【漫画原作】愛と真実の砂漠 ― Real Love in the Desert ―

スイートミモザブックス

#01 ニューマーケットに現れたアラブの王族

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新聞社で社会部の記者を務めるエフィ・ベレスフォードは急きょ、伝統ある競馬の競争「2000ギニー」を取材することに。ビジネス界で注目を集めるパダーン首長国のカーミル王子が、初めて所有馬を出走させるという。


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緑の絨毯じゅうたんがゆるやかにうねりながら果てしなく広がっている。申しわけ程度の柵がなければ、ただの平原にしか見えない。

 エフィ・ベレスフォードは遠くその先を見るともなく眺めていた。

 やがて影のようなかたまりが見えてくる。それは徐々に大きくなり、次第にばらけ、ひとつひとつが形を取り始めた。

 馬だ。目のまえを、色とりどりのジョッキーを背にしたサラブレットが次々に猛烈なスピードで駆け抜けていく。芝を叩きつけるひづめの鈍い音が、エフィの耳に重く響いた。

「競馬場は、初めてか?」背後の声に振り返ると、合流したばかりのマイクが着脱式のネクタイをオックスフォードシャツのえりにはめている。

「ええ、まあ」エフィはいかにも気のない返事をした。今日は非番のはずだった。だが、朝早く電話で叩き起こされ、先輩記者から「妻が急に産気づいた」と取材の代打を頼まれた。そんなわけでようやくとった久しぶりの休みを返上し、こんな田舎までやってきたのだ。いくら全力で駈けてゆく馬の姿を目のあたりにしたからといって、もちろん多少は魅せられたけれど、急に気分が高揚するわけがない。

「めずらしいですね。わざわざネクタイをするなんて」エフィは自分の素っ気ない態度を詫びるかのように、見て思ったままを口にした。

「いつもはしないが、競馬は王侯貴族のスポーツだからな」マイクは片膝をついてカメラにレンズを装着しながらつづけた。「競馬場のエリアによってはドレスコードがあるし、なにしろ今日は〝2000ギニー〟だ。富豪の馬主はもちろん、お金持ちの紳士淑女がわんさかいる。取材とはいえ、格式あるレースに敬意は表さないとな」

 〝2000ギニー〟のレースについて、エフィはかろうじて調べてきていた。

 1809年にここニューマーケット競馬場で第1回が開催された3歳馬限定のレース。有名なダービー、そしてセントレジャーという2つのレースと合わせて、「クラシック三冠」と呼ばれている。異なる距離、異なる競馬場で3歳馬がレースを行い、世代最強を決定する。3つのレースをすべて制した馬は「三冠馬」という輝かしい称号が与えられ、現役を引退しても種馬としての安泰な余生が保証される。こうしたレース体系はほかの国でも採用されており、言わば競馬のモデルになっている。

 付け焼き刃で知識を頭に叩き込みはしたものの、実際にはぴんと来てはいなかった。第一、カメラマンでさえ即席でネクタイを付けているというのに、わたしはまるっきりふだんの取材着だ。

「大丈夫かしら。この格好で」エフィはふと気になってたずねた。

 かがんでいたマイクがエフィのつま先から上へと視線を走らせた。ヒールの低いくたびれ気味の黒いパンプス、ベージュのパンツスーツに白のシャツ。はしばみ色の瞳が輝く顔立ちはととのっているものの、まるで化粧っけはない。

「ドレスコードには引っかからないが、それにしても地味だな。まあ、その髪型はこの場にふさわしいよ。お馬さんの尻尾みたいで」

 エフィは思わずポニーテールに手をやった。手間いらずで、ことあるごとに髪を払う煩わしさもない。何年も変わらないヘアスタイルだ。つややかでまっすぐなハニーブロンドの髪も、その美しさがまるで目立たない。服装にしてもヘアスタイルにしても、目立たないようにしているのには理由があったが、だからといって、あえて指摘されると腹立たしかった。

「いまの言葉、十分にセクハラですから」

「色気のかけらもないくせに」

「それもアウト!」

 エフィが憮然としていると、マイクはカメラを首にぶら下げ、小型のカメラバッグを肩にかけると、「そんなことより仕事、仕事」と立ち上がった。

「とりあず一般客に軽く取材してからVIPエリアに行こう。アラブ王族と英国庶民のコントラスト。記事のスパイスとしちゃ、悪くないだろ?」

 マイクの言葉に、エフィのアンテナが強く反応する。

「アラブ王族ってなんですか?」

 それまでの陽気な表情が、マイクの顔からさっと消えた。

「おいおい、マジかよ。取材内容、何も聞いてないのか?」

「詳しいことはあなたに聞けって」

 マイクは天を仰いだあと、子どもを諭すように話し始めた。

「2000ギニーがどういうレースかはわかってるよな」エフィが小さくうなずくと、マイクはつづけた。

「この由緒ある国際レースには各国の馬も出走する。今年の目玉はアラブの新星だ。パダーン首長国のカーミル王子が初めて国外で愛馬を出走させるんだよ。ビジネスの世界で飛ぶ鳥を落とす勢いの経営手腕を見せているアラブの富豪が、今度は各国の馬を蹴散らそうってわけさ。これは単なる競馬の……」

 エフィの耳につづく言葉は聞こえていなかった。これは神が与えてくれたチャンスかもしれない。逃すわけにはいかないわ。

「一般のお客さんはお任せします。簡単に話も聞いておいてください。それくらいできますよね。わたしは先にVIPエリアに行ってます。あとはよろしく!」

 話をさえぎって、いきなりそう言うなり走り去っていくエフィの後ろ姿をマイクは呆然と見つめていた。ポニーテールが背中で大きくはずんでいる。

「まったく、可愛い顔して、じゃじゃ馬かよ」マイクはため息をついた。

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