第16話 初恋は大事にするタイプなの


「楽しかったねー。いつもと違う感じがして新鮮だった」


 ぐーっと両手を伸ばしながら、変わらずベッドに座っている間宮が口にした。

 優等生モードは終わりのようで、気楽な素の口調に戻っている。


「俺は精神的にかなり疲れた。二度とやりたくない」

「やっぱり素の私を相手にするのとは感覚的に違うの?」

「……無駄に素直で純粋無垢っぽく見えて、ああいうことをするのに凄い罪悪化を感じるって言えばわかるか?」


 感覚的な部分をどうにか言語化して伝えると、「あー……綺麗なものを汚す感じね」と変な納得の仕方をしていた。

 多分間違ってはいないんだろうけど、もう少し言葉は選んで欲しい。


 その理屈だと……まるで俺が間宮を汚していたみたいに聞こえるし。


「でも、そういうのって男の子的には美味しいシチュエーションなんじゃないの? 清楚な女の子が自分の前では――なんてさ」

「……人による、とだけ言っておく」

「なにそれ。アキトくん的には違うの?」

「表も裏も知ってるから違和感があるし、結局どっちも間宮なら考えていることも筒抜けになってる気がして落ち着かない」


 表に出ている人格が変わったところで、精神的な部分は変わらない。

 どちらにしろ間宮ユウという一人の少女が持つ側面ではあるけれど、だからこそこれまで違うように見えていたものが表裏一体だと気にしてしまう。


 一つ確実に言えるのは、優等生状態の間宮がそういう要求をしてくるのは心臓に悪い、ということ。


 正直二度とやりたくないし、させないで欲しい。

 間宮が一切気にしていないとしても罪悪感で顔を合わせにくくなりそうだった。


「私は楽しかったけどね。学校ではあそこまで近い距離感でアキトくんと接することは出来ないでしょ? だから……ちょっと調子に乗っちゃったのは認めるよ」

「普段からあの調子だと疑われかねないからな。頼むからやめてくれよ」

「……私は別に疑われてもいいんだけどね」


 ねたように小声で呟いたそれは、俺に向けた言葉で。

 ちらちらと上目遣い的に見上げてくる視線がむず痒い。


 その言葉が意味するところの感情も理解してしまっている俺としてはどう答えたものかと頭を悩ませるが、冴えた解答など手に取れるはずもない。

 少なくとも今は――間宮の想いに答えられる状態ではないのだから。


「それよりも、さ。こういうのがイチャイチャしてるってことなのかな」


 隣に座っていた間宮の身体がこちら側へ傾いてくる。

 肩の上に頭が乗って、長い髪が僅かに乱れながら広がった。

 確かな重みと、温かさと、衣服越しの触れあい。


 最後に残った距離を縮めるように、間宮の右手がベッドについていた俺の左手に重ねて、指を絡めてくる。

 それが世の中では恋人繋ぎなんて呼ばれているものだと知ってはいたが、解く気にはなれなかった。


「さあな。俺と間宮は恋人同士ってわけでもないんだし」

「誰かさんが気づいていながら答えを後回しにしてるからね」

「……ごめん」

「いいよ、待つから。これはアキトくんがちゃんと答えられるようになったときのための仕込みなの。私のことを少しずつ意識させて、離れられないように……って」

「もしかして間宮、病んでいらっしゃる?」

「初恋は大事にするタイプなの」


 甘えるように寄りかかる細い身体は力を込めずとも押し返せそうなほどに軽くて。

 言動から伝えられる間宮の想いは感じた経験がないくらい重くて。


 いつまでもこのままでいたいほどに、居心地の良さを感じていた。


「……この調子で午後も勉強会って大丈夫なのか」

「正直、あんまりよくない。ずっとドキドキしてる。今もだよ。触ってみる?」

「やめろ」

「照れてるね。もう何度も触ってるのにさ」

「それとこれとは話が別だ」

「いつまでも新鮮な気持ちでいてくれるって解釈にしておくよ」


 随分と前向きな評価をされたところで、二人とも何も言わなくなる。

 静かになった部屋には二つの呼吸と、時折軋むベッドの音だけが満ちていた。


 本当なら落ち着けるはずのない状況なのに、自然と凪のような感覚を覚えていた。


「……いいね、こういうの。安心する。家ではいつも一人だからさ。私、寂しがり屋みたいだし、誰かが傍にいてくれると気が緩んじゃう」

「あんまり緩み過ぎないようにしてくれよ」

「好きなだけ甘えさせてくれてもいいじゃん。私がこうしていられる相手はアキトくんだけなんだから」

「時と場所と場合と俺の精神状態を考えてくれ」

「一番最後以外は大丈夫じゃない?」


 猫なで声で言いつつ、ぺったりとくっついたままの間宮。


 こうも密着されると落ち着かない。

 心臓もずっと鼓動が速いままだし、繋いでいる手も汗をかいていることだろう。

 離れたくても離れられないのに――その繋がりに安堵を感じていることも確かで、矛盾を抱えた自分に疑問が浮かぶ。


 女性不信が前よりも改善されているのか、あるいは……と考えて、解決してしまう怖さから目を背けるように思考を止める。


 症状としてはまともになりつつあっても、精神状態の方がついていっていない。

 これでは本質的に変わっていないのと同じだ。


 そうだとしても、今、このときだけは。


「……まあ、いいか」


 好意的な感情と諦めを半分ずつ混ぜ込んだまま過ごしてもいいと思えた。

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