらえませんか?」


「えっ、でも……」


「好きで手伝う、だけだから……お願いします」


「それなら、私も手伝うわよ」


 そう真っ先に言ったのは、誰あろうミリーだった。

 仲間たちの視線を向けられ「……何よ」と眉根を上げた彼女だったが。誰かが噴き出し、そしてどこか暖かな笑いに包まれていった。


 結局、全員参加で炊き出しを手伝うことになったのだが。

 炊き出しが行われるのは明日から。試合と被って参加できないことが分かると、アルネラは気落ちした顔で俯いた。


「もうっ、それなら試合が終わってからやればいいでしょうが! アンタ、そんなんで明日の試合、トチるんじゃないわよ!」


 まったく、と腰に手を当てて呆れ混じりに喝を入れたミリーに、「はっ、はい!」とアルネラは背筋を伸ばした。

 仲が良いのか悪いのか。

 まあ、試合は心配してないけどね、俺は。

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