12. ありあまる富

 文化祭が終わり、回りの変化に驚く。

 甲斐先生が文化祭の演奏風景を動画投稿サイトにアップし、かなりの再生回数になっているらしい。もちろん、先生は学校の公式チャンネルを使っていて、軽音楽部は、学校の収益に貢献した。

 そして今日は、テレビの取材が来ている。


「これはお前、スカウトされるかもな。」


 いや、まだ芸能活動は考えてないんだけど。輝いてる男子高校生特集らしい。同じクラスの女子がインタビューを受けている。


「優しくて、爽やかで、すっごくかっこいいです!」


 そういう君は、人の物勝手に持っていってるよね、と心の中で思う。


「ごめんね。インタビュー受けてくれてありがとう。」


 声をかけると、その子はすごく嬉しそうに「そんな!こちらこそ嬉しいよ!」と言ってくれた。仲良くなれば、黙って盗んだりはしないのかも。



 部活に向かうと、音楽室に珍しいお客さんが来ていた。藤原さんだ。


「咲樹の演奏を聴きに来ました。」


 この前の、私物をとられそうになった事件からちょっと気まずい。それに、大手銀行の頭取のお嬢様と知り、自分とは住んでいる世界が違うと感じていた。

 咲樹が楽器を取りに行っている間、二人きりになる。


「あの後、物は盗られたりしていないですか?」


 あの事件の後、自分の物が失くなることについてよく考えた。


「俺、考えたんだけど。失くなっても、返ってこればいいかなって思ってる。盗られたんじゃなくて、借りられてるっていうか・・・。」


 意外な回答だったのか、藤原さんは理解できないという表情をした。


「失くなっても、失くなったって言えば誰かがくれるし、不自由してないんだよね。勝手に持っていかれるのは、まぁいい気はしないけど、俺も咲樹の消しゴム勝手に借りるときあるし。」


 藤原さんは不適な笑みを浮かべる。


「あなた、敵がいないのね。羨ましい。」


 この子は、ずっと戦いながら生きてきたんだろうな、と思った。


「案外、みんな味方だよ。俺は裏切るより裏切られたいし、騙すより騙されたい派だから。端から見ると損するかもしれないけど、本質的には損はしてない。」


 咲樹が「何?朔が難しい話?」と言って戻ってきた。


「少ししか聞いてなかったけど、私も朔に賛同する。椿はもっと肩の力を抜いていいと思うよ。まぁ、環境もあるし、なかなか簡単にはいかないかもしれないけどね。そうだ、この曲が朔の言いたいことだと思う。ちょっと弾いて良い?」


 ゆったりとしたイントロから始まる。


「♪僕らが手にしている 富は買えないよ 彼らは奪えないし 失くすこともない・・・」


 椎名林檎の『ありあまる富』だ。一番大事なものは奪えない。


「生きていると余計なしがらみとか、つまらない意地とか、そういう贅肉がついちゃうと思うんだよね。大事なのはその中にいる自分自身だから。

 それにこの前、シャーペン失くなったんだけどさ。失くなったって言ったら三本ももらっちゃった!」


 マジで?一本ちょうだいよー、と咲樹が笑う。ただ、人にキツく言えないだけかもしれないけれど、キツく言う必要性を感じていないのだから、このままの自分に自信を持とうと思った。



 その後も、俺の私物が失くなることはよくあった。

 ある日、ジャージの上着が失くなってしまった。仕方なく咲樹に借りにいく。咲樹は着ていたジャージを脱いで貸してくれたが、ちょっと小さい。その光景を見ていた、咲樹のクラスの女子がキャーキャー言っていた。

 男子が貸そうかと言ってくれたが、洗濯が面倒なので断った。咲樹の隣で藤原さんが切ない顔をしている。


「着れないこと無いでしょ。どうするの?ジャージ、買うの?」


 適当に調達してみる、と答えて体育の授業に向かった。



 今日の体育の授業は、外でサッカーだ。


「あれ?なんかジャージ小さくない?縮んだ?」


 香月がボールを持って寄ってくる。


「実はジャージの上着が失くなっちゃってさ。咲樹に借りに行ったら、その場で脱いで貸してくれた。」


 反応が楽しみで、詳細に話す。咲樹だと思い込むから抱き締めさせてとか、匂い嗅がせてとか言って迫ってくるので逃げる。


「やめろ!お前、変態に磨きがかかってるって!大体お前ら、付き合ってるんじゃないの?」


 授業のメニューでリフティングに移る。香月の運動神経はまぁまぁ良い。


「付き合ってないよ。付き合ってないんだけど、・・・ふっ。」


「え、なんで最後笑うの?けど、なに?」


 結局、言うのがもったいない、と言って教えてくれなかった。



 部活に行くと、藤原さんが音楽室の前で待っていた。


「佐倉くん、これ。実は私手芸部なんだけど、ジャージのリサイクル品を持っていて、中古でよければ。

 あの、この前は言い過ぎてごめんなさい。あなたの考え方は素晴らしいと思う。だから、『勝手に借りられて』困ってる時は、私もお手伝いしようと思って。」


 ジャージを差し出され、受けとる。微笑む彼女を不思議な気持ちで見つめる。


「藤原さんは優しい人だね。ダメなことはダメだよって教えてあげれるし、困っている人を放っておけない。尊敬する。」


 彼女は首を振った。


「私は、あなたのようにダメなことを許すことができない。だから私はあなたのことを尊敬してるわ。」


 そう言って去っていく後ろ姿が凛としていて、なんだか胸が締め付けられる。自分には無い強さが眩しいのと同時に、彼女ともっと近付きたいと思った。



 音楽室に入ると、まだ誰もいなかった。ジャージを着てみるとちょうど良い。咲樹にサイズ聞いたのかな?

 ポケットに手を入れてみると、何か紙が入っていた。『Lサイズ 右袖にほつれ有り』と書かれていた。

 右袖を見ると、ほつれは分からないレベルで修復されていた。なんだか温かい気持ちになる。


 香月と咲樹が一緒に音楽室に入ってきた。二人は成績が良いため、何かと委員会に駆り出される。


「あれ、ジャージあったの?」


 咲樹に借りていたジャージを返す。


「今日、咲樹のジャージ着てたら、マジで大変だった。」


 香月の方を見るとちょっと焦っていた。面白い。

 咲樹は「え?小さくて動きづらかった?そんなに小さくないじゃん。香月だったら動きづらいかも。」と言って香月を見る。

 咲樹の身長は160センチでMサイズ、俺は168センチでLサイズ、香月は177センチでLLサイズだ。

 咲樹が、私も忘れたら借りにいくね、と言うと、香月はむっつりな顔をしていた。たぶん、自分のジャージを着ている咲樹を思い浮かべている。


「そうそう。このジャージは失くなったって言ってたら貰った。」


 最近は貰うことも多いため、誰に貰ったのかは触れられなかった。



 ボイストレーニングは週一で通っている。最近、先生には色っぽくなったと褒められた。そしてレッスンの後に先生の愚痴を聞いてあげるのが習慣になってきた。旦那さんにかまって貰えなくて寂しいらしい。

 その穴を埋めるために軽い気持ちでハグと頬へのキスをしてあげたところ、毎回それを求められるようになってしまった。いつも自分が巻いた種で苦しめられる。どうやってやめれば良いのか分からない。


 十二月に入って二回目のレッスンの時、遂に深みにはまってしまった。


「佐倉くん、今日もハグして欲しいの。」


 いつものようにハグをすると、ソファに押し倒された。

 そのまま唇にキスをされる。


 先生は人妻だ。自制してくれるって思っていたから、迫られることを想定していなかった。


「先生、この先はさすがに・・・。」


「大丈夫。誰も来ないし、外から見えないから。」


 ズボンのベルトを外される。


「え、先生、待って下さい。ホントにするの?初めてだし、ゴムとか持ってないし・・・。」


 色っぽい体で迫られ、体は正直に反応している。先生ってこんなに肉食だったの!?

 まずい、ホントに。


「据え膳食わぬは男の恥でしょ?びびってんじゃないわよ。経口避妊薬飲んでるからそっちは安心して。」


 そういう問題じゃないって。

 初めては好きな人と・・・。

 好きな人って誰?竹下先輩?藤原さん?

 今の俺はどっち付かずでどちらも手に入れられない。それにここで逃げたら、先生は傷つくのかな。

 キスが深くなる。もしかして、このまま体験したら、あのキスの記憶も薄れるかも。


「・・・今回限りです。もう次はないですから。」


 何やってんだろう。こんなことしてるなんて竹下先輩が知ったらどうするのかな。藤原さんは幻滅するか。

 また流される。ダメな人間になっていく・・・。

  


 終業式の前の日に、クリスマスライブをやるらしい。その前に期末テストである。勉強が苦手な俺は、部活を休んで図書室で勉強することにした。意外と空いている。奥の窓際の席に藤原さんがいたので声をかけた。


「藤原さんもテスト勉強?」


 小声で聞くと、首を振る。読んでいる本のタイトルを見せてくれた。推理小説みたいだ。


「佐倉くんはテスト勉強?図書室に来るなんて珍しいね。」


 ヤバイんだよね、と言いながら教科書を開く。頭にはてなマークを浮かべていると、藤原さんが教えてくれた。


「藤原さんはなんで図書室で読んでるの?借りていって家で読めば良いじゃん。」


 寂しそうな表情で見つめられて、ドキッとする。


「家、あまり好きじゃなくて。」


 何か我慢しているのかな。お嬢様も何かと大変なのだろう。あまり聞いてほしくないかな、と色々聞くのはやめておいた。


「・・・優しいのね。ありがとう。」


 うん、と言ったら会話が途切れた。無言だけど、心地良い時間だった。


 最終下校のチャイムが鳴り、慌てて帰り支度をする。とりあえず、赤点は免れそうな気がする。分からないところは咲樹に聞こう。


「お疲れ様。凄い集中力で、感心しちゃったわ。」


「そうかな。本当はこの高校も、咲樹が受けるから俺も受けたんだ。一緒にバンドやりたくてさ。だから実力が伴ってなくて、勉強面はちょっと苦労してます。」


 藤原さんは柔らかく笑う。こんな笑い方するんだ。正門まで一緒に歩く。


「入学出来たんだから、実力が伴ってないなんてそんなこと、無いと思うわ。良いわよね、双子の兄妹。私も、咲樹と仲良くなれて、この高校に入って良かったなって思っているの。

 彼女はしっかりと自分の芯を持っていて、興味のあることに貪欲で、格好いいの。それに、少し天然なところが可愛らしくて、大好き。」


「咲樹はこんなにちゃんと仲良くなったお友達、初めて出来たんじゃないかな。咲樹も毎日楽しそうだよ。なんか、彼氏も出来たっぽいし。」


 藤原さんはニヤニヤしだした。


「やっぱりそうなのよね?相手は笹蔵くんでしょ?すれ違う時に二人の空気が一瞬変わるのよね。いいなぁ、素敵!ふふふっ!」


「藤原さんって、話してみると印象変わるね。」


 笑ったところとか、めっちゃ可愛い。いつもはツンツンしてるのに、ギャップ萌だな。


「え?それは喜んで良い方の『印象変わるね』かしら。そもそもどういう印象だったの?」


「俺とは逆で、正義感が強くて、物事をはっきり伝える固い感じの子かなって思っていたけど、咲樹の話してる時とかはニコニコしていて、フワッと笑うところとか可愛いなって思った。」


 本心を素直に伝えたら、彼女は盛大に照れる。照れた顔も可愛い。


「か、可愛いとか、簡単に言わないでよ。同世代の男の子には言われ慣れてないから、なんか恥ずかしい。

 あなた、プレイボーイって噂なの。私は噂は信じないけれど、前情報として警戒はしてるのよ。前に騙されたことがあって。」


 同世代じゃない男性には言われ慣れてるのか?まぁ、噂の事は仕方ない。あながち間違ってないし。

 騙されたことあるんだ・・・。


 正門の前に黒塗りの高級車が停まっている。藤原さんが近づくと、運転席からビシッとスーツを着た男の人が降りてきて、後部座席のドアを開けた。


「お帰りなさいませ、椿さま。」


「田中さん、お迎えありがとうございます。じゃ、佐倉くん。テスト頑張ってね。」


 笑顔で手を振ると、田中さんと呼ばれていた男の人にもお辞儀をされた。

 うぉー、凄い。ご令嬢って感じ。

 でも、良い子だな。少し近付けたかな。もっと彼女のことを知りたい。

 


 学校の最寄駅まで歩いて行くと、見覚えのある後ろ姿が誰かを探しているようだった。

 ここは、声をかけるべきか、気付かなかった体で通り過ぎるか。うーん、通り過ぎよう!と少し早歩きをしたのが逆に目立ったのかも。


「佐倉!」


 気付かれた。声の主に向き直る。


「あれ、竹下先輩。」


 いたの知ってるけど。この感じは、明らかに俺を待ってたっぽい。


「話したいことがあるんだ。少し時間貰えない?」


 仕方なく承諾すると、近くの公園に連れて行かれた。少し距離をとってベンチに座る。

 なかなか話し始めないので、こっちから切り出す。


「話って何ですか?」


「ごめん、時間取らせてるのに。この前の文化祭、凄くかっこ良かったよ。ビックリした。」


「ありがとうございます。彼女は来れなかったんですか?尚と二人だなって見てました。」


 じっとこっちを見てくる。


「彼女とは別れたんだ。夏の大会で佐倉と対戦した後、俺の様子が変わったらしくて、振られたよ。他に好きな人がいるのかって問い詰められて、正直にいるって答えた。」


 視線が熱い。まずい、あの時と同じ空気が漂う。


「佐倉こそ、彼女いるんじゃないの?その、キスしてたし。」


「あぁ、あれですか。何て言えば良いのかな。元カノ?って言っても、三分間しか付き合ってないですけど。そういう女の子、もう二十人くらいいます。お陰でチャラいって噂されてます。でも、キスも頬にしかしてないし、ちゃんとした彼女はいないです。」


 先輩は何故かほっとしたような表情で見つめてくる。


「やっぱり、好きで仕方がないんだ。俺と、付き合ってほしい。」


 来た・・・、恐れていた発言が。

 俺は竹下先輩のことをどう思っているのか。

 先輩に彼女がいるって知ったときのモヤモヤした気持ち、バスケの試合で俺が近付いたときに動揺している彼の態度を小気味良いと思ってしまった自分と向き合って考えてきた。


「付き合うって、何するんですか?友達じゃ出来ないこと?」


 あのときのキスを思い出す。はっきり言って忘れられない。


「そうやって考えると、何だろう。じゃあ、付き合うとかじゃなくて、一緒に遊びに行こうって誘っても良い?」


「まぁ、そういうのなら。」


 すっごい嬉しそう。あぁ、どうしてまた拒否れなかったんだろう。下手に期待を持たせてしまった。自分も沼にはまっていく感覚がする。


 同じ電車に乗り、同じ駅で降りる。同じ中学校だったし家が近い。


「あの時、佐倉が女の子とキスしてるのを見た時、おかしくなりそうだった。」


「ヤキモチで?そんなに俺のことが好きなの?先輩には申し訳ないけど、彼女が出来たら遊べなくなるので。それに俺、もう童貞じゃないですから。」


 最後の言葉に一瞬顔が強ばったけれど、何故か頭を撫でられる。


「うん、好きだよ。俺はただ、お前の特別になりたいだけ。」


「はぃ?そんなのもう、特別な存在です。初キスの相手だし。」


 それに、俺自身のセクシャリティをぶっ壊した人だし・・・。


「お前と会うまでは女の子が好きだったんだけどな。だから、学校が離れてからは元に戻るかなって、女の子と付き合ったりしてもがいてたのに。目の前に現れんなよ。」


「その意見は、そっくりそのままお返ししますよ。」


 先輩は俺を家まで送ってくれた。


「電話とかもして良い?」


「すれば良いじゃないですか。応答できるかは分かりません。」


「まったく、こんなに小悪魔だったっけ?中学の時より色気も出てきて、翻弄されっぱなしで心臓が持たない。」


 帰っていく竹下先輩の背中は、どこか嬉しそうに見える。どっちかが女だったら、うまくやっていけたんだろうな。

 結局、はっきりしない関係性で繋がっておくことを選択してしまった。

 誰かに、お前じゃないとダメだ、離れられないって求められることが嬉しくて、竹下先輩を繋ぎ止めている自分にため息をついた。

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