第17話 神崎沙綾は頑張ってみた
もう三十分くらい手を握られている。
あくまでも軽く触れるくらいで、沙綾が振りほどこうと思えばいくらでも振りほどける力加減だ。
「友達兼恋人になって欲しい」という昴の気持ちに対する返事待ち……ということなんだろうが、一度も返事を急かされていない。でも、返事をしないと手を離さないぞという圧は感じる。
「……あの」
「うん? 」
「何で私なんでしょうか? 」
昴ならどんな女性も選びたい放題だろうから、何も好き好んで見た目超普通な自分を選ぶ必要はないのに。病的な人見知りだし、性格は明るくない、友達だっていない、やることとろくて人をイライラさせるってよく言われる。考えれば考えるほど良いところがない。
ドーンと落ち込みそうになった時、昴が掌をムニムニ押してきた。マッサージですか? 気持ち良いですが。
「うーん、ご飯が美味しい。やることが丁寧。沙綾ちゃんのゆったり流れてる空気感が落ち着く。自己主張が激しくないとこもいいよね」
予想以上に色々出てきた。嘘か本当かわからないけれど、沙綾が欠点だって思っていることも美点に数えてくれている。
「ほら、自分で言うのもなんだけど、女子ウケがいいんだよね、この顔。で、けっこうガツガツこられることが多くてさ。視線がうるさいっていうの? まぁ、態度や口もうるさい子が多いんだけど。沙綾ちゃんは全然そんなことないじゃん。顔だけで近づいてこないし、ジロジロ見てこないし、無駄に話しかけてこないし、一緒にいるのが凄く楽なんだ」
「……楽」
「あ、ごめん。別に楽だから一緒にいたいとかじゃないから」
沙綾は「楽」という言葉を嫌な意味で受け取ってないんだと、首を横に振ってアピールする。
だって、沙綾も誰のそばにいるよりも昴の側にいるのが楽だから。
そうか、二人共同じなんだと、何かがストンと沙綾の胸に落ち着いた気がした。
「私でいいんですか? 」
「沙綾ちゃんがいいんだよ」
沙綾は恐る恐る視線を昴に合わせてみた。一瞬ギュッと目をつぶってからゆっくりと開ける。
目の前にはフンワリ笑うイケメンがいた。確かにこれだけ整った顔は芸能人にもなかなかいないレベルだ。しかし、沙綾は無駄に美男美女に耐性があった。唯一沙綾が目を合わせて喋れる人間、叔父叔母従兄妹達のことであるが、彼らは沙綾と同じ遺伝子を分け合ったとは思えないくらい顔面偏差値が優秀だった。そんな彼らを赤ん坊の時から見ている沙綾は、イケメンにそんなに特別感を抱いてはいなかったのだ。
なんとか……頑張れば……目を合わせられそう。
三十秒頑張って昴の目を見つめた沙綾は、やり切った感満載で床に突っ伏して手で目を隠した。手を繋いだままだった為、昴まで引っ張る形になってしまった。床に片肘をつき、沙綾の上に倒れ込むのを回避した昴は、そんな沙綾を心配そうに覗き込んだ。
「沙綾ちゃん? 何、どうしたの?!大丈夫?!」
「……はい。なんとか頑張れる気がします」
「え? それは返事でいいの? 頑張れるって、付き合えるでいいんだよね?! 」
いや、ただ単に視線を合わせられる気がしただけです……と言おうとしたが、指の隙間から見た昴の顔は、無茶苦茶嬉しいというように破顔していて、それでいっかという気分にもなる。でも、好きはまだよくわからない。昴は誰とも違うけど、まだ全面的に信じるのは怖いから。
「あの……まだ好きとか……よくわからなくて。浅野さんのことは……怖くないし、嫌いじゃ……ないです。恋愛初心者なんで、と、と、友達みたいな関係から……始めてもらえるなら……友達兼…………恋人でも…………良いです」
とにかく頑張った。途切れ途切れにはなったが最後まで言い切った。そして、それを黙って聞いていてくれていた昴だったが、言い切った後もリアクションがなかったから、沙綾は目を隠していた手を外し、繋いでいた手を軽く引っ張った。昴は沙綾の方を向いて床に転がっていたが、沙綾と同じように片手で目を覆っていた。
「あの……浅野さん? 」
「……ヤバイ、マジで死ねる」
「エッ?! 」
不穏な単語に上半身を起こした沙綾は、繋いでいた手を引っ張られ、昴とは違い昴の上に倒れ込んでしまう。
「ヒョエッ!」
「嬉しすぎて死ねる。……ハグしていい? 」
「だ、だ、駄目です! まだ早いです」
「ハグやホッペにチューは挨拶でしょ。友達でもするじゃん」
「ここは日本です! 」
「え? そうだっけ? 」
無理に抱きしめられたりしてないから、沙綾が身体を起こせば離れられる状態だ。そんな逃げ場をちゃんと作ってくれるところが昴らしい。
「そうですよ。……浅野さん、一つ確認したいことがあるのですが」
沙綾が身体を起こすと、昴も腹筋の力だけで起き上がる。
「何? 何でも聞いて」
「私と浅野さんが……お付き合いしている期間に……他の女性と……そういうことは……あの、ラブホテルとか、その……」
沙綾にとっては敷居の高い
そして昴はモテる。
日常会話レベルで女性に告白されているらしいというのは、トイレで盗み聞く女子社員達の噂話から仕入れた情報だ。ただ告白するだけじゃなく、色仕掛けでくる肉食系女子だっているだろう。それだけじゃなく、過去のセフレからお誘いの連絡がくるかもしれない。
「大丈夫、沙綾ちゃん以外に勃たないって言ったでしょ」
「た、た、た……そこが問題ではなくてですね! 」
チャレンジしてみたけど出来なかったではなく、まずチャレンジしないでいただきたい! 勃たなかったから出来なかったのならば、勃ったら挿れるのかって話になりはしないのか?!
そのことを言いたいのであるが、そんな下品なこと口に出来ない。出来ないが、出来ないからとスルーもできない。もしまた同じことがあったとしたら、友達兼恋人の兼恋人は確実に消滅するだろうし、彼女がいるのに誰とでもホイホイラブホテルに行ってしまうような人は、友達すら無理かもしれない。
「……私的には、お付き合いしている人が他の女性と……そういう目的の場所に行くだけでも……アウトなんですが……」
「アウト? 」
「お付き合い継続は……無理かと。それを目的とした触れ合いも……同じくです」
「しない! 約束する。沙綾ちゃん以外にはノータッチで!! 触らないし触らせない」
両手をホールドアップして真剣に言う昴に、沙綾は小さく息を吐いて視線をそらした。
「……なら良いです」
昴はそっと沙綾の指に触れてきた。指先を軽く握られて、爪をフニフニ押される。
「もう絶対に行かないし、沙綾ちゃんだけって約束する。だから……先週のはノーカンだよね? 」
「……気分は良くないですが……まだお友達兼恋人になる前ですので」
「気分良くないの? 」
嬉しそうに目元を緩めて笑う昴は何だかとても甘く、ドキドキした沙綾は逆に昴を見つめてしまう。今まで人が怖くて視線を合わせることが出来なかったが、昴はそういう意味では怖くない。あまり長く見るのはまだ馴れないが、こんなに色気タップリの昴を見逃すのはもったいない気がした。
「まぁ、それなり?に」
「それなりか。うん、それなりでも無関心よりは嬉しいよ。友達兼恋人になってくれた沙綾ちゃんにお願いがあるんだけどな」
「何でしょう? 」
「今度の土曜日、ドライブデートしないか? 」
ドライブなら人が苦手な沙綾でも楽しめるかと思っての提案だった。恋人ならデートでしょと思ったのだが、正直昴はデートというものをしたことがない。パトロンをエスコートする為にパーティーに出たり、ディナーに付き合わされたりはしたことはあるが、明るいうちから遊びに行くなど面倒だと思っていたし、そうまでして親しくなりたいという相手もいなかったからだ。沙綾とならデートするのも吝かではないと思う昴だった。
「しませんよ」
「え? 」
「土曜日ですよね? ハウスキーパーのお仕事がありますから」
「え? それってもうよくない? 友達兼恋人になる訳だし、恋人ならデートとかデートとかデートするもんじゃないの?」
「お付き合いすると、そんなにデートするものなんですか? 」
思い出したくない記憶を探れば、やたらと引きずり回されたような気もする。全く楽しくなかったし、とにかく疲れて嫌な思いしかなかった。ベタベタ触られるのも嫌だった。
そう言えば、さっきから昴に手を握られたりそれなりにスキンシップされている気がするが、そのことに対する嫌悪感が全くない。「ハグしていい?」と聞かれた時も、恥ずかしいから「駄目」と断ったが、嫌だからとかではなかった。
昴とするデートならば、嫌な思いはしないかもしれない。しかし、友達すらいたことのない沙綾は、親戚以外の誰かと一日出かけたことがないから、相手が昴であるにしろ少し憂鬱になった。土曜日、昴の家にバイトとしてくる分には、片付けたり掃除したりと自分勝手に動いているから、同じ空間に昴がいることに抵抗はないが、デートのように常に一緒にいるとなると、未知の事柄に不安にもなるというものだ。
「よくわからないけど、するんじゃないかな? 平日も会ったり、土日はどっちかの家に泊まったり」
「泊まり?! 」
「いや、変な意味じゃなくてだよ。好きならなるべく一緒にいたいって思うんじゃないかな。別に今週泊まりに来てなんて言わないから。いや、来てくれれば嬉しいけど、出来れば一緒に住みたいくらいだけど、まずはいっぱいデートして、沙綾ちゃんの気持ちが恋人寄りに傾いたら、その時は泊まりに来てくれたら嬉しいな。だから、まずはデートでしょ」
なるほど、泊まりは絶対に無理だから、まずはデートですねデート。
泊まりや同棲というさらに難題を提示され、デートの敷居を低く感じることができたものの、泊まりはまだずっと先の話だとして(沙綾的には年単位、昴的には週もしくは月単位の先の話だと思っている)デートか……。デートばかりしていると、いつまでたっても昴のスーツの弁償が終わらないかも。でも、付き合うのなら長くかかっても良いのか? いや、万が一すぐにお別れ……なんてことになるかもしれないし、やっぱり返すものは早く返した方が……。
などとツラツラと考えていたら、昴が弄っていた指をツンツンと引っ張った。
「そんなに悩むくらいデートが嫌?」
ションボリとした口調に、慌てて昴の方へ目を向けると、へニョンと情けなく眉毛を下げた昴が心配そうに沙綾を見ていた。
「違うんです! デートばかりしてたら、いつまでたってもスーツの弁償がすすまないなって」
「だから、それはもういいって」
「良くないです。それはそれ、これはこれ……ですよ」
この一ヶ月くらいの付き合いで、一見気の弱そうな沙綾が、実は思った以上に頑固であることを知っている昴は、弁償のことは何が何でも引かないだろうなと思った。
「わかった。じゃあ、土曜日は今まで通り家のこと頼むね。デートは日曜日にしよう。次の日会社だからあまり遠出はできないけど、行きたい場所とかある? 」
「……思いつきません」
「了解。今回は僕が考えるね。うーん、人が少なくて穴場な場所かぁ」
さっきまで昴の一人称が「俺」だったのが、いつの間にか「僕」に戻ってしまっている。会社とか公の場所では「私」で、沙綾の前では「僕」。自然体が「俺」だとしたら、自分の前でもそうであって欲しいと思うのだが……。
スマホでググりだした昴の横顔を盗み見て、いつか自分の前でも自然体の昴が見られると良いなと考える沙綾だった。
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