171日目 蚤の市(3)
そうして黙々とタスク消化に勤しんでいると、ふいにことりと何かを机に置く音がして。
「次のか――――――……、あれ?」
顔を上げると、お客さんの列の代わりに、白い立て札が視界を埋めていた。覗き込んでカードの表を確認すると、「只今受付休憩中(*'ω'*)」って女の子らしい文字で書かれている。
札を置いた主――――きーちゃんは、私を見下ろし、優しく微笑んだ。
「お疲れ様。丁度お客さんの列が途切れたところだったから。ずっと取引対応に追われてたでしょ、少しは休んで」
きーちゃん……! ただでさえ私のほうのお客さんの相手までしてくれて自分も忙しいだろうに、ここまで気を回してくれるなんて……!
うう、ありがと~。
現在一時間半経過、か。確かにちょっと疲れたかも。
というわけで、しばし二人で語らいながらまったりしていると――――――。
「対面ブティックとかうざ」
――――――ふいにそんな、棘をはらんだ言葉が耳に飛び込んできた。
見ると向かいの屋台の男と目が合い、すぐに逸らされる。
ちょっと気まずくなる私。きーちゃんもお向かいを見つめたまま黙り込んでしまった。
あ……っと、あのかんじからして、きっとうっかり出ちゃった言葉、だよね? 気にするほどのことじゃない、よね?
咄嗟にまずそう思おうとしたんだけど。
「普段から十分儲けてんだろ。なんでこんなとこにまで出張ってくるワケ。客が奪られてチョーメーワク。こちとらまともに金策励もうと土曜の貴重な時間潰してるってのに」
すらすらと男の口から吐かれる毒のある言葉。
大きな声ではないけど、絶対こちらに聞こえるように言ってる。
そして目は合わせない。
あーーーー……。やっぱめんどくさいタイプの人だったかーーーー……。
折角、慌ただしくも楽しい蚤の市だったのにな。一気にテンション、下がっちゃうな。
でもだからこそ、不穏の種をこのまま放置しておくわけにはいかない。折角楽しい蚤の市なんだから、嫌なものはさっさとデリートして、成長してしまう前に忘れなきゃ。
そう思い、私はシステムパネルを立ち上げる。えーっと名前表示……、[ゴーヤー]……、ブロック……、全部チェックっと。
目を上げると、お向かいのスペースはぽっかりと空き地になっている。これで私の世界から嫌な奴は綺麗さっぱり消えた。
ふう、と肩から緊張を抜く。冷静に行動してるようだけど、まあ普通に、あからさまな悪意を向けられるのは怖いよね。
あ、っていうかきーちゃん! あいつのせいできーちゃんまで怖い思いしてなきゃいいけど。
きーちゃん、こういうときは迷わずブロックだよ。
ブロックしたらもっと何か言われるかもとか思わなくていいからね。あんなん言葉通じないのは明らかなんだし、まともに相手する必要ないから。
と、フォローを入れようとした矢先、きーちゃんの姿を見て固まる。
彼女は背筋を伸ばしまっさらな表情で、じっと向かいのスペースを見つめていた。顔色は白く、瞠られた新緑色の瞳は揺らがない。
一見、酷く静かな心持ちで、ぼんやりと遠くの景色を眺めているようでもある。
でも私には視えた。
彼女の背中から、ずずずずず、と黒い影が立ち上っているのを。そのまっさらな表情の向こうに、『(ʘ言ʘ#)』の顔文字を。
私が口を開いたときにはもう遅く。
きーちゃんの手元に白い大きなカードとペンが現れた。私の机に立ててくれたのと、おんなじやつ。
彼女はそこに黒い太文字でさらさらと何かを書きつけると、自分の会計所の机にざんっ、と立てた。
『↑お向かいの料理人さん、ブティックさんにしょうもない文句言っただるいプレイヤーです(ʘ言ʘ#)』
ちょちょちょ、きいいちゃああああん!?
そっちですか? あなたそっちタイプですか?
他人に負の感情を押し付けられたとき、怖がるとか慌てるとかよりまず、分かりやすく頭に血が上っちゃうタイプですか?
うんなんか、不思議としっくりはきている。知ってた気がする。
だってあなた、自分のショップネームに『絶許(ʘ言ʘ#)』とか余裕で入れちゃうタイプですもんね。
『キムチ』って呼ばれるとぬらっと大魔王降臨するものね。ぬらっとどっか行っちゃうけど。
けど、こ、こういう対応は私の経験上あんまりよくないと思うよ? 大抵もっとめんどくさいことになるよ?
どうどうどうどう。
「え? びーちゃんなんか勘違いしてない? 私別にお向かいさんに喧嘩売ってないよ? ただお向かいさんって関わるとしんどそうだなって思ったから、こうしてみんなに注意喚起を促してるの」
「ウソだ! 絶対ウソだ! っていうか今のもあからさまに向こうに聞こえるように声張ったね!? ダメだよああいう人煽ったら! それでしゅんとするような人なら初めからあんな頭悪いこと言わないって!」
「えっと、びーっちゃんも十分……あ、ブロック済なのね……。やーでもそれこそまだ絡んでくるようならブロックするのみだし? ってゆーか喧嘩吹っ掛けてきた割にあの人絶対小心者だって。文句あるなら正面切って言えって話だよ。ほら、全然目え合わそうとしないもん」
「あああ……」
うん、もう分かった。こりゃ言っても無駄だわ。
っていうかこの件に関してこれ以上きーちゃんに口を開かせちゃダメだわ。一旦好きにさせておこう。
しかし拍子抜けなことに、以降お向かいさんがこちらに絡んでくることはないようだった。
意外にも、きーちゃんのファイティングポーズに対し理性を取り戻せるくらいには常識があったらしい。或いは彼女の言う通り本当に小心者だったのか……。
まあいずれにせよ、だったら最初から突っかかってこないでよって話なんだけど。
ふう、と安堵の息を吐きだしつつも、胸にはまだ一つ、小さな棘が刺さってる。
『なんでこんなとこにまで出張ってくるワケ。客が奪られてチョーメーワク』
理不尽なこと言ってるって知ってるけどさ。まあ、相手の立場を考えると分からなくもないなって、思っちゃった。
『金策』って言ってたっけ。ということはあの人、蚤の市へはキマを集めるために参加してるんだよね。
対して私はどうだろう。
あの人の言う通り、お金の稼ぎは本店のほうで十分得られてるわけで。
いわばこう、日銭を稼ぐため小さな商店を営んであくせく働いてたら、金持ちのぼんぼんが向かいに道楽でお店建ててそっちのほうが儲かってる、みたいな、なんかそんな心境だったのかもしれない。
いやこれゲームだし。たかがおままごとの通貨にそんなやいやい言うなし。
それに遊び方は人それぞれじゃん。あなたはゲームを楽しむためにキマを集めたいんだろうけど、私だってゲームを楽しみたくてこういう形で出店してるんだよ。
反論、正論はいくらでも思いつくものの、自分の尺度で他人と比べて傷付いたりやっかんだりする気持ちは、私にだって覚えがある。もっともその気持ちを攻撃に変換してきた時点で、あの人に同情する余地はない。
でも、他の人はどうなんだろうって、小さなもやもやが生まれちゃった。他の人からは、特にキマを必要としているわけでもなく蚤の市に参加してる私は、どう見えてるんだろうって。
例えばそう、さっき親しげに挨拶しにきてくれた、お隣のコハクさんや否なおさんは? もしかして私、『メーワク』な存在だったりする……?
ふと過ぎった不安に我慢できず、そっとお店周りの様子を窺うと――――――。
「………………あれ?」
――――――なんかいつの間にか、景色が随分と変わっていた。
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