第6話 浅野昴は企む

 約束の土曜日がきた。

 この一週間、沙綾からきた連絡は昴が住所をラインで送った後に届いた「了解しました、14時にお伺いします」という、絵文字もスタンプもないそっけない文面だけ。

 通常、昴の連絡先をゲットした女子は、毎日ストーカーかってくらい頻繁にラインを送ってきたり、くだらない内容に課金しまくったみたいなスタンプを送ってきたりと、見るのも鬱陶しい状態になるものだが、今回は逆に、まだ連絡がこないのかと昴がラインチェックしてしまうくらい音沙汰がなかった。


 全く、1ミリも、ビックリするくらい興味をもたれていない!


 沙綾が駆け引きなどをするタイプじゃないのは見るからにわかるから、あえて連絡をよこさずに焦らしているのではなく、本当に昴のことは対象外なんだろう。昴には新鮮過ぎる出来事で、そうなると逆により沙綾を落とそうとやる気が満ち溢れる。昴もあえて沙綾に連絡を取らなかった。焦らしのテクではなく、ガンガン行っては怖がらせるだけで逆効果にしかならないとわかっていたからだ。


 昴は、一週間掃除をせずに放置していい具合にちらかった部屋を、約束の三十分前から片付け出した。わざと適当に、片付けるというより積み上げる。ゴミは臭いが出るのが嫌で、弁当などはきっちり洗って分別しているものの、ゴミ袋は部屋の隅に放置する。きちんと洗濯して畳んであった衣類を無造作にソファーにぶん投げ、数枚乱雑に畳んだ。


 基本、昴は家事は人並み以上にできる。やらざるを得なかったということもあったが、どちらかというと几帳面なタイプで、出したら片付ける、使ったら掃除するが身についていた。それでもやはり細かいところまで掃除している暇はなく、月に一度ハウスクリーニングを頼んでいたが、つい最近契約を解除したばかりだった。担当の女性の過度なストーカー行為が判明したからだ。昴の使用した小物を盗んだり、ゴミを持ち帰ったりはまだかろうじて我慢できたが、鍵を複製し部屋に忍び込んで盗撮行為にまで及んだのはさすがにアウトだった。以前も他の担当に告白されたり、過度のつきまといなどを受けたことがあった為、クリーニング会社自体を解約した。


 新しい会社と契約することも考えたが、沙綾がスーツ代を返金しようとしているのならば、バイトとして代わりに毎週来て貰えば良いのでは? と考えた。スーツ代金などどうでも良いのだが、それを理由に毎週会えるし、下手に食事などに誘って警戒して逃げられるよりは、確実に会えて距離を縮めていきたい。

 ただ問題は、お嬢様であろう沙綾に家事ができるかどうかだ。

 無理なら他の手を考えれば良いと、取り敢えず部屋を散らかして様子を見ようと目論んだのだ。


 そして現在、黙々と部屋を片付けている沙綾が目の前にいる。

 その様子を見ていると、動作はゆっくりだが丁寧だし、掃除にも馴れているようだった。料理も特にレシピを見る訳でもなく、速くはないが危なげない手付きで包丁を使い、料理を仕上げていく。


 2時にやってきてすでに9時過ぎ。昴が自分でやれば自分でやれば2〜3時間で終わることが7時間。しかも一緒に夕飯を食べて片付けまでお願いしたら11時になってしまった。あまりの鈍臭さに目眩を感じないでもなかったが、きっとこれが沙綾の時間の流れ方なんだろうと納得する。

 色々観察してたらあまり話しかけることはなかったが、沙綾の表情が次第に落ち着いていったのでこれが正解なんだと理解した。

 しかしこのまま帰してしまっては、先に続かないかもしれないと思った昴は、おもむろに口を開く。


「遅くまでありがとう」

「……いえ……お詫びですから」

「あのさ、これからも週1でお願いできないかな。料理以外にハウスキーピングも。もちろんお礼はするよ。通常週に一回部屋の片付けで月6万くらいかかってたんだ。(嘘だ。1回2万で月1回だった。週1契約で6万のコースがあったから言ってみた)プラス料理で月7万でどうだろう。もちろん材料費は僕が出すし」

「そんな、本職でもないのに……」

「実はさ、今日の部屋の様子見ればわかると思うけど、僕、家事がからきし駄目なんだ。だからハウスキーパーを頼んでた訳だけど、どうもそのたまたま担当になる女性に好かれることが多くて……。頼んでない日に勝手に部屋にいられたり、歯ブラシとかお箸とかちょっとした物がなくなったりが続いてさ。これで3回担当を交換してもらってるから、なんか次もお願いするのも怖くて」


 目を伏せ、わざと思い悩んでいるような素振りを見せから、申し訳無さそうに沙綾を見て力なく微笑んでみせた。


「わ、わかりました。でもあの……」


 沙綾はやはり昴と視線を合わせないまま、小さな声でハウスキーピングを請け負うことに了承し、月7万は貰い過ぎであること、そのお金はスーツ代金に当てて欲しいこと、このことは会社の人には内緒にして欲しいことをシドロモドロになりつつ口にした。


「うん、了解。じゃあ5万でどうかな?」

「……2万」

「それは安すぎだよ。じゃあ4万5千円」

「……2万5千」


 確かに時間はかかりすぎるが、丁寧な作業に自己評価が低すぎだ。お嬢様だから相場の値段がわからないんだろうか? 結局刻んで刻んで3万7千円で落ち着いた。こんなに安くて掃除に料理まで世話になっていいんだろうか?と疑問に思いつつ、3ヶ月もあれば恋人くらいにはなれるだろうとつい頬が緩む。


 それからクレジットカードと家の鍵を渡そうとすると、「この人大丈夫?! 」と言わんばかりに眉をひそめられたが、もちろんハウスキーパー誰にでも渡す訳じゃない。それくらい君を信頼してるという意味で「持ってて」と微笑むと、渋々受け取ってくれた。そして何やらつぶやいていたけど、「冷蔵庫」ってなんだったんだろう?


 昴が家まで車で送ると言うと、凄い勢いで拒否された。まぁ、一人暮らしみたいだし、それだけ警戒心があった方がいい。ただし他人の男限定で……と、昴は内心思いながら駅まで送ることにした。


 手は……まだ繋がない方がいいだろうな。


 マンションから出て、適度な距離感を持ちつつ並んで歩いた。


「沙綾ちゃんは、僕なんかの世話するの嫌じゃない? 僕的には凄くありがたいんだけど、つけこんで無理矢理お願いしちゃったかなって思って」

「だ、大丈夫です。私は……他の人達みたいに浅野さんに……アレしたり絶対にありません……から」


 どちらかというと積極的にアレしてくれて良いのだけれど。と言うか、アレってナニかな?


「アレって? 」


 沙綾は考え考え喋っているのか、ブツンブツンと会話が途切れる。聞きにくいが、待っていれば話してくれるので特に急かす必要も感じずに会話する。


「浅野さんに……好意持ったり、そう言うのです。……厚かましいですから」


 本当に自己評価が低いんだな。


 確かに美人ではないし凄く可愛いというタイプではない。でも決して不細工でもないのだ。きちんと化粧をして、それなりにお洒落をすれば、ごくごく普通の娘だ。見る人によれば可愛いとも言われるかもしれない。

 隙なく化粧で武装し、女を全面に出してアプローチしてくる肉食系女子より、よっぽど好感がもてるってものだ。


「僕は沙綾ちゃんに好意持ってもらいたいけどなぁ。友達になりたいし」

「と、友達?! 」


 珍しく沙綾が大きな声を出してグリンと昴のことを見上げた。細めの目がまん丸に見開かれ、なんか面白い顔になってる。


「うん、友達。沙綾ちゃんてさ僕に媚びたり擦り寄ってきたりしないじゃん。こんなこと言ったら何勘違いしてんだよって思われそうだけど、いきなり恋愛モードで突撃してくる女の子が多くてさ。沙綾ちゃんみたいな女の子は貴重なんだよ。だからまずは友達になれたらいいなって、ダメ? 」


 そう言う昴の態度はウルウルワンコ系で、明らかに媚びて擦り寄る気満々なのだが、昴を直視できない沙綾が気がつくことはない。あっち見てこっち見てチラリと昴を見ようとしてすぐに俯いてしまったり、つまりはかなり挙動不審だ。ダメ押しに甘めの声を出して「ダメ? 」と囁くと、ボンッと顔を赤くした沙綾は首を小刻みに横に振る。


「ダメ……じゃない……です」

「良かった」


 浅野昴は神崎沙綾の友達というスキルを手に入れた。次はこれを恋人に進化させて、最終的には夫婦になって逆玉コンプリートを目指すしかない。

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