同情する男

@kazari_kujiragi

同情する男

 男はカウンセラーに憧れていた。しかし、その男はカウンセラーではなかった。カウンセラーになりたいわけでもなかった。カウンセラーの傾聴術にただ憧れているだけであった。

「それで? マコトは彼女のことが好きだったんだね?」

 男は“マコト”と呼ばれていた。“誠”。真実や誠実を意味するその名前は、正直さが取り柄の彼には、とてもよく似合っていた。

「ああ、半年くらい前、初めて会った日から好きだった。初めて会ったと言っても、連絡自体はそれまでもとっていたんだけど」

 友人の問いに対して、マコトは素直に答えた。この友人こそ現役のカウンセラーであり、マコトが傾聴術を知るきっかけとなった人物だ。

「うん、知ってる。一目惚れとも違う感じだったよね」

「そうだな……それ以前から好意はあったんだと思うけど、対面した時に確信したという方が近いかな」


――

 半年前。正午の新宿駅にて。

「あ、もしかしてマコトさんですか?」

「はい、そうしたらあなたがカスミさんですか?」

 “カスミ”と呼ばれたことに対して頷いた女性は、長い黒髪をしていた。少し傷んだ様子もあるが、地面へと垂れ下がるその長髪は、しなやかで美的に見えた。

「初めまして……とも少し違いますよね。改めまして、カスミです」

 目を細めて少し俯きがちに笑ったその仕草は、恥じらいを象徴していた。誠は込み上げる何かを感じたが、それを悟られないよう努めた。

「そうですね、こちらこそ改めまして。マコトです」

「じゃあ、どこに行きましょうか?」

「そうですね……まずはカフェでお茶でもしませんか? 小腹も空きましたし」

「あ、いいですね。賛成です――」


「――同期の人達は優しかったんですけどね……でも、それも徐々に申し訳なくなってきて……結局、精神科で休職を勧められたんです。前にも少し話しましたけど……」

「あー、上司のプレッシャーが酷いんですよね? 上司がそんな感じだったら、カスミさんが休職になってしまうのも仕方ないですよ。気にしなくて良いと思います」

「そうですかね……結構、業務もこなせなくなって、同期にお願いしたりしてたんですよね。なので、皆には迷惑かけたなあと」

「上司が全然配慮してくれないのが原因ですからね。上司の責任ですし、カスミさんは悪くないですよ」

「……ありがとうございます」

――


 マコトは記憶を思い出しながら、その内の一部を友人へと話した。とあるカフェ内、窓際の明るい席にて、マコトと友人は会話に勤しんでいた。

「ふむふむ、会話の雰囲気は分かったよ。カスミさんが同期の人に申し訳ないと話した時、マコトは“上司のせいだから仕方ない”という趣旨の返答をしたってことだよね?」

「うん、そうかな。上司がプレッシャーをかけるから仕方ない、カスミさんは悪くない。そんな風に肯定的な返答をした」

「あれだよね、カウンセラーの基本条件の一つ“無条件の肯定的配慮”をしようとしたんでしょ?」

「うん、合ってる。そういうのがあるって、傾聴術の本で読んだから。まあ、ユウキがきっかけではあるんだが」

 ユウキと呼ばれた友人は、“うーん”と唸っていた。

「無条件の肯定的配慮……まあ、肯定的配慮をしているのは伝わってくるよ。“君は悪くないよー”って言ってるわけだしね。よく聴いてあげてると思う……ただね、“無条件の”ってのは難しいよね……マコトはこの“無条件の”ってどういう意味だと理解してる?」

「無条件の……“相手は悪くないっていう前提で”ということではないのか?」

「うーん、間違ってはいない、間違ってはいないんだけど、ちょっと違うんだよね……うーん、善悪自体は正直どうでもいいんだ。大事なのは条件を指定しないこと。前提を度外視すると言ってもいいかもしれない」

「……ごめん、何が違うのか分からない」

「あ、いや、こちらこそ説明が下手でごめん……うーんと、例えばさっきの話だと、カスミさんは同期の人に申し訳ないと話したでしょ? それに対して、“上司が悪いから”という前提すらなくすということだね」

「あー、なるほど、違いは分かったよ。でも、単純に“あなたは何も悪くない”と伝えたところで、何故かと問われるのが常だと思うんだが」

「そう! だから、そこの一歩が難しいよね。模範回答の一つを挙げるなら、“ん? カスミさん、申し訳ないことなんてしてますか?”とかね。あたかも、悪くないことが当然かのような言い方をするんだ。“りんごって果物ではないんですか?”とでも言わんかのように」

「……」

 ユウキの説明を噛み砕くことに必死だったマコトは、言葉を発することができなかった。そんな様子をあえて無視して、ユウキは続けた。

「さらに高度に行くのなら、“どうして申し訳ないと思うんですか?”とかね。ただ、これは深層に触れていくアプローチで、リスクもあるから、精神力動論を知らない人にはお勧めしない」

「精神力動論?」

「うん、精神力動論。フロイトとか精神分析とか、自由連想とかの方が、まだ著名かな? それらを含む無意識に踏み込んでいくアプローチ、みたいな感じ」

「はあ……さっぱり分からない」

「うん、多分そこまで知る必要は無いと思うから大丈夫」

 マコトは少しの間、沈黙し、ユウキはその沈黙を破らなかった。

「……ということは、“自己一致”や“共感的理解”の模倣も上手くいってなかったんだろうな」

「ほー、“カウンセラー三つの基本条件”のことまで知ってるんだ。よく勉強しているね、本当に……でも、自己一致なんて聞き覚えの無い概念、よく模倣できたね」

「いや、多分できていなかったんだろうと思う……」

「そうなの? 自己一致……純粋性ともいうけど、どういう概念だと理解してるの?」

「相談者に対して、誠実であり正直であり、そして嘘をつかないこと……かな」

「ふむふむ、何も間違ってはいないよ、大丈夫。相談者に対して誠実であることっていうのは、まず求められることだね。あえて付け加えるなら、自分にも誠実であることってのも含まれるかな」

「自分にも?」

「そう、自分にも。と、その前に、マコトは相談者に対して誠実であることって、具体的にどんなことだと思う?」

「そうだなあ。まあ嘘をつかないとか、真剣に向き合うとか、そういうことかなあ」

「うん、そうだね。どうしても抽象的な表現になるのは仕方ないと思うし、そういう感じで合っているよ」

 ユウキは、顎に手を当てて話を続けた。

「例えば、友人Aの余命が僅かだったとして、そのことを友人Bに言っていないとする。そして、自分はその余命のことをたまたま知ってしまった。加えて、Bと自分の二人に余命を伝えるため、勇気を絞り出そうとしていることも知ってしまった。まあ、病室の前でたまたま聞いちゃったとかでもいいかな。それで、Bから“Aの容態はかなり悪い感じがするが、お前は何か知らないか”と聞かれたとする。そんな状況で、マコトはBに対して余命のことを伝えるかい?」

「いや、伝えないだろうな」

 マコトは即答した。

「そうだよね。本人が勇気を出そうとしているのに、水は差せないし、適切でもないよね。さて、そういう風に、嘘をつかないことが必ずしも誠実とは言えないと証明されたわけだけれど、それなら相談者に誠実であるとはどういうことだろう」

「……なるほど。そこで、自分にも誠実であることっていうのが生きてくるわけか」

「そうそう! 相手のためにどうすべきと思っているかを大事にするとか、自分の援助姿勢を崩さないとか、そういうの。ただ、それらは他者に誠実であることよりも難しい」

「なんとなく難しいことはイメージできるよ。つまりは、自身の正義を崩さないってことだものな」

「うん、そういう意味合いも間違いではないけれど、そういう解釈だと少し危険かもしれない」

「どういうことだ?」

「うん。例えば、戦時中は他国の人間を殺すことが正義で、現代のテロリストにしても悪を殺すということを孕んでいることが多いよね。じゃあ、そういった偏った正義に従ったら、自分に誠実なのかというと、実はそうではない……それは無意識や前意識を考慮していないからだ」

「前意識?」

「あー、前意識っていうのは無意識と意識の間くらいにある概念だね。普段は意識に登らないせど、努力すれば意識化できるところのことかな」

「なるほど」

「どこかで他者を殺すことへの抵抗感とかがあるはずなんだ、人間は。生物は元来、同族殺しを忌避しているから」

「人間以外にも共食いとかはあるだろう。同族殺しは摂理とも言えないか?」

「まあ、それは間違ってないと思う。ただ、生物は種の存続を目的にしている時点で、少なくとも自分は殺されたくないという本能はあるよね。自分がされたくないことなのだから、自分が相手を殺すことは、相手にとって悪なのは無意識で分かっているはずだ。ましてや、相手は逃げたり抵抗したりするのだから……と、まあ、そこまで拡大して考えなくとも、人を殺すことが他者にとってが必ずしも正しくはないということを、兵士やテロリストでさえも、理解してはいるはずだよね」

「ややこしくなってきたが、言いたいことは分かる。要は、独善的な正義に従うことは、自分に誠実であることとは比例しないわけか」

「そうそう! 要約上手いなあ。今度の講演会、マコトに説明してもらおうかな」

「何言ってんだよ。お世辞はいいから続けて」

 マコトが笑ったのを確認した後、ユウキも笑った。

「いやー、お世辞じゃないんだけどなあ」

 そこまで言って何かに気付いたように、ユウキは言った。

「あ、このお世辞じゃないっていう感じが、自己一致でもあるかな」

「ん?」

「私はお世辞を言わない。上司に対してとか、業務上必要な時はもちろん使うけど、基本的にカウンセリングでも友人との会話でも、お世辞は言わない。それは相手に対して誠実であるということ以上に、自分自身の言動と行動の不一致をなくしたいからなんだ」

「現行不一致の回避か」

「そうそう。善悪や正誤を貫くとか貫かないとかではなく、自分が自分を歪めないための率直さ。それが自己一致だと私は思っている。そうあることができれば、自ずと他者に対しても誠実でいられる」

「難しいな、なかなか」

「そりゃあねぇ、私達のような専門家でさえ、時間をかけて身につけるものだから。無条件の肯定的配慮もそうだけど、善悪とか正誤とか常識非常識とか、そういう枠組みを越えて考えないといけないから、一朝一夕で成せるものではないと思うね」

「はー、カウンセラーって改めてすごいな」

「ありがと。まあでも、カウンセラーが全員、そういうのを考えているわけでもないけどねー」

 ユウキは苦笑いを浮かべていた。詳細を尋ねようとしてマコトだったが、それより早くユウキは話題を変えた。

「まあ、それは別の話だから良いとして。そうだなあ……そしたら、残りは“共感的理解”だね」

 ユウキは服の皺を伸ばしながら、姿勢を正した。次の言葉を言いかけたユウキだったが、今度はマコトに言葉を遮られた。

「相手の気持ちを理解し、理解したことを相手に返す、ということだと思っている」

「うん、概ね合っているよ……ただ、この概念は、三条件の中で一番馴染みがある言葉であり、それ故に最も誤解されやすいものなんだよね」

「“共感できる”とか“共感した”とか、日常的に使う言葉だものな」

「そうそう、そうなの。それらってもっと砕くとどういう意味なんだろう」

「“その思いは理解できる”とかか?」

「そうだね。一般的に使われる言葉としては、その思い“は”理解できる、とかの意で使われるよね。あとは、“私もそう思う”という意とか」

「私もそう思う、か……」

「つまりは、“Me too.”だね。これは本当は共感ではない。あ、その思い“は”理解できるってのも、本来的ではないね。どちらもMe too.であり、どちらも共感ではなく、“同情”に該当する」

「ん? 同情っていうのは、“可哀想”とか“残念”とか“嘆かわしい”とか、どちらかというとネガティブな意味なんじゃないのか?」

「まあ、その認識も間違ってはいないんだけどね。辞書的にも、ネガティブな意が強いと言えば強いし。ただ専門的な意味としては、そういったネガティブな感想は同情の方が近いし、少なくとも共感ではない」

 “感想”。ユウキの使ったその言葉には、含みがあった。その含みこそが、共感と同情の違いなのだとマコトは直感的に理解した。

「なるほど。ユウキが言いたいのは、感想か否かが、共感と同情の違いだということか?」

「おお、いい線いってるよ! 正解と言っても過言ではないと思う」

 ユウキは驚いたような表情の後、微笑んだ。

「同情は、あくまでも自分の価値観や感覚を基準にして、相手の感情を推し量ること。一方の共感は、自分の価値観や感覚を度外視して、相手の感情を共有すること」

「自分の価値観からの推測か否かということか」

「そうだね。だから、さっきマコトが言った想像か否かっていうのは、かなり的を射ていると思うよ」

「自分の価値観や感覚を度外視するか……まあ、相手の立場で考えれば良いのかな」

「月並みな言葉で表すならそういうことかな。ただ、それは相手の立場で考えることではあっても、相手の立場に立って考えることではない」

「ん? ごめん、何が違うんだ?」

「あ、こちらこそ分かりづらい表現でごめん。相手の立場に立って考えるのではなく、相手自身になって考えることこそ共感って話。例えば……そうだなあ……両親は育ててくれた存在であり、かけがえのない存在だという価値観を持っている人がいたとする。その人はどんな人だろうか」

「どんな人?」

「うん、性格とか環境とか。ざっくりとして予想でいいよ」

「あー、家族を大事にしている、優しい人とかか?」

「うん、とても健康的だよね。じゃあ、環境的な要素は? 家庭とか学校生活、仕事とか」

「学校生活とか仕事はよく分からないが、家庭環境は良かったんじゃないか?」

「うんうん、僕もそう思う。両親、あるいは片親、あるいは他の保護者に、愛され、そして大切に育てられたのだろうね。それはもう美しいフィクションのような家族愛を連想させるほどに。まあ、学校生活の予測もできなくはないんだけど、本筋とは逸れるから置いておこうかな」

「ふむ、それでそういう人がいたとして?」

「そう。例えばその人が、虐待を受けてきて両親をひどく憎んでいる人の気持ちを理解しようとするとどうなるだろう?」

「虐待……さっきの人とは真逆の家庭環境ということか……」

「そう。幼少期から、父親からは暴力と監視を受け、母親からは不平不満や自殺願望、性体験について聞かされ続けてきた人。父親からは脅迫的なまでの努力を強いられ、母親からは親子関係の逆転を強いられた。身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト、その全てを受けてきて、しかし、どれも外部から確認できるほどではなかった彼女の思いを、前者のハッピーラッキーボーイが理解しようとしたら、どうなるだろう?」

「それって」

 言いかけたマコトを、ユウキは遮った。

「フィクションだよ」

「いや、理解できないって前提なんじゃないかと訊きたかったんだが」

 ユウキは少し恥ずかしそうに、そしてどこか物悲しく笑った。

「ごめんごめん、早とちりしちゃったね。理解できない前提かとうかだね。それは前提ではないよ、ある程度理解できる方法はあるんだ」

「どうやって?」

「あーうん、まず、理解できない前提だと思った理由を教えて欲しい」

「そりゃあ、そこまで家庭環境が違うと、価値観も感じ方も違い過ぎるだろう。石油王がホームレスの気持ちを理解するようなものだろうし」

「そうだね、その通りだと思うよ。石油王の金銭感覚で、ホームレスの金銭感覚を推し量るのは、まあまず無理な話だよね」

 ユウキは頷きながら言葉を続けた。

「じゃあ、石油王がホームレスの価値観を理解できるとしたら、それはどういう場合だと思う?」

 意外にも、それほど時間がかからず、マコトは解の一つに気が付いた。

「石油王がホームレス経験者だったという場合か」

「正解。もともとその価値観を知っていたパターンだね。テレビや小説で格好良く表現されるよね。ほら、やたらと弱者に理解を示す権力者とか」

「あー、努力で成り上がったタイプだから、良い役として描かれるよな」

「そうそう、親の七光りだったり、運で成り上がったりしたキャラクターは、良くは描かれないよねー。そういう背景でも弱者を理解できる権力者なんてものは、作者の理想を反映しているだけの存在。つまりは、欲望の吐け口だと思うね」

「そこまで言うか」

「だって、そういう存在がいるなら、心理士なんていらないもの。そういう存在がいないから、心理士に助けを求めてくる人がいるわけだし」

「仕事を奪われてしまうから言っている……わけではないよな、ユウキの場合」

「もちろん。強者が弱者を救い、心理士なんて要らなくなるくらいの社会になると良いと思うよ、私は」

 虚空を見上げてそう言ったユウキは、“さて”と言って話を戻した。

「話を戻すけど、環境や経験が大きく異なる相手を理解する条件は、同じ体験をしたことがあるということだったね。でも、実は、もう一つある」

「それが共感ということだろう?」

「そうそう。その方法こそが、我々専門家が口を酸っぱくして唱える共感、基本条件の“共感的理解”に相当するものだね」

「感覚や価値観の度外視か……」

「そう、その上での感情理解。難しいよね。感覚や価値観という大きな思考材料を失ったわけだから。じゃあ、何をもとにして感情を理解する必要があるのか。これには、専門的知識と想像力が必要になる……といってもイメージつきにくいよね」

「そうだな、詳しく教えてくれると助かる」

「オーケー。まず専門的知識というのは、どういう背景や特性の人が、どのように感じやすくどういう行動をとりやすいかという、予測要素のことだね……もっと具体的な話をするね」

「うん」

「責任感が強い人はうつ病になりやすいとか、虐待を受けた人が不安症状を持ちやすいとか、言語に関するIQが高い人が理屈的な捉え方をしやすいとか、アスペルガー症候群の人が言葉に縛られやすいとか、ね」

「言葉に縛られやすい?」

「あ、ああ、アスペルガー症候群の人は、冗談も字義通り受け取ってしまったり、“してはいけない”という決まりを必要以上に守ろうとしたりとかね。まあ、どれももちろん個人差はあるよ」

「なるほど、そういう背景や特性を理解しておけば、“この背景を持つ人は、この場面ではこう感じているだろう”みたいな推測が立つわけか」

「そうそう、そういうこと」

「そういう専門知識は、やっぱり心理学科に入らないと学べないのか?」

「もちろん……と言いたいところだけれど、日本の心理学系の大学や大学院では、そこまでは学べないね。私の場合7割くらいは独学、2割が研修、1割が学校って感じかな」

「学校の割合、低いな」

「まあ、復習にはなった部分もあるけどね。新規の学びはそのくらいかな……つまりは、学ぶこと自体はできるよ。ただ、実際のカウンセリングを実施している中で、知識が人と繋がった感じはあるから、カウンセリングでないにしても使っていく中で、しっかりと身についていくものだと思うかな」

「そりゃあ、そうだよな」

「うん。ところで話は戻るけど、もう一つ必要な想像力なんだけど、これはシミュレーションに近いものだね」

「自分が相手になったシミュレーションを行うということか」

「お、“自分が相手になった”っていうのはすごく良いところついているよ。そう、自分の価値観を度外視してクリアな状態で、客観的な知識を用いながら相手の感覚を追体験する。これがものすごく大事。正直、これができればカウンセリングの難易度はぐっと下がるね」

「ほう」

「相手がどう感じるかが分かれば、どういう言葉が地雷になっていて、どういう言葉が包帯になるか分かるからね……それにこれを日常でも訓練すれば、カウンセリング経験が少なくとも、知識を技術に落とし込める」

「知識と実際とが結びつくのか」

「そうそう、まあかなりの訓練が必要だし、日常で行うのは公私のバランスが崩れるから、心理士以外にはおすすめしない」

「とはいえなあ……今回の件はさすがに堪えたからなあ」

「カスミさんの件?」

「……ああ」

「うーん、いろいろもったいないよ、本当に」

 ユウキは苦笑いを浮かべて呆れを口にした。

「マコトはさ、なんで傾聴術なんか真似ようと思ったの?」

「そりゃあ、俺は話が上手くないし、気持ちを理解するのも苦手だからな。それなら、話を聴くことくらい勉強しないとと思ったんだよ」

「私がカウンセラーだから?」

「……まあ、それも影響していないわけではないな」

「そこがまずもったいないよね」

 ばつが悪そうなマコトに対して、ユウキは畳み掛けた。

「私はカウンセラーであることに加えて、日常的にも心理学を使わざるを得なかった理由がある。それこそ他のカウンセラーよりもね……でも、マコトはカウンセラーではないし、そうする理由もない。なら、私なんかの真似をしても、中途半端になってしまうのは当然だよ」

 そこまで言ったユウキは一呼吸を置いた。そして、今日一番の優しい声でマコトへと言った。

「それにさ、マコトの長所は率直で真っ直ぐなところなのに」

「それ、実質1個じゃないか?」

「違うよ、強調だよ、1.5個だよ」

「結局2個には満たないんじゃないか」

 先にユウキが、つられてマコトが笑った。

「まあさ、マコトはその率直さを活かして関われば良かったのになと思うよ。率直に他者を理解しようとして、真っ直ぐに相手と関われば。それだけでマコトの魅力は十分に伝わるから」

「どうした、奢りを期待してんのか?」

「違うよ、心外だな。慰めてんの!」

 二人は再度声を上げて笑った。声が止んだ後、ユウキはマコトに聞こえるかどうかという小さな声で呟いた。

「私はあなたに同情するよ」

 ユウキは優しく笑い、顔を傾けた。ゆらゆら触れた彼女の黒髪は、この時、やけにマコトの目を引いた。

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