#30 ~ 重さと繋がり
イリアさんに避けられている。
それに気づいたのは、アイーゼさんの訓練を初めて三日ほど経過したときのことだった。
「イリアさん。戦技大会のことなんだけど――」
「すみません、先生。今は少し忙しくて……またお願いします」
あれ、と思った。最初は。
それが二度三度と続き、確信に変わった。
しかし、冷静に考えればそれはそうかとも思った。
なにせ――俺はアイーゼさんを鍛えている。その理由は彼女の理由に同情したからだが、その行動は同時に、彼女を負かそうとしていることと同義である。
だが彼女が、そんなことで……怒るというか拗ねるというか、そんなことがあるだろうか?
「あるんじゃないかな、それは」
と、シェリー生徒会長に断言され、俺は「うっ」と呻く。
学院のカフェテリア。テーブルを囲むのは三人、俺、シェリーさん、そしてレーヴ君だ。彼女をよく知る二人に聞いてみようと思ったら、こうなった。
「イリアちゃんだって人間だよ? そんなあからさまに、自分のライバルだけ優遇するのは」
「ふん。当然だな」
レーヴ君が鼻を鳴らす。その顔はどこか嬉しそうだ。オイ、こっちは真剣なんですけど。
「先生は、どうするつもりなんです?」
「どうって……別にどちらかだけに肩入れするつもりはないな」
勝負事なんてのは、当人同士の問題だ。それが真剣であればあるほど。他人が口を出す問題ではない、と思う。
「本当に?」
「う」
……まあ、確かに。
真剣さの度合いだけで言うのなら……アイーゼさんのほうが重いのでは、と思ったことはある。彼女は、まさしく人生が掛かっている。
だからこそ助力しようと思った。ろくに扱ったことのない槍を覚えてまで。
イリアさんは……たとえ負けても来年がある。
少しだけそう思ったことは否定できない。
「少しだけ?」
「いや……なんていうかな。俺はどうも、イリアさんも同じぐらい重いものをかけてるんじゃないか、と思うこともあるんだ」
彼女は常に真剣だ。俺が剣を教えているとき、彼女が手を抜いたことは一度もない。
理由を聞いても、彼女は『騎士になるため』と言う。だがそんな軽い理由で剣を振っているようには見えない。
――いや、それが軽いかどうかは言えないか。大事にしているものの重さなんてものは、本人にしか分からないのだから。
「なるほど。それで私たちに相談? その理由を知りたい、ってこと?」
「いや」
それは違う。
「それは、俺が簡単に踏み込んじゃいけないことだと思う」
少なくとも、本人のいない場所で聞いていい話じゃないと思う。
俺だったら嫌だ。誰だって嫌だろう。聞いてほしいのなら聞くが、話さないということは聞いてほしくない話のはずだ。
――よっぽど事情が切羽詰まっているのなら別だろうが。
「まあ、確かに。と言っても、私は学院に入ってからの付き合いだし、知らないんだけどね」
シェリーさんが肩をすくめ、レーヴ君を見る。
彼女の幼馴染という彼は、ふんっ、と鼻を鳴らす。
「知らんな。知っていてもお前に話すことはない」
ただ、と彼はつづけた。その顔はどこか自慢げだった。
「イリアは、昔からああだったぞ。誰よりも強く、努力家で――」
「そんなイリアちゃんにレーヴ君は惚れちゃったわけだ」
「ち、違う! 会長!?」
がたっと立ち上がるが、周囲の目線を感じてか、慌てて座りなおす。ごほんと咳払いをして、そして続けた。
「俺が言いたいのは……彼女は滅多に他人を頼らないということだ。弱音を吐いたところなど、長い付き合いの俺でも見たことがない」
長い付き合い、を強調して話すレーヴ君に、俺はなるほどと頷いた。
(強い……か)
確かに、その言葉は彼女にぴったりだ。
でもなぜだろう。時折、ちぐはぐに思えるのは。
彼女の剣は、とても真っすぐで美しい。
だがそれを振るう彼女は、時に儚くも見える。
あるいは――今にも折れそうな剣を、必死に抱きかかえているようにすら。
「それで、先生はどうしたいのかな?」
シェリーさんの言葉に、俺は思考の海から引き上げられる。
いかんいかん、詮索はしないと言ったのについ考えすぎてしまった。
「俺は、イリアさんも鍛えたいと思う」
そう思って声をかけたら無視されてしまったのだ。
「こうなった以上、片方だけ鍛えるのは……なんていうか、座り心地が悪いんだ」
それは言ってしまえば、俺の感情の問題だ。
彼女がいらないというのなら、それを覆す術などない。
だが――それではいけない気がしている。
なぜだろうな。しいて言えば予感だろうか。
「だったら、躊躇ってないで本人に言えばいいんじゃないかな」
彼女は呆れたように笑って、紅茶片手にそう言った。
「私だって、イリアちゃんが何を考えているかは知らないけど、そのままじゃいけないと思うなら、行動するしかないんじゃないかな。だって、それって怖がってるだけですよ」
「怖がってる?」
「拒絶されるのが怖い。触れるのが怖い。嫌われるのが怖い。先生、人間関係っていうのは大抵そういうものから破綻するんですよ」
なるほど――確かにそうかもしれない。
紅茶を飲むシェリーさんを覗き見る。
彼女はいつもの言動とは違って、とても大人びて見えた。
そういえば、戸籍上だと俺より年上なんだよな、と今更思い出す。
コミュニケーション能力の経験値でいえば、前世合わせた俺よりも上かもしれない。
「ふん。どうなろうと知ったことか」
そっぽを向いて、レーヴ君が鼻を鳴らす。だがそれを見て、シェリーさんはニヤニヤと笑った。
「またまた~レーヴ君もすっごく気になってるくせにぃ」
「……会長っ」
「あははー」
そんな二人を眺めながら……俺は、小さく笑った。
そうか。俺は怖がっていたのか。
気がつけば俺にとって、イリアさんとの繋がりが重要なものになっていたのかもしれない。
何とかしたいと思うのなら、踏み込むしかない。
まったくもってその通り。
自分自身の、人との関わりにおける経験値の少なさを恥じながら、俺もまた紅茶を口に運んだ。
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