第41話 神崎沙綾、面倒くさい彼氏に絆される

「で、沙綾は俺にどうして欲しい?」

「は? 」

「だから、沙綾を傷つけた罰だよ」


 寺井達と話す沙綾をジトッと見ていた昴が、クイクイと沙綾の手を引っ張って沙綾の意識を昴に戻した。


「浅野さん、流れた話を元に戻すんっすね」

「どんな確執も残したくないから。今までの自分をかえりみると、沙綾には真摯過ぎるくらいでちょうどいいんじゃないかって思うし」

「浅野さんって、けっこう面倒くさいんですね」


 昴の株が駄々下がっているように思えるのは気のせいだろうか?


 谷田部のウワッという表情と、寺井の眉を寄せた表情は、エリートイケメン社員で名高い昴に向ける種類のものではない気がした。

 特に寺井、身体から籠絡するんではなかったのか? いつもの男性社員の前でする鼻にかかった甘ったれた声ではなく、トイレでたまに耳にする気の強そうなハキハキした喋り方に変わっているし、何より表情が……やさぐれた感溢れている。


「結菜ちゃん、素になってるよ」

「だって、仕事もできて、うち一番のイケメンで人当たりも良くて穏やかな人格者、どんな美女に言い寄られても落ちないクールな一面も人気の浅野昴がですよ、地味ーな神崎沙綾にべた惚れなあげく、チ○コに彼女の名前彫るとかマジでイミフな発言しちゃうんですよ」

「いや、本当にはやらないっしょ。さすがに痛すぎる。というか、その可愛い口でチ○コとか言うの止めようよ」


 谷田部がさり気なく股関を押さえながら、乾いた笑いを浮かべる。


 いや、そんなとこに名前彫られても怖いですから。切に止めて欲しい。彫ったよと言われて見せられても困るし。


「いや、沙綾がやれって言うならやる。絶対に浮気しないって証明にもなるし」

「それは止めてください。……絶対に」

「じゃあ……」

「何も……しなくていいです。あのこと、誰にも話せなくて……。ずっと重い石を抱えているような、嫌な気持ちだったんです。……でも、話したら少しすっきりしました。だから、罰とかそういうはなしで」

「そんなくだらない馬鹿げた賭けをするような男、ただのクズだから! 」

「そうだよ! そんな男ばっかじゃないっすよ」

「谷田部さんはどちらかと言うとクズ寄りじゃない? タイプは違うけど」

「結菜ちゃーん、酷いっしょ」


 谷田部と寺井がギャーギャー始め、沙綾はそのやり取りにクスリと笑った。

 沙綾が喋らなくても谷田部と寺井がひっきりなしに喋るし、全員がマイペースなせいか、沙綾に何も求めてこない。沙綾が黙っていることで場の雰囲気が壊れるとか、ノリか悪いとか言われることもない。自分とは全く接点がなさそうだったイケメンや美女に囲まれて、何故こんなに居心地が良いのだろうか。


 いまだに握られている手が温かく、視線を向けるとどっぷり落ち込んで反省顔の昴がいた。今にも泣きそうな顔のイケメンとか、仕事中のキリリとした昴からは想像できないレア中のレアだろう。沙綾は以前号泣した昴を見ているが、それは沙綾しか知らない一面だった。身長は沙綾より遥かに大きいし、スーツを着て立派な成人男性である筈なのに、その表情を見ると小さな男の子のように見えた。


 可愛い……。


 千奈津にするように、ギュッと抱きしめて頭をヨシヨシしてあげたくなる。そして、ある程度酔っぱらっている沙綾は、抱きしめはしなかったものの、昴の頭に手を伸ばして撫でてしまった。


「……そんな顔……しないで」


 昴は一瞬ビックリした表情になったが、すぐに嬉しそうに沙綾の方へと頭を差し出した。昴が笑顔になったのが嬉しくて、沙綾は昴の頭を繰り返し撫で続ける。


「……ウワッ、浅野さんがデレデレだ」

「何、これってプレイ見せつけられてる? 」


 プレイって何?


 沙綾の手の動きが止まると、昴は「チッ」と舌打ちする。


「浅野さんってそういうキャラだったんですね。そう思うと、いつもの穏やかそうに見える笑顔が無茶苦茶胡散臭いわぁ〜」

「いや、元から若干胡散臭さはあったっすよ。女の子には余計作り笑顔バリバリで完璧に壁作ってたけど、後輩とかの男性社員の前ではたまにぞんざいな態度になってたっすから」

「失礼だな。というか、社会人なんだから外面はよくしとかないとだろ。それに女子社員に嫌われると、仕事がしにくくなるからね」

「さっきまでとか言ってたのがになってるし、外面とか言い切っちゃうし。面倒くさいし胡散臭いし……、うん、神崎さん頑張ってね! 」


 良い笑顔の寺井にガッツポーズを取られ、沙綾は意味もわからず「ハァ」と頷く。


 それからしばらく飲んで(沙綾はソフトドリンクにさせられた)食べて、店を出る時には寺井のことは名前呼びするように強要され、沙綾の独身の従兄弟を紹介することを約束させられていた。結菜とアドレス交換をした時、谷田部が「自分も! 」と騒ぎ、昴に即却下されてブチブチと拗ねていたが、沙綾に連絡したかったら自分に連絡すればいいと、谷田部は昴の私用のアドレスをゲットしていた。昴は「絶対に流用するなよ」と谷田部に念を押すことも忘れなかった。


「じゃ。谷田部は寺井さんと同じ路線だろ。ちゃんと送ってあげなよ」


 昴は隠すことなく沙綾の手をがっつり握ると、片手を上げると二人揃ってマンションの方へ歩き出した。谷田部はそんな二人の後ろ姿をジッと見送る結菜に声をかけた。


「けっこうマジだったんじゃねぇの」

「……」

「泣く? なんなら胸かすけど」

「いや、ちょっと無理」

「じゃ、とことん飲む? 今日限定で送り狼にはならないって約束するよん」


 結菜はニッと不敵な笑顔を浮かべた。


「私、ワクですよ。谷田部さんがつぶれたら置いて帰りますからね」

「お、いいねぇ。俺、飲める子好きなんだよね」


 お調子者のイケメンと、秘書課の美人ルーキーは昴達とは逆方面へ歩き出した。

 谷田部達が居酒屋に入って焼酎で乾杯をした頃、昴と沙綾はマンションに戻っていた。寒い中歩いたせいか、すでに酔いが覚めた沙綾は、昴にお茶を出していた。


「なんか、いきなり飲みになっちゃったね。明日が居酒屋初体験の筈だったのに、前倒しになっちゃった。やっぱり明日ホテルディナーにする? 多分予約は取れるよ」

「バル? って言うんですよね、今日のところ。居酒屋は明日が初体験ですよ」

「まぁ、今日のとこは洋風居酒屋だけど、明日は和風の小料理屋っぽい居酒屋だから、雰囲気は違うかな」

「色々あるんですね」


 沙綾も昴の横に座りお茶をすする。今までL字でローテーブルを囲んでいたのが、真横に座れるようになっただけ、ぐんと距離が近くなった気がする。

 肩や膝が触れても、緊張することはもうない。手を繋いだり軽いハグをしたりと、昴がさりげなくスキンシップを欠かさないせいもあるが、一緒にいればいる程、彼女としてというより、母性が求められている気がしたから。身長差があるせいか、挨拶がわりに旋毛にキスされることが多いが、性的な触れ合いではないことは確かで、これで彼女で良いのだろうか? という疑問がいつも頭にあった。


 オカンでは?


 そりゃたまに昴のスバル君が反応することもあったけれど、だからって沙綾に襲いかかってくることもなく、涼しい顔でどこぞへ(おそらくトイレ)消える。「沙綾が可愛いから勃っちゃったよ」と言うのがあまりに自然体で、沙綾も無言でスルーするものだから、色っぽい雰囲気は皆無である。「沙綾が可愛いから……」とか言いながら、ただの自然現象を沙綾のせいにしてるんじゃないかと沙綾は思っていた。


「……ハアッ、今日は本当にごめんね。すっごく反省してる」


 昴が甘えるように額を沙綾の頭に擦りつけてくる。


「怖い思いした沙綾に、さらに追い打ちかけるようなこと言って。こんなにヤキモチ焼きだなんて初めて知ったよ……。それに、けっこう自分って冷静なタイプだと思ってたんだけどな」


 ヤキモチ……なのかな? 子供が大切は玩具を踏みにじられて癇癪を起こしたというか。完全に子供返りなんじゃないかとも思ってしまう。だって、昴みたいなイケメンが沙綾を好きだってことだけだってマジですか?!って感じなのに、まさかのヤキモチとか、だって相手が地味女でザ・平凡の沙綾なのだから。


「手……」


 沙綾がポンポンと昴の手を叩いた。


「手? 」

「手をつないだのは浅野さんが初めてです」

「マジで? 」

「好きだって言われたのも、こんな私のことを可愛いって言ってくれたのも」

「俺が初めて? 」


 沙綾はコクリと頷く。

 色々探せば沢山の初めてがある。散歩以外のデートだって初めてだった。おごってもらったのも初めて、お姫様抱っこも、唇以外へのキスも、優しいハグも、全部昴が初めてだ。男性を可愛いなどと思ったのも……。


 嬉しそうな昴の笑顔を見て、沙綾に色々な感情が湧いてくる。


 かっこいい、可愛い、守りたい、安心する、そばにいてあげたい、そばにいて欲しい。そんか温かい感情ばかりじゃなくて、不安、私なんか、本当に恋愛なのかな、オカン枠だったらどうしよう……、


 昴のことを信じられないというよりも、自分にこれっぽっちも自信がない沙綾だった。



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