何故か空き教室に居た美少女に泣かれた件

結城きなこ

プロローグ1

ほのかに香るコーヒーの匂いや急ピッチで生徒用のプリントを作成する先生、そして窓際の一角で怒られる生徒と教師、この職員室では当たり前の日常であった。


「それで進学か就職か決めたの?もうかれこれ1ヶ月だよ」


数分間担任と見つめ合い、気詰まりな空気を出していた場を壊したのは担任の方だった。


「それは……まだ決まってないです」


困り顔で指をいじりながら担任の顔を見る。多少はなんとかしてくれる担任だが今回ばかりは少し不機嫌そうだ。

しかし、どっちにしろと言われても決めることは出来なかった。

篠山春翔にはやりたいことが何もないのだ。普段であれば多少の妥協は効くように色々考えるのだが、今回ばかりは先がどうなるか分からないためいつまで経っても決められない。


「私はお金が安定しているんだったら進学でも良いと思うよ。選べる場所も結構あるし、就職が決まらないって思うなら大学が一番良いと思うけど」


担任は僕の態度に機嫌を悪くしつつもいつもと同じ声色で語りかける。

ただ進学は進路指導の先生に薦められて何度か検討したことがある。しかしどの場所も面白そうではないのだ。

大学が勉学に突出した場所というのはよく分かっているし、楽しさを求めていく場所ではないのはよく分かっている。

だけど雰囲気がどこも重いのだ。生徒獲得のチャンスと自分達は景気良く話してはいるつもりなのだろうが微塵も明るさを感じられない。

そんな大学には行きたくはない。専門学校も右に同じだった。確かに大学ほど真面目な人間はあまり居なそうだが、その分ちょっとしたミスで孤立する確率もある。そう考えるとどっちもどっちなのだ。


「進学はあんまり気乗りしません」


僕はやんわりと担任の提案を断った。せっかく提案してくれたことを断った気まずさから篠山は担任の顔を見ることが出来ず床の模様を見る。


「先生的に君は進学がいいと思います。気乗りしないと言いますがこのまま就職しても結局惰性のままやり続けていつか後悔すると思います」

「惰性で続けてしまう……確かに」


担任に言われてハッと気付く。この先何も分からないのだ。就職してしまったら辞めさせられまで結局やり続けることになる。でも進学もそうならない可能性はないとは言えない。どう考えても悪い方にしか考えが進まず歯噛みする。


「でしょ?だから進学しましょ」


担任は持ち前の明るいトーンで僕の進学を推薦する。


「でも、進学は気乗りしな——」

「就活だるいよ。なんなら私は一年くらいは浪人しても良いとか考えてたし」

担任はわざとらしく椅子の背もたれに寄り掛かりクルリと椅子を回転させる。


「それは、そうかもしれないけど」

「その点、進学は楽。希望出して先生方にハンコもらってそして勉強していざ受験」


面接はめんどくさいけどね、とちょっと文句を言って先生は僕に目を向ける。

どうやら担任には進学以外頭に入っていないらしい。

そこまでお薦めして何がしたいのか分からないまま僕は担任からボールペンを受け取る。


「お薦めしてあれだけど、授業休んで考えてみたら?校内のどこかにいるなら私も擁護は出来るし」


丸を付けるために紙にペンを押し当てた瞬間に言われた一言に篠山は少し驚く。

生徒思いの先生だからこそなのだろう。本来なら先生は絶対に言わない言葉であり先生らしからぬと校長に怒られるのを覚悟の上で投げ掛けてきた。


「流石にそこまで迷惑はかけられませんよ」

「迷惑とは思ってないよ。だってそういうのが好きでなったんだもん」


先生は笑みを浮かべて引き出しから一枚のプリントを取り出して僕に見せる。


「これは課題プリントですか?」

「どっちにしようとか頭で悩んでても分かんないでしょ?だからこれは先生からの課題です」


担任の優しさなのか生徒のためにと直筆で頑張った痕跡が紙には残っている。いつ作ったプリントなのかは日付が付いていないから分からなかったがそれでも合間を縫って作られたプリントを無碍に出来ず、おずおずと受け取った。


「課題……」

「それは絶対にやってほしい宿題じゃないからやりたくなかったら捨てちゃってもいいよ」

「良いの!?」

「うん、全然いいよ」

「いや、でも先生頑張ったんじゃ」


そう言うと担任は口を尖らせてぶつぶつと文句を言い始めた。


「みんなこれ要らないって言われるし」

担任の珍しい文句に僕はただ呆然と見つめる。

篠山にとって誰かの文句を聞くことは初めてのことであり、まして自分よりも目上の人がそういうことを言うのは今まであった常識を崩された気分だった。

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