私は「小説」を書いていたのに、

飯田太朗

「カクヨム」の片隅で、私は生活を営む。

「凛々しく描いてくれよな! 凛々サイだけに!」

 鷹の姿をしたアカウント、作家のオにソースくんが止まり木の上でピシッとポーズを決める。「隆斗」を発動している私はペンタブをちょいちょいと動かす。


「じっとしててよ。今嘴のところを……」

「はぁい、ケーキが焼けましたよー」

「えっ、ケーキ?」

 オにソースくんがすぐさま声のした方を向く。だぁかぁらぁ、動くなって言ったのに!


 ケーキを焼いて来てくれたのはクララさんだ。最近この「カクヨム」にやってきた人で、何だか綺麗なものをたくさん書く、素敵な人。話を聞いている限り日本に在住している方ではないらしい。国境を越えた交流ができるのも、VR空間のいいところ。


「クッキーも焼きましたよ」

「えっ、クッキー?」

 駄目だ。オにソースくんはもうモデルどころじゃなくなってる。仕方がないので、私はオにソースくんを連れてクララさんのところへ向かう。


「お茶にしませんか?」

 にっこり、クララさん。優しそうな笑顔。

 クララさんがかたかたとタイプして、ガーデンテーブルの一式を描写した。途端に目の前に綺麗な鉄製のテーブルと椅子が出てくる。


 オにソースくんがテーブルの上に着地して、ケーキをしげしげと見つめる。

「いただきます」

「待って待って。オにソースくんが嘴つっこむと誰も食べられなくなっちゃう」

「うふふ。切り分けますから待っていてくださいな」

 クララさんがケーキを切り分け、それと一緒にクッキーを各自の皿に盛る。

「はい、おやつの時間」

「いただきます。壁より」

「オにソースくん、その『壁より』って何なの?」

 嘴をケーキにぶっ刺しながらオにソースくんが答える。

「知らないよ。飯田センセーが言い出したんだ」

「飯田さんって……あのミステリー界隈の」

 変な話を書く人だとは聞いている。


「あら、新しい方ね」

 クララさんがふと目線を脇にやる。

 私たちはたまたま、新規ユーザーがまず最初にやってくる場所、A1地区がよく見えるB7地区でお茶をしていた。クララさんの視線の先。A1地区のポーターに、没個性的な格好をしたアカウント、新規ユーザーが姿を現していた。


「どんな作品を書かれる方なのかしら」

 クララさんのそんな言葉を聞きながら、私は新しくやってきたアカウントくんのことを見つめた。新しく「カクヨム」に来た人はその世界観に驚いてまず辺りを見渡す。でも今やってきた彼はそれをしなかった。ちょっとした、違和感。


「ま、いっか」

 私はクララさんのケーキを頬張った。クランベリーシフォンケーキ。上品な甘さとクランベリーの仄かな酸っぱさが最高の……。

「んまぁい!」

「オにソースくん、お行儀」

「うふふ」


 平和な「カクヨム」だった。私はこんな「カクヨム」が好き。



 ジョギング。

「カクヨム」フィールドは色々な風景があるから、走り抜けるのが楽しい。この間は妖精さんがたくさんいる森の中を走った。その前は産業革命前のイギリスみたいな街を走った。運動したいだけなら現実リアルでもできるのだけれど、VRでも心身へのフィードバックはされるので、こっちで走っても運動したことにはなる。せっかく走るなら、面白くて奇妙な世界を走りたい。


 今日走っているのは深海。薄暗い中を様々なクラゲや、気味の悪い魚なんかが泳いでいる。水の抵抗はない設定にしてあるのだろう。問題なく走れる。ネオンライトみたいに輝くクラゲたちの群れは結構幻想的。海底遺跡なんかもあってロマンチック。


 ほっほ、と走っていると、クラゲの群れも海底遺跡もなくなった暗い海底、岩の傍に、男の子がいた。体育座りをして、じーっと、ダイオウグソクムシを眺めている。

 見覚えがあった。それがこの間、オにソースくんとクララさんと一緒にケーキを食べていた時に見かけた、あの新規アカウントであることに気づくのに、そう時間はかからなかった。

 足を止める。特に何かあったわけじゃないのだけれど、本能的に。ゆっくり彼に近づいてみる。


「やっほー」

 声をかける。彼はびっくりしたような顔をした。はは。当たり前だよね。

 私はインテリジェンスアシスタントシステムに彼の情報を参照させた。彼はまだ未成年のアカウントで、アップしている作品もひとつしかない、いわゆる新人さんだった。未来のある若者が神秘的な場所であるとはいえ、こんな暗いところで蹲っていたらそれは気になるというものだ。


「どうしたの、こんな暗いところで」

「何でもないです」

 その場を立ち去ろうとする。そっか、お姉さん余計なお世話だったね。そう残して立ち去ろうとしたが、去り際に何となく、彼がアップしている作品について覗いてみた。別に何の変哲もないタイトルだったけど、逆にその没個性的なタイトルが、私の頭に残った。タイトルはこうだ。


『素晴らしい世界』



 気になったので、読んでみることにした。

「カクヨム」の中では、誰のどんな作品でも読める。空中にキーボードで打鍵するような手つきをすれば文字が入力されて、「公開」ボタンを押すとそれが現実になる。けど今回は「公開」ではなく「検索」だ。私はこの前深海で会った男の子の『素晴らしい世界』という作品を探した。あまりに没個性的なタイトルだったからだろう。彼の作品は他の作品に紛れることなく、すぐに見つかった。色々と参照してみる。


 ジャンルは「詩・童話・その他」。イメージカラーは真っ黒で、キャッチコピーは……。


「あの日の思い出に」


 ノスタルジックな? と思いながら作品を開いてみた。本当に短い詩だった。


 素晴らしい世界。

 春は曙。

 夏は夜。

 秋は夕暮れ。

 冬はつとめて。

 素晴らしい世界だと思う。

 お前がいなくなってもずっとこんなだよ。

 だからさ、多分。


 以上。まぁ、切ないっちゃ切ない。失恋の詩なのかな、と女の勘繰りをしてみる。ただ、こんな詩を書いた彼が。


 深海の底で、うずくまっていたのだ。岩みたいに。影みたいに。現世の美しさを謳っている彼が、少しも先が見えないような世界の底で、まぁるくなっていたのだ。何かあると、思うじゃないか。


 とりあえず、私はコメントを送る。

「カクヨム」では作品に「♡」と応援コメントを寄せることができるのだ。

 私が送ったのは、五文字。


「いとおかし」

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