#22 愛に導かれて
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カーミルはふたりが初めて愛を交わした「隠れ家」へとエフィを連れていく。そして血筋や政略とはいっさい無縁の、心からの思いとともに、プロポーズするのだった。
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車が見覚えのある崖にはさまれた細道を縫っていく。
「ここなの?」エフィは不思議に思いながらカーミルの横顔を見た。
「言っただろう。ここは会社の保管庫だと。保管してあるのは、書類やデータだけじゃない」カーミルは言いながら、三日月のオアシスのそばに車を止めた。車外へ降り立ち、エフィの手をとると、別邸への入り口である裂目へと歩き始めた。
岩山のなかへ入ると、階段は登らず、奥へとつづく闇の道を歩いていく。やがて行き止まりになり、そこに鉄製のドアがあった。カーミルはポケットから鍵をひとつ取り出すと、別邸へ入ったときと同じようにボックスの鍵を開け、電子キーに暗証番号を打ち込んだ。扉が開き、2人はなかへ足を踏み入れた。
突然、明るくなった。そこは広々とした空間で、頭上から太陽の光が燦々と注ぎこんでいる。見上げると、天井は大きく口を開け、青空が広がっていた。
「地上からでは、こんな空間があることはまったくわからない。自然が作り出した秘密の格納庫さ」
だが、エフィにはカーミルの説明がほとんど聞こえていなかった。その目は、目のまえに鎮座している大型のヘリコプターに釘付けになっている。
「非常時用に置いてあるんだ。あれでこの国から出ていく」
「操縦できるの?」愚問とは思いつつ、それしか発する言葉が浮ばなかった。
「私が操れるのは車や馬だけじゃないよ」カーミルは冗談めかして言った。
あり得ない光景を現実のものとして受け入れると、エフィは自分たちの現実に思いが及んだ。「あれでどこへ行くの?」
「スイスへ行く。私が一番最初に起こした投資会社のオフィスと別荘があるんだ。スイスに着いたら、きみはいったんイギリスに戻ったほうがいい」
「そうね。母さんに父さんのことを報告しないと。あと、あなたのご両親のことも調べたいし」
「そうだったな」カーミルがつぶやくように言った。だが、すぐにふだんどおりの口調でつづけた。
「発つまえに、済ませなければいけない大事なことがあるんだ」
― * ― * ―
エフィは命じられるまま、あの日、愛を交わした屋上のテントでカーミルを待った。吹き込んでくる砂漠の風が心地よかった。もう何も心配することはない。愛する人とともに、無事にこの地を発つことができるのだから……。
「待たせたね」
カーミルは真っ白なガットゥラとカンドーラに身を包んでいた。
「着替えるだけなら、そう言ってくれれば――」
「そうじゃないんだ」カーミルはいつになく真剣な表情を浮かべて言った。「さあ、立って」
エフィは戸惑いながら立ち上がった。カーミルが顔にかかったエフィの髪を両耳にかける。そして右の頬についていた土埃の汚れをやさしく手でぬぐった。
「しばらくそのままでいて」カーミルはそう言うと、静かに片膝をついた。そしてエフィの顔を見上げた。「エフィ、きみに生涯変わらぬ愛を誓う。私と結婚してほしい」
言葉が出なかった。予期せぬ展開に、どう反応していいのかわからない。
「きみを幸せにしたいんだ、エフィ」頭を下げたまま、カーミルは言葉により力を込めた。
にわかに、エフィの胸は熱い思いで満たされた。王子としての地位を捨て、王女たる婚約者を捨て、カーミルは何もないわたしを選んでくれた。危険な目に遭いながら、わたしを助けてくれた。その人がいま、こうして厳粛に求婚している。
父さん、父さんはわたしをここに導きたかったのね……。エフィの目から涙がこぼれた。とめどなく涙があふれた。
「わたしは愛する人にずっとそばにいてほしい。すぐそばでその人を愛し、その人にも愛してもらいたい……」エフィは涙にうち震えながら言った。「わたしはあなたを愛しています」
カーミルはゆっくりと立ち上がると、エフィのあごに手をやり、涙をぬぐった。「私の求婚を受け入れてくれるんだね?」
「もちろんよ、カーミル」エフィは涙に濡れた顔に笑みを浮かべた。
「絶対にきみを1人にはしないよ」カーミルは口づけし、エフィを力強く抱きしめた。
― * ― * ―
スイスから飛行機に乗り、ヒースロー空港に降り立ったエフィは、バスや地下鉄を乗り継ぎ、まっすぐ実家のあるラフトンに向かった。2時間近くかけてデブトン駅につき、そこから母親が1人で暮らす実家まで1キロほど歩く。リムジンの出迎えもなければ、巨大な近代的建築物に目を奪われることもない。見慣れた郊外の住宅街のなかを歩いていると、ようやく現実の世界に舞い戻れた気がした。高級ホテル、砂漠、王宮、オアシス、銃撃戦。そして、カーミルと交わした愛。すべてが夢物語のようにも思えるけれど、そうではない証拠がキャリーケースのなかに入っている。
そう、父さんからの手紙が。
レンガ壁の古ぼけた家のまえにやってくると、エフィは2階建てのこじんまりとしたわが家をじっと眺めた。
着いたわよ、父さん。
インターホンを押し、しばらく待っていると、玄関ドアが開いた。
「あら、エフィ。どうしたの、急に?」
母親の顔を見たとたん、エフィはたまらず抱きついた。「ああ、母さん。会いたかった」
突然やって来た娘にいきなりきつく抱きつかれ、マーガレットはわけがわからなかった。だが、たったひとりの家族である愛娘の訪問は、いつだってうれしい。
「とにかく入りなさい。何があったのか知らないけど、話はゆっくり聞いてあげるわ」
ダイニングテーブルにつき、母親が淹れてくれた紅茶をひと口飲むと、体の内側がほのかに温かくなり、心がすうっと落ち着くのを感じた。エフィはキャリーケースを開け、なかから封筒を取り出すと、母親に差し出した。
「父さんからよ」
予想もしていなかった娘の言葉に、マーガレットは眉間に大きなしわを寄せた。それでも何も言わず、古びた封筒を受けとって開封すると、取り出した紙を広げた。目が大きく見開かれ、左手が口もとを覆う。そのまま手紙を読み進める母を、エフィは黙って見守った。
「どこでこれを?」ようやく視線を上げたマーガレットが、目に涙を溜めながらたずねた。
「じつはわたし、中東のパダーンに行っていたの。いろいろと細かい経緯はあるんだけれど、とにかく、ある辺境の村に父さんがいたという手がかりをつかんで、その村をたずねた。その村でまちがいなかった。長老が父さんのことをいろいろと話してくれたわ」エフィは母の手をとり、しっかりと握った。「村の人たちはみな父さんに感謝していて、りっぱなお墓まで建てられていたわ。いつかいっしょに行こうね、母さん」
母と娘はテーブル越しに身を乗り出すと、しっかりと抱き合った。
エフィはいったん体を離すと、母の頬を伝う涙をぬぐって言った。「笑ってよ、母さん。笑顔で家族3人、再会することがわたしの夢だったんだから」
「そうね」マーガレットが笑みを浮かべ、同じように娘の涙をぬぐった。そして、2人で手紙にそっと手を載せたのち、もう一度抱き合った。
「今晩、泊まってもいい?」エフィは母の背中にまわしていた腕をほどきながら言った。
「いいも何も、ここはあなたの家よ」
「そうよね。わたしの家だものね」エフィは大きな笑みを浮かべた。「話したいことがいっぱいあるの。父さんが導いてくれた、とほうもない運命の話よ」
いままで見せたことのない輝くような娘の表情に、マーガレットは内心驚いていた。
「あら、それは楽しみだわ」
ベレスフォード家に、ようやく心からの笑い声が戻った。
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