第21話 神崎沙綾、ケーキで餌付けされる

 土曜日、いつも通り昴の家に行った沙綾は、先週のように昴から香水の匂いがしないことに、幾分かホッとした。


 ここ数日、仕事が遅くなる時は遅くなるとラインで連絡がきてたのに、昨日は何の連絡もなかったのだ。沙綾はスマホを気にしつつ部屋の片付けをし、夕飯を食べ、お風呂に入り、そして布団を敷いて寝ようとしたその瞬間、昴からラインが届いた。

 沙綾は、まるで待っていたかのように(実際待っていたのだが)すぐに返信をしてしまい、恥ずかしくなってすぐにおやすみなさいと送ってラインを強制終了させた。


 一応、友達兼恋人になった訳なのだから、どこに誰といたかとか聞いても問題ないんだろうが、さすがに恋人のように束縛するのは沙綾にはとても敷居が高かった。

 しかし気になる。

 もし再度チャレンジして、ナニがアレして元気になってしまった(セフレとラブホでお試しセックスした)としたら。沙綾には連絡できなかったことだろう。


 そんな妄想をしていたら、運悪くお隣さんが彼女を連れて帰宅したらしく、薄い壁から「アンアン」聞こえてきた。最近彼女ができたらしいお隣さんは、休日平日関係なく彼女を連れ込み、かなり激しくお営みになる。そのせいもあり、かなり寝不足気味な沙綾は、布団に潜り込み眠ろうとするが、昴がセフレと……という妄想と、現実の隣から聞こえてくる喘ぎ声がドッキングしてなかなか眠れなかった。


 そんな寝不足MAXの沙綾は、玄関を開けてくれた昴の前で思いっきり息を吸い込んで、フローラルの匂いがしないかつい確認をしてしまった訳だ。


「どうしたの? 目の下にクマがある」


 昴に目の下を撫でられ、沙綾はオドオドと視線を彷徨わせた。

 まさか、あなたとセフレの情事を想像して眠れませんでしたなどとは言えない。ついでにお隣さんの喘ぎ声のWパンチで悲惨でしたなど、もっと言えないではないか。


「ちょっと昨晩本を読みこんでしまって」


 無難な嘘に、つい声が小さくなる。


「なんだ、それならもっとラインで話せば良かった。沙綾ちゃんがもう寝るかと思ったから我慢したんだよ」

「本を読まなければ寝れてたので」


 沙綾はスタスタとリビングダイニングに向かうと、キッキンにある冷蔵庫に仕込んできたロールキャベツをしまい、持ってきたエプロンをつけた。


 さて掃除しようと部屋を見回すが、いつもより片付いた部屋に違和感を感じる。床には物が置いてないし、見る限り埃などもない。キッキンにも洗い物はたまっておらず、浴室乾燥には洗濯物が干してあった。


「浅野さん、することがありません」


 そういえば、いきなり訪れることになった火曜日も、部屋は綺麗なものだった。


「あー、うん。そしたら、今日はおうちデートでも……」

「デートは明日でしたよね。それなら今日は帰ります」


 エプロンを脱いで丸めた沙綾が、荷物を持って玄関に向かおうとすると、昴が慌てて沙綾の前に回り込む。


「いや、トイレ掃除とか、冷蔵庫の中の整理とか……探せばいくらでも。ほら、本棚の埃取りとかも。換気扇も随分掃除してないなぁ。あ、エアコンのフィルター! 床にワックス塗っちゃう? 」


 それはすでに大掃除ですよ。


「トイレ掃除してきます」


 沙綾はエプロンをつけ直してトイレへ向かう。トイレも十分に綺麗だが、それこそ手で触れるくらいに便器を磨き上げ、床の隅々、壁に至るまでピカピカにした。


「沙綾ちゃん、ケーキ買ってきたから休憩しない? 」

「あ、それならお茶いれます。」


 トイレ掃除をしている時に玄関のドアの閉まる音がしたが、どうやら昴がケーキを買いに行っていたらしい。沙綾はゴム手袋を外し、手を洗ってからキッキンへ向かった。


「沙綾ちゃんは甘いの好き? 」

「普通に好きです」

「どれがいいかわからなくてさ、好きなの選んで。残りはまた夕飯後に食べればいいし、余ったら持って帰っていいからね」


 紅茶をいれてテーブルに行くと、そこには可愛らしいケーキが6個も並んでいた。半分食べるとしても、一人3個。一日にケーキ3個は食べすぎではないだろうか。

 ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、フルーツタルト、レアチーズケーキに抹茶のミルクレープ。どれも美味しそうだったが、ここはやはりショートケーキだろう。

 一般家庭で育った沙綾は、ケーキといえば誕生日やクリスマスに食べれる特別なお菓子だった。ホールのショートケーキを4等分に分けて食べるあの贅沢、やっぱりケーキはショートでしょ。


「私はショートケーキで」

「僕は……」


 昴は困ったようにケーキを見ている。自分が好きな物を選んできたのではないんだろうか?


「沙綾ちゃんが一番食べたくなさそうなのは? 」

「みんな美味しそうですが」

「じゃあ、一番甘くないやつってどれかな? 」


 甘くないケーキ? どうやら昴はあまり甘い物は好きではないらしい。なら、何故買ってきたかな。

 レアチーズケーキを指差すと、昴は自分の皿にレアチーズケーキ乗せた。


「沙綾ちゃんはショートケーキが好きなんだね」

「まあそれなりに…。浅野さんはケーキ全般そうでもなさそうですね」

「あぁ、うん、まぁそうだね。でもこれはあまり甘くなくて美味しいな。沙綾ちゃん、食べてみる? 」


 昴は、レアチーズケーキを一口フォークにのせ、沙綾の口元に「アーン」と持ってきた。沙綾はしばらくモジモジと戸惑った後、目をつぶって大きく口を開けた。「いらないです」と断るには、あまりにレアチーズケーキが美味しそうに見えて、恥ずかしさよりも食べたい欲求が勝ったからだ。


「もっと食べる? 」


 一口「アーン」をすれば、恥ずかしさは二口も三口も同じだと開き直った沙綾は、美味しいケーキの欲求には勝てず、昴のケーキの半分近く食べてしまった。


「浅野さんも……はい」


 お返しにショートケーキを一口フォークにのせて昴の口元に押し付ける。昴は嬉しそうに口を開け、フォークをパクリとくわえた。


 ケーキの食べさせ合いとか、カップルみたいではないか……って、カップルなのか! と沙綾は一人悶える。


「甘い……けど美味しいな」


 唇の端についたクリームを舌で舐めとる姿は、18禁かと思うほどお色気たっぷりで、昴の顔面が卑猥過ぎると沙綾は慄いた。赤い舌につい視線が釘付けになりそうで、沙綾はドギマギしながら違う会話を振った。気になっていた部屋の綺麗さについての方だ。昨日の夜、ナニがアレ(セフレとお試しセックス)したかどうかのことではない。


「浅野さん、お部屋綺麗ですよね」

「そう……でもないよ」

「私、掃除に来る意味あります? 」

「ある! ありまくり」

「でも、私が来る前に掃除してありますよね? 」

「そう言う訳でもないんだけど……せっかく恋人になったし、二人の時間が欲しかったから」


 ケーキよりも甘い一言がきましたけど。


「一応、返済の為のアルバイトなんで、やることがないのは困ります」

「了解です。ごめんなさい」


 それにしても……と、沙綾は部屋を見回す。最初に来た時の雑然とした様子が嘘みたいな片付き方だ。もとからあまり物を置いてない部屋ではあるが、例えばTVのリモコンはテーブルの端にきちんと真っ直ぐ置かれているし、ボックスティッシュなどもTV台の上に乗っている。


「浅野さんって、実は几帳面だったりします? 」

「そうでもないと思うけど。ちょこちょこ片付けないと、後で面倒くさいというか、汚したら都度片付けるようにはしてる。だから、今日も沙綾ちゃんが来る前に頑張って片付けるたとかじゃなくて、ちょっと床にクイックルワイパーかけたくらいなんだ」

「じゃあ、初日のあれは……」


 ゴミが散らかり放題の部屋はいったい?


 昴は罰が悪そうに眉を下げる。そんな顔もやっぱりイケメンで、かっこよさの上に可愛さが上書きされるから質が悪い。なんでも良いですよと言いたくなってしまう。


「あれは、沙綾ちゃんと繋がるきっかけが欲しくて……。でも、ハウスキーパーさんのことは本当で、辞めてもらったばかりでどうしようか困っていたから……、ごめんなさい。わざと片付けられないふりをして、沙綾ちゃんの人の良さにつけこみました! でもでも、仕事とかで忙しくなると、家のことまで手が回らなくなるから、沙綾ちゃんに来てもらうと、本当に助かるんだ。だから辞めるとか言わないで。それに、週一で沙綾ちゃんの夕飯食べるのが無茶苦茶楽しみで、その為に一週間頑張れるっていうか、仕事の活力にもなってるんだよ。あと……」

「わ……わかりました」


 昴に凄い熱量を向けられ、沙綾は思わず昴の口元に掌を当てた。もう喋るなというアピールだったのだが、昴はその沙綾の手をそっと掴むと、掌にチュッとキスをした。


「ヒェッ! 」

「怒ってない? 辞めない? 」

「辞めませんから離してください」


 昴はすんなり手を離してくれ、沙綾は首まで真っ赤にしてそっぽを向いた。昴が女慣れしすぎで、沙綾の心臓がもたない。ドキドキを誤魔化す為に紅茶のカップに口をつける。


「……ヤバイ」

「どうしたんですか? 」

「照れてる沙綾ちゃんが可愛くて……勃っちゃた」

「セクハラ禁止!!! 」


 沙綾は飲んでいた紅茶を吹き出しかけ、昴は食べ終わった皿を流しに片付け、「トイレ行って抜いてくるね」と、爽やかな笑顔を残してトイレに消えた。


 ピッカピカに綺麗に掃除したトイレで、あなたは何をするつもりですか!?



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