#25 ~ 暗黒街
古都には三つの顔がある。
新街区、伝統区、産業区の三つ。だが実はこれ以外にも顔がある、とユキトが知ったのは、今日が初めてのことだった。
「こんな場所があるんですね……」
「ええ」
――スラム。壁一面にスプレーで描かれたらしい落書きを見ながら、その言葉を思い出した。
暗黒街とか、裏街区だとか、様々な名で呼ばれる地区である。
地下鉄もバスも通っていない。だからここに来るには徒歩か、車しかない。
しかし「こんなところに車で来たら、即盗まれるか潰される」とはシルトさんの言だ。治安が悪い、なんてレベルではない。まさに掃き溜めだ。
「かつて都市を再開発する際に、資金調達が問題になって中途半端に取りやめになった地区なんです。その後に半グレやら元犯罪者やら、裏の人間が住みつくようになって開発を妨害し、結局そのまま取り残されまして」
「それは、なんというか」
アメリカのスラムってこんなんだったな、と思い起こしながら、シルトさんの説明に相槌をうつ。
「ここに、ハンターの仕事が?」
「ええ、まあ」
――魔物のマの字もしないけど。
「警察の依頼です。正直、便利屋扱いされてるなと自分でも思います」
とシルトさんは苦笑する。そういえばファンタジーものの定番における冒険者も、冒険っていうより便利屋だなと思ったことは数知れず。
正義のヒーローとは、つまるところそれが本質なのかもしれないが。
「それで、今回の仕事なんですが……」
「あ、その前に」
俺はシルトさんを静止して、少し前から思っていたことを口にした。
「シルトさん、なんで敬語なんです?」
「え?」
「いやだって、最初に会ったときはこう、もっとフランクだったような」
確かそうだ。もっと年上のお兄さんって感じだった気がする。
「歳もそちらが上なんですし、もっと最初の感じでお願いしたいんですが」
「あー、それは……」
「これから教えていただく立場になるわけですし」
年上に敬語を使われることほど、こそばゆいことはない。
俺の提案に、彼は何度か悩むそぶりをして、はあと息を吐いた。
「……そうだね。うん、そうさせてもらうよ」
「お、いいですね。お願いします」
はは、と少し困ったように笑うシルトさん。
それじゃ今度こそ、と彼は今回の依頼を説明し始めた。
――今回の依頼は、警察からの協力要請によるものだ。
何でも『厄介なブツ』が盗まれ、それが暗黒街に持ち込まれた形跡があるらしい。
かといって警察が踏み込めば、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げて雲隠れしてしまう。暗黒街に警官ほど馴染まない存在はない。
「私服で来ればいいのでは?」
「裏の人間っていうのは警察の臭いに敏感なんだよ。私服でもね」
――それはつまり、誰が警察なのか顔まで把握されているということにならないか。
「その懸念は当たりじゃないかと僕も思うよ」
と、シルトさんは苦笑した。
「それで……そのブツっていうのは?」
「言えない」
即答したシルトさんに、俺は目を見開く。
「というより、知らないほうがいいかな。そういう部類のものだから」
「……もう帰りたくなってきた」
「ははは」
ははは、ではない。なんでそんな仕事に俺を誘った。
実はシルトさんって相当腹黒い性格では、と思ったが、どうやっても躱されそうな気がして、俺はため息を吐いた。
「目標は黒いアタッシュケース。ロックが解除されたり、壊された時点で分かる仕組みになっていて、開封された形跡は今のところない。……開けないでね?」
「ははは」
うっかり中身を見ちゃったりしたら、今度は俺が追われることになりそうだ。
「冗談だよ。大丈夫、鍵がなければ絶対に開けられない代物だからね」
「開けられない?」
「そう。そういうものだと思って欲しい」
鍵がなければ開けられず、鍵で開ければ遠く離れていてもわかる?
どれだけ厳重な代物なんだ。
……そんなヤバそうなことに普通に巻き込もうとしているあたり、この人、相当な腹黒では……?
「さて、これからだけど」
半眼でみる俺を無視して、シルトさんは切り出した。
「盗んだのが誰かまでは分かっているんだ。黒楼竜という犯罪シンジゲート――の配下ってとこかな。
黒楼竜は配下に無数の半グレを抱えていて、今回の事件を起こしたのはそのうちのひとつ。ただ、これは黒楼竜も把握していなかったことらしくてね」
事を知った黒楼竜は、警察に対して不介入を約束し、煮るなり焼くなり好きにしろと言い放ったそうだ。
マフィアは本当にヤバいものには手を出さない。
今回彼らが手を出したのは、それだけヤバい代物らしい。
「それで、今向かってるのが」
「そいつらの拠点だね」
話が早い。
もう拠点の特定まで済ませていたということか。
「警察がね」
……そこまでやってるなら自分でやれと警察に言いたい。
どれだけ都合の良いように使われてるんだ、ハンターは。
「まあ出来ることなら殺さずに捕まえて欲しい。
「分かりました」
顔色を全く変えずに言うシルトさんに「人を殺したことはありますか」と言おうとして、やめた。
そんなことを聞くのは失礼すぎる。
たとえあったとして、彼が望んでそうしたはずもない。
戦う、とはつまりそういうことだ。
剣は凶器だ。人の命を奪うための武器だ。その覚悟をもってこそ、はじめて剣士たりうる。
それは同時に、自分の命もまた同じだ。そして、その背に負う他人の命も。
それもまた、じいさんに教えられたことだった。
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