2. エイリアンズ
夜空の中に、点滅しながら去っていく光を見つけると甘酸っぱい夏の終りを思い出す。キリンジの『エイリアンズ』という曲が脳内で流れる。歌い出しの「遥か空にボーイング」というフレーズがそうさせるんだろうか。
高校三年生の夏休み。特に用事も無く、家でギターを弾いたり、曲を作ったり、作詞をしたり、文章を書いたり、一人で映画や演劇を見に行ったりとそれなりに充実した夏を過ごしていた。
普通の高校三年生はもっと、忙しいのかもしれない。大学に進学する人は受験、就職する人は就職活動と、将来に向けた何かしらの活動をしている。
僕は将来、具体的にどうしたいというのが無いけれど、面白いことをしたいとは思っていた。でも、自分の思う面白いことと他の人の面白いことが一緒かどうかがわからない。自分の感覚だけで突き進んでいいものなのか、戸惑いなが足踏みしている状態だった。
そんなある日、駆け出しピアニストの兄の知り合いから、ギターレッスンの講師をしないかという話があった。素人なのに、二週間集中レッスンで二万円ももらえるということで即了承し、次の日からレッスンに入った。
教え子は中学二年生の男女の双子だ。中二は子どもだと思っていたら大きな間違いだった。彼らは四つも歳上の自分より大人だと感じることが多々あった。
兄の朔くんはよく空気を読んでいて、自然に僕の懐に入ってきた。妹の咲樹ちゃんは頭の回転が早く、僕が何を言いたいのか、どうしてその言葉を選んだのかまで推測し、先回りして待っているような子だ。そして、二人とも顔立ちが整っていて、特に人懐っこい朔くんはモテるだろうな、という印象を受けた。
ギターを教えるのは初めてだったが、とても楽しかった。教えたことがちゃんと伝わって音を響かせると、とても達成感がある。特に咲樹ちゃんは吸収が速く、打てばすぐに響くのでどんどん教えたくなった。それに彼女は、打ち解けるにつれて見せる表情一つ一つが可愛らしい。
笑うときは少し口を押さえて「ふふっ!」って言う感じとか、頭をなでなでしたくなる衝動に駆られる。会話のラリーも違和感が無いし、話していて楽しい。
もっと彼女のことを知りたい、近付きたい。
夏休みのギター練習も残すところ二回となった日、朔くんがバスケ部の試合のため参加できず、咲樹ちゃん一人で練習にやって来た。
「今日は咲樹ちゃん一人なんだね。じゃあ、ちょっとレベルあげようかな。」
彼女のおかげで「涙のふるさと」に出会った僕は、自分に自信がついた気がする。これは、彼女と仲良くなる絶好の機会だ。
朔くんとはすっかり仲良くなって、彼は僕の事を「たっくん」と呼んでくるが、咲樹ちゃんはなかなか呼び方を変えてくれないでいることを少し寂しいと思っていた。ギターを真剣に弾いてる横顔から目が離せない。
昨日は家に帰ってからも、彼女の表情や声を思い出した。これは恋だという自覚はあった。
しかし、相手は中学生だ。中学生と付き合うとかってアリなのかな。付き合ったらキスとかしたくなるだろうし、絶対に我慢できる気がしない。そんなことしたら俺は、犯罪者になるんじゃないのか?
そんなことが頭の中でぐるぐると巡り、積極的なアピールは出来なかった。そこで、事故でも良いからいい雰囲気にならないかな、と選曲したのがキリンジのエイリアンズだった。
「では、今日はカッティングという弾きかたを教えます。一回演奏してみるから、見ててね。」
使い込んだアコースティックギターを構え、演奏を始める。曲が持っているムーディーな雰囲気を全力で表現する。カッティングは心地良いリズムで音を切る演奏法。
思いきって彼女を見つめて歌った。その甲斐あってか、演奏が終わると彼女は目を輝かせて拍手をした。
「この曲、キリンジのエイリアンズって言う曲なんだけど、良いでしょ?」
咲樹ちゃんはうんうん、と頷き、歌詞を検索する。楽譜はないので、彼女は僕の演奏をコピーし、歌い出しまでたどり着いた。透明感と雰囲気があるいい声だ。
「そこまで出来ればあとは練習だね!咲樹ちゃんが歌う声はじめて聴いたけど、透明感があって俺は好きだな。ほんとはフルコーラスで聴きたいけど、残念。」
なんだか照れてしまい、顔に血が上る。咲樹ちゃんとももうちょっと仲良くなりたいなと思いながらも、相手は中学生だという意識が自分の行動を抑制する。中学生じゃなかったらどうなんだろう。彼女にも、中学生じゃなくなる日が来る。
「あのさ、咲樹ちゃんてスマホとか持ってないの?」
何とか繋がっていたくて、気付いたら言葉が出ていた。
「持ってますけど。」
彼女も少し躊躇いながら、繋がる手段を絶たないでいてくれた。
「よかったら、連絡先教えてくれないかな。あ、特にコンプライアンス的に良くないことは考えてないので・・・。」
コンプライアンス的に良くないことって何だよ・・・。我ながらあたふた感が半端ない。咲樹ちゃんも顔を赤らめていて、二人して緊張しながら連絡先を交換した。
「フルコーラスで演奏できるようになったら、連絡してほしい。あ、別に違う理由で連絡くれても良いんだけど。」
中学二年生にとって、高校三年生はずいぶん大人に感じるはずだ。僕の事、気持ち悪いとか思ってないかな、と不安になるが「キモいは褒め言葉」と言ってくれた彼女の言葉が背中を押した。
「僕の登録名、たっくんでいいからね。」
彼女の表情が見たくて顔を覗き込むと、思いの外近くなってしまい、心拍数が上がった。肌綺麗だな・・・。触りたい。でも、触れなかった。
集中レッスンも終わり、一ヶ月が経った頃も、彼女から連絡は無かった。
『久し振り!エイリアンズは弾けるようになった?』
何度この言葉を心の中で唱えたか分からない。電話を手にしてこっちからいざ連絡をしようとすると勇気が出ない。何せ相手は中学生だし、迷惑なんじゃないかとか、余計なことを考えてしまい、結局連絡しないまま時が過ぎた。
秋になり、自分の三者面談では先生に進学した方がいいと何度も言われた。
「僕は僕の生き方をしたいんです。誰かに決められた人生じゃなくて、僕の人生は僕が選択する権利があります。だから、進学も就職もしません。僕は表現者として修行するため、劇団に入ります。生活するためにはアルバイトをします。」
悪い先生じゃないし、心配してくれているのは分かった。そんな先生に、うちの父親は頭を下げてくれた。
「先生、人生は一度きりですから。コイツには自分が決めた進路を進んでほしいと思います。失敗しても良いじゃないですか。生きていれば大概のことに遅すぎることなんて無いと思っています。今はやりたいこと、今しかできないことをやらせてあげて下さい。」
先生は渋々、進学も就職もしない道を認めてくれた。でも、卒業後に所属する劇団だけは早く決めろと釘を刺された。
『人生一度きりですが、それは有限です。』と。
「親父は何で進学を進めないの?」
「進学したからって豊かな人生を送れる保証はないんだ。だったら、やりたいことをちゃんとやった方がいいだろ。それに俺だって、そうやって生きてるし、冬馬だってそうやって生きてる。」
親父はそこそこ売れている声優だ。兄の冬馬はピアニスト。母親は舞台女優で、二年前に離婚してからは会っていない。離婚の原因は母親の浮気だった。その影響か、俺は女の人と話をしたり、同じ空間に居ることが苦手だ。
咲樹ちゃんは貴重な存在だったな。やっぱり、連絡取ろうかな。
色んな劇団を見てきたけれど、こんなことまで生の舞台でやるの!?と一番心を打たれた劇団に入団を決めて門を叩いた。あっさりと入団が決まり、高校を卒業すると、まずは掃除などの下働きから修行が始まった。
咲樹ちゃんへの連絡はタイミングを完全に逃し、今に至る。どこかでばったり会わないかな。
彼女を思い出したくなると、エイリアンズを演奏する。コンプライアンスとか考えなくていい時期になるのを待って、再会するきっかけを考えながら。
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