40日目 病める森(4)

『追憶の樹の様子がおかしい』


 曰く、朽ちることも落ちることもないその青い果実が、しばしば赤く明滅するとのことだった。

 その件について調べていく内に、お師匠様はある事実に辿り着く。実が赤くなる瞬間とマグダラが頭痛を引き起こす瞬間の、時系列が一致していたのだ。

 樹は確かに毒に対する抗体を生みだすべく、マグダラから養分を奪っていたのだ。記憶という名の栄養素を。


 しかも厄介なことに、実が赤く輝く際、森の幻獣達が落ち着きを失う様子が観察されている。

 どうやらマグダラの記憶を吸い込んだ追憶の果実は、一際強い幻素を有しているようだ。それで実と、本来の記憶の持ち主であるマグダラが共鳴すると、森全体の幻素に乱れが生じるらしかった。

 お師匠様によると、無理に記憶を戻そうとするとよくない幻素反応が引き起こされる可能性があり、非常に危険とのことだった。


 それでお師匠様は、マグダラの記憶を取り戻そうとする試みを一旦諦めることにする。

 彼女の存在をかつての仲間――――とりわけギルトア――――にも知らせないことにした。例えばもしギルトアがマグダラに会いに来たとき、それが引き金となってよからぬことが起こらないように、と。


 しかしかと言って過去を失ったマグダラが幸せそうかというと、そんなこともなかった。彼女はしばしばぼんやり遠くを見つめては、旅に出たがったと言う。


「何かどこかに大事なものを置き忘れてきているような、そんな気分に悩まされるんだよ。それか、どこかで何かがあたしを呼んでいるような……。もしかしたらそこがあたしの死に場所ってやつなのかもしれない、ひひひ」


 彼女は冗談めかしてそう語ったが、お師匠様の目にはとても悲しそうに映ったらしい。テファーナはついに、旅立つマグダラを引き留めることができなくなってしまった。


「分からなくなったの、何が本当に正しいことなのか。多分マグダラの中にはまだ、ギルトアの影が残っているのだと思う。だとしたら納得がいく。故郷を失くした彼女が追いかけるのは、世界を見るために去って行ったあの子のことに違いないから。それに彼女、自分のことを薬師と名乗っているでしょう。薬学はギルトアの専門なのよ。マグダラはいつも彼を手伝っていたの。彼女の心は、拒否反応を引き起こす体とは相反して、彼を求めているのよ。それを思うと、私はもう、どうすることもできなくなってしまった」


 マグダラの記憶を呼び覚ますことも、彼女を引き留めることも、ギルトアに彼女の存在を知らせることも――――――。


 とはいえお師匠様は、その後も自分にできる最善を尽くそうと頑張った。


 マグダラやギルトアのことは自分ではどうにもできない。でも、なら、森は、追憶の樹に関してはどうだろうか。

 彼女はそう考えた。


 それでギルドを通じて冒険者達の協力を得、病める森の浄化作業に踏み切ったのだ。

 追憶の樹がマグダラの記憶を食らったのは毒霧に対抗するため――――――であればその脅威を無くしてしまえば、樹と、樹にとって不要になったマグダラの記憶を切り離すことも容易になるのではなかろうか。

 そんな一縷の望みをかけての決行であった。


 しかし結果は、冒険者もといプレイヤー達のいざこざがきっかけで森の主の不興を買い、挙句幻獣達のスタンピードが引き起こされるという最悪の事態に至ってしまう。


 賢人オルカの功により森の封印には成功したものの、その防壁を支えることになったのは他でもない追憶の樹であった。

 そういえば革命イベントの動画でも、追憶の樹の枝と森の周囲から生えてきた蔓植物が絡み合う場面があったっけ。


 最早立ち入り不可となった森を浄化することはできない。そしてマグダラの記憶が戻れば追憶の樹は力を失い、森を囲むバリケードは崩れ、スタンピードが再開することも必至。

 八方塞がりになってしまった。


 なんか話聞いてるとちょっと申し訳ない気分になってくるね。

 いや、例の革命イベントには私全く関わってないし、ゲーム的にはこれはこれで面白いシナリオ進行だと思うんだけどさ。

 それでもなんかこう、こっち側の責任を感じるというか、うちのプレイヤー達がほんとすみませんというか、何というか。


「おまけに前は一瞬赤く染まってもすぐまた元に戻っていた追憶の果実が、ここのところ赤くなりっぱなしで。しかも日が経つにつれて、どんどん色が濃くなっているように感じるの。だから私こうして、頻繁に様子を見に来ているのよ。恐らく、マグダラの記憶が戻りかけてるんじゃないかなって思う。ギルトアに彼女の存在がばれて、彼女のことを捜しているとのことだし、もしかしたらどこかで二人が出会っているのかも……。ううん、あなたは責任を感じなくていいのよ。きっといつかは、こうなっていただろうから」


 お師匠様は頭を振って、ほうっと憂いを含んだ溜め息を吐く。


「今となってはもう、成り行きを見守るしかないのよ……」


 ――――――その言葉を最後に、喧騒が戻ってきた。


 私はしばしぼーっとする。

 こんなに長いエピソードイベントは初めてで、且つこんなにシリアスなストーリーも初めてだったので、ちょっと圧倒されてしまった。

 まだ頭が追い付かないような、余韻に浸っていたいような。


 そんな状態だったため、周囲の異変に気付くのが遅れてしまった。私が我に返ったのは、「ぱりんっ」といういつかも聞いた、けれどそのいつかより一際鋭く大きい、破砕音が響いたためだ。


 それでようやっと何かがおかしいと思い至り辺りを見回せば、集っていたプレイヤー達が皆一様に、固唾を呑んで森の方角へ目を向けている。

 私も彼等に倣えば、丁度真っ赤に染まった追憶の果実が弾けるところだった。それはきらきらと破片を舞い散らしながら、森のあちらこちらへ降り注いで消えていく。


 瞬間、大樹に絡みついた蔦達が一斉に生気を失い、干からび、朽ち果てた。そして緑のバリケードが崩れ去り、本来の森の姿が露わになると――――――。


 ぶわり。


 ――――――突如、どす黒い靄が森から溢れだす。

 ……いや、溢れだした黒い何かは靄だけではないようだ。もっと形のはっきりとした……あれは、鳥? なんか段々大きくなっている……っていうか、近付いてきてる?

 え、何なの、この地響き。それにこのざわめきはよく耳を澄ましてみれば、周りのプレイヤー達の気配とはもっと別の……鳴き声? 獣の?


 じゃり、と近くで土を踏み締める音が聞こえた。いつの間にかすぐ横に、トンボっぽい透明な翅を生やしたお姉さんが佇んでいる。

 彼女は挑戦的に口角を上げると、私に何らかの言葉を発した。勿論セミアクティブの私にその声は届いていない。

 そしてどう対応するか迷う間もなく、視界は突如暗転した。ぴーんぽーんぱーんぽーん、と大きなチャイムが響き渡る。


『革命イベント【ゼツボウノサイカイ】が実行されました。これにより明日から一週間、緊急ワールドイベント【スタンピードを阻止せよ!】が開催されます。また関係するコミュニケートミッション、社会情勢等に変動が生じます。革命イベントの詳細については公式動画サイト“きまくらひすとりあ。”を、緊急ワールドイベントの詳細については“お知らせ”をご覧ください』


 あのお姉さん見覚えあったなあとか、何気私ブランドの服着てなかったか? とか、すべてはもう、後の祭りなのであった。

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