#26 ~ 抗えぬ力

「おい、何をしているゼロ! こいつを殺せ!」


「……無理です」


「はぁ?」


 ゼロ、と呼ばれたスキンヘッドの男が、引き攣った顔を横に振る。


「絶対に無理です。ここにいる全員でかかったとしても、一分ももちませんよ」


「なっ……!」


 ユキトはすっと目を細める。

 無理だと言いながら、この男の闘気はまるで竦んでいない。

 戦って負ける気はしない。だがアイーゼさんと、その妹を守って戦うとなると……あのスキンヘッドの男は油断できない。


「それに今この状況、力に訴えるは下策かと」


「ならば退け。アイーゼさんたちに手を出すつもりがないなら、俺も手を出すつもりはない」


 スキンヘッドの男と、視線をぶつけあう。

 だがその男は、ふっと笑みを浮かべた。


「ユキト……といったか。オーランド伯爵家の雇う剣客。お前の強さは、戦技大会で見させてもらった。だがそのお前がなぜ、この件に首を突っ込む」


「何だと?」


「これは所詮、他人の家庭の事情。この場で唯一、お前は赤の他人。第三者だ。お前がここで俺たちを皆殺しにしたとして――それは許されることなのか?」


「婦女子二人相手に銃を突き付けておきながら、よくも言えるな?」


 そう告げて、アイーゼさんたちに向けられたままの銃口を睨む。

 その銃を握っていた男は、うっと息を呑み銃口を下げた。


「こ……これは、些細な行き違いなんだよ」


 ようやく驚きから立ち直ったらしい男――確かミハイル・フラヴァルトという男は、冷や汗を垂らしながら弁明する。


「そこの彼女、アイーゼ嬢が、何かの誤解で私を襲ってきてね。さすがに殺されるわけにはいかないだろう? 彼らは私が護衛に雇っていて、少しばかり過剰反応しただけさ」


「……違います」


 その声は、ユキトの背後から聞こえた。

 アイーゼの背に庇われた、小さな少女から。


(あれは――)


 一目見て分かった。銀色の髪に褐色の肌、よく似た顔立ち。あれが、ミミ・リリエス――アイーゼの妹だと。


「そこの人は、私たちを殺そうとしてた……!」


「いや、誤解だとも。少しばかり反省してもらうだけで――」


「ミハイルさん……いえ、ミハイル・フラヴァルト。貴方の言うことは何も信用できない……!」


 ミミは立ち上がり、きっと彼を睨みつけた。


「ミミ・リリエスとして宣言します。あなたとの婚約を、破棄します!」


 その宣言に、ミハイルは顔を歪め……その上で、にやりと笑みを浮かべた。


「ああ……それは残念だ。残念だが……それは養父殿たちが認めるだろうか?」


「……なんですって?」


「式の準備はもう進んでいる。勿論の私の手でだ。この上、婚約を破棄されるとなると……さて、慰謝料はどれほどになるか」


 子供を諭すように、柔らかく、穏やかに告げながらも、その言葉は陰湿なものに彩られているように思えた。


「しかもだ。立て続けの婚約破棄――もう次はないだろうね。貴族としても底辺に落ちるだろう。リリエス家は今よりもっと苦しくなる」


 アイーゼさんの妹は、唇を噛む。

 彼の言葉は確かに正しい。貴族とは……いや、他人とはそういうものだ。そこに至るまでの事情などまるで考えもしない。


「ごちゃごちゃと、うるさい理屈を並べているが――」


 不意に、ユキトの発した言葉が。

 ミハイルも、そしてそこに居並ぶ全員をも凍り付かせた。


「そんなことは俺には関係ない。犯罪者だと? 好きに呼べばいい。俺の答えはひとつだ」


 木々がざわめき、風が不自然に揺れる。

 ――剣気。

 それが物理的な圧力さえも伴って、周囲に叩きつけられる。


「二人から手を引け。でなければ――斬る」


 ――力。

 あまりにも純粋で、混ざるもののない……それゆえに鮮烈な力。

 それは時に、容易に運命さえも捻じ曲げる。


 状況は既に、完全に一変していた。

 今この場を支配するのは、もはやたった一人。この男がもしその気になれば――すべて終わってしまうかもしれない。


 ミハイル・フラヴァルトは冷や汗を流し、スキンヘッドが庇うように前に出て構えを取る。


 痛いほどの沈黙。一触即発。

 だがそれを破ったのは……一人の少女だった。


「……待って、先生」


「……アイーゼさん」


 ユキトが振り向き、そしてわずかに驚きを浮かべた。

 彼女の眼は……折れた人間の目ではなかった。その目に宿る闘志は、いささかも衰えてはいない。


「先生の気持ちは嬉しい。でも……ごめんなさい。この場は、私に任せて欲しい」


「アイーゼさん?」


「ごめんなさい。先生が助けに来なかったら……わたしも妹も死んでたのに。ワガママだって分かってる。でも――」


「わかった」


 ユキトはふっと小さく笑い、その身に纏っていた殺気を解くと、ミハイルたちに背を向けた。


 その背を見て、ゼロはピクリと眉を跳ねさせたが……動くことはなかった。

 背を向けられてなお。――微塵たりとも、隙など見つけられなかった。


「アイーゼさん」


 ユキトはすれ違いざまに、ぽんとアイーゼの肩を叩く。


「ケツは俺が持つ。好きにやるといい」


「……ん」


 すれ違う。アイーゼは目を伏せて……そして再び顔を上げたとき。その眼は、しっかりとミハイルを捉えていた。

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