第4話 浅野昴は調べる
「ねぇ、小林さん」
「はい! 浅野さんご用でしょうか?! 何なりとおっしゃって下さい!! 」
昴は営業事務の
小林は、営業エースの昴に声をかけられ、うっとりと昴を見上げていた。実は小林は昴のFC(非公認)の会員番号3番と、かなり古株の昴ファンで、昴は忘れているが、昴と入社同期で入社1ヶ月で昴に告白して撃沈している。
「いや、仕事じゃないんだけどね。神崎沙綾さんって知ってる? 小林さん顔が広いから知ってるかなって思って」
「神崎沙綾? 何課でしょうか? 」
残念ながら同じ会社というだけで、どこの部署に所属しているかわからない。そう言えば、年齢すら聞いていない。ただ、神崎社長の姪ならば、誰かに聞けばわかると思ったのだ。昴自体は沙綾のことはこれっぽっちも知らなかったが。
「うーん、何課なのかなぁ? 秘書課? 経理課? 」
神崎一族なら、あの見た目でも秘書課もありかもしれないし、将来経営に携わるとしたら金の流れを理解する為に経理に携わっているかもしれない。勝手に推測していた昴の袖が、ツンツンと引っ張られた。
「神崎沙綾って、あの眼鏡で地味な感じの子ですかぁ? 」
小林の後輩の
「あぁ、うん。多分そうかな? 」
「彼女なら同期ですぅ。確か庶務課に配属になったみたいなぁ。うちら同期けっこう仲良しなんですけどぉ、彼女は異色というかぁ、ほとんど喋らないんですぅ。多分親しい同期はいないんじゃないかなぁ」
若林と同期ということは、2年目だから、短大卒で22、大学卒で24歳か。落ち着いた見た目(地味)だから、大学院卒もあり得るかもしれない。そうすると昴と大差ない年齢ってこともあり得そうだが、肌艶だけ見るとけっこう下っぽくも見えた。
しかし庶務課とは……。
いや、重要な課だとは思うが、経営者一族としてはどうなんだろう。
「神崎さんって、社長の姪御さんなんだよね」
「え? まさかぁ。確かに同じ苗字ですけど、全くの他人じゃないですかぁ。珍しい苗字でもないですもん。それにぃ、会社のパーティーとかで神崎社長と同半してるの見たことないしぃ、うちのパパと神崎社長仲良しですけどぉ、姪御さんが入社したなんて聞いたことないですもん」
若林の縁故入社は真実だったらしい。若林がお嬢様だったとしても、こいつはナシだなと、特に若林のパパ話を掘り下げることはしない。
沙綾がWネットの社長の親戚は確かみたいだし、ならば神崎社長の親戚というのも間違いない。まぁ、あの地味な見た目でも社長の姪というだけで周りは騒がしくなるだろうし、仕事をする上でも周りが気を使うことだろう。ならば、社長と親戚だと敢えて伏せているんだと考えた。
「あ、同じ苗字だからぁ、親戚ならアプローチしようとか考えたんでさすかぁ? 浅野先輩って何気に腹黒なんですね。私ぃ、そういう人って嫌いじゃないですぅ。でも、神崎さんは違いますからね」
私ならいくらでもアプローチして下さい的にシナを作る若林に、昴は一歩距離を取る。
「いや、そういうんじゃないんだ。ちょっとこの間仕事とは関係ないパーティーで話す機会があってね。あんまり目が合わなかったから、なんか悪い事しちゃったのか気になって」
「あぁ、あの子人見知り半端ないみたいだからぁ、それが普通かもぉ。喋る時に視線なんか合ったことないしぃ、ボソボソ喋るから何言ってるかわかんないのよねぇ。やることもトロイからぁ、仕事とか全然回らないのぉ。庶務課のお荷物って有名みたいですぅ」
「いや、私聞いたことなかったけど」
「僕も神崎さんの存在を最近まで知らなかったよ」
ケラケラ笑いながら沙綾をディスる若林が不愉快で、昴はいつもの人好きのする笑顔を引っ込める。
それは小林も同様だったのか、それともたまたま自分の知らない情報を若林が掴んでいたのが気に入らなかったのか、明らかに不快そうに眉を寄せていた。
「神崎さんと連絡とりたかったりしますぅ? もし良かったらセッティングしましょうかぁ? 庶務課にもう一人同期いますしぃ、そっちとは仲良いんでぇ、飲み会とか呼べると思いますよぉ。なんだったらぁ、私用のアドレスとか教えて下さいよぉ」
「いや、それは大丈夫。若林さんありがとう。小林さんもありがとう。じゃあ」
これ以上若林のベタベタした話し方を聞いていたら、せっかく人当たりよく振る舞っているのに、イライラしてボロが出そうだった。昴は爽やかな笑みだけ残してエレベーターへ向かった。一階下に庶務課のオフィスがあり、通常なら電話ですませる備品の注文を、わざわざ口頭で言いに来たように振る舞う。見回すが沙綾の姿は見られない。
同期の田中を見かけ、ヤァと声をかける。ヒョロッとした見た目で真面目眼鏡をかけた田中は、どちらかと言うと昴とは正反対なタイプだ。昴と沙綾が並んでいるよりも、田中と沙綾のペアの方がしっくりくるような、真面目で平凡、どこにでもいそうな男、それが田中直樹だ。
「どうした、珍しいな」
「うん、ちょっと……プリンターのインクがね」
「わざわざおまえが? 」
「ついでがあったからね」
「色は? 」
「シアンかな。マゼンタも少なかったみたいだね」
田中は特に不審にも思わずにインクを出してくれる。昴はそれを片手で弄びながら、どうやって沙綾のことを聞こうか頭を悩ませた。
「まだなんかあんのか? 」
「いや、そういや庶務課は今年新人入ったか? 」
「いや、今年は入らなかった」
「ふーん、去年は? 」
「去年は二人」
「へぇ、どんな子? 」
田中は怪訝そうに昴を見上げると、何でそんなこと聞くんだという表情をしつつも答えてくれる。
「松尾ってのと神崎っての。二人とも短大出だな。ギャルっぽいのと真面目なので、正反対なタイプ。仲が悪いっつうか、松尾が神崎にギャーギャーうるさくてな。どっちもまぁ……トラブルメイカーだな」
「真面目な方もトラブルメイカーなのか? 」
「まぁ、そんな感じ。主に松尾を煽る的なな。神崎は仕事は丁寧なんだけど、やたらと時間がかかるんだよ。で、イライラした松尾が仕事かっさらって失敗すんだよ。で、神崎に失敗をなすりつけてギャーギャー揉めるっつうか、一方的に神崎を責めるんだな。結局は神崎が一人でやった方が時間はかかるが正確なんだけどな」
「なんか大変そうだな」
「あぁ、まぁな。まだ去年の新人にも手がかかるから、今年は新人なしで助かったよ」
昴は「それじゃ」と手を上げて庶務課を後にした。
沙綾という人物は、友人は少なめで、人見知りが激しく動作が鈍いが丁寧……ね。お洒落にも慣れてなさそうだったから、自己肯定感が弱いタイプかな。私なんて……とか思ってそう。多分ついでに男性経験も皆無かな。なんとなく見た目のイメージからだが、そんな失礼な予想までたて、昴は沙綾を籠絡するプランを考える。
ただ恋人になるだけじゃない。結婚まで持っていかなければ意味がないのだから、念には念を入れなくては。
沙綾みたいな娘は、押せば押すだけ怖がって逃げてしまうだろう。普通の娘なら、ちょっと食事に誘ったくらいで勘違いするけど、沙綾の場合は数回食事に誘ったくらいじゃ駄目だ。「私なんて好かれてる訳がない」とか、「私なんかが昴さんを好きになるなんて厚かましすぎる」とか勝手に自己完結して、昴のことを避けるようになるかもしれない。
じゃあ自分に自信をつけさせて自己肯定感を向上させたら、恋愛にも前向きになるかもしれないが、その自信が過信になって、訳わからない金目当てのクズ野郎(自分のことは棚に上げている昴だった)と浮気とかされたら洒落にならない。
つまり、今のままの沙綾で、昴だけ例外に好きになってもらう必要がある。
まずは友達から始めて信用を得て、徐々に昴に馴れさせて、好意は小出しに怯えさせないように気をつけねば。
長い道のりになりそうな気配に目眩を覚えながら、自分の将来(逆玉)の為のに努力を惜しまない決意をする昴だった。
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