第4話 ………………おう


「でもさ、やっぱりテストって面倒だよね」


 放課後の教室。

 間宮が窓際でポーズを取りつつ、思い出したかのようにそう言った。


 根が真面目なのは知っているけれど、それでもテストは面倒に感じるんだな。

 正直、ちょっと安心している。


 これでもし「勉強って楽しいから苦労しないよね」なんて言い出したら、本気で宇宙人を見るような目を向けるところだった。


 借りたスマホでスカートを捲り上げ、タイツに包まれた太もものきわどい部分まで見えてしまっている間宮の姿を写真に収めながら、


「間宮もそこは同じなんだな」

「まあね。テスト好きな人とか怖くない? 私がテストを嫌いな理由は成績の良し悪しで一喜一憂して、点数を聞いてくる人が多いからなんだけどさ」


 はあ、とため息をつきながら、間宮がめくり上げていたスカートを手放す。

 重力に引かれて膝上数センチまでの長さに戻ったスカートの裾を直してから、隣に並んで撮った写真の確認をしようと覗き込んでくる。


 近すぎる距離感は信頼の現れなのだろうか。

 二の腕に間宮の胸が当たっているし、けれど間宮にはそれを気にする様子は一切ないしで、意図しているのか無意識なのかもわからない。


「……間宮。少し離れてもらっていいか」

「どうして? 当たってるからってことなら気にしてないけど」

「俺が気にするんだよ」


 目を弓なりにして微笑む間宮に真顔を返す。

 いや、多分、自覚がないだけで恥ずかしさを誤魔化すような顔になっていると思う。


 女性不信が完全に治っていなくとも俺だって男なので、こういうことをされると否応なしにドキドキしてしまうのだ。


 そこのところ、わかっているのか?


 ……この口ぶりだとわかってやってそうだな。


「でもさでもさ。それなら藍坂くんが私から離れたらいいだけじゃない?」

「後が怖い」

「まあ、それならそれで私はくっついていられるからいいんだけど」


 ふふっ、と間宮は鼻で笑って、さらに胸を押し付けてくる。


 制服の生地を隔てていても腕を包み込む柔らかな感触。

 必然、間の距離が近くなって、細い黒の長髪が頬を撫でた。

 肌触りのよさは手入れを怠っていない証拠だろう。


 同時に耳へかけられた吐息。

 背を甘い痺れが駆けあがり、間宮の近さを身をもって意識する。


「前から思ってたけどさ、藍坂くん、耳弱いよね」

「……大体誰でもいきなり息拭きかけられたらこうなるだろ」

「私的にはそういうとこ、初心でとてもいいと思うけどね」


 言って、間宮は淡く微笑む。


 普段、学校では見せることのない素を表に出したもの。

 それを見せる相手が俺だけなのだと理解すると顔が熱を持ってしまう。


 あの日の放課後。

 間宮が伝えてくれた「好き」という言葉が、ふとした瞬間に頭をよぎる。


 俺にはまだ、その感情をちゃんと自分のものとして消化できそうにはないけれど、いつか向き合わなければならない。

 間宮の信頼に応えるためにも、裏切らないためにも。


「……それよりも、勉強会とかしてよかったのか?」

「うん。私がこれまでそういうのに参加しなかったのは、誘ってきた人が勉強そっちのけに見えてたからだし。でも、今回は藍坂くんの友達二人だから、多分大丈夫かなって」

「ああ……それは保証するよ。ナツには多々良がいるし、間宮を誘ったのは買い物のときに会って気に入られたからだろうし」


 正確には興味を持たれた、かもしれない。


 優等生の姿しか知らない二人なら、俺と間宮が一緒にいたことに少なからず疑問を抱くと思う。

 なにせ学校では隣の席というくらいしか接点がなかったし、家が近かった……もとい、同じマンションだったのすら最近知った。


 俺と間宮を結び付ける要素は限りなく少ない。

 その中でナツと多々良は二人で一緒に出掛けている場面に遭遇してしまった。


 そうなれば……嫌でもどういう関係なのか気にしてしまうのが人間の性というもの。


「間宮、頼むから変なことはしないでくれよ」

「変なことってどういうこと?」

「……そりゃあ、放課後に教室でしてるようなこととか」

「写真撮ってるだけだよね」

「脱いでたのを忘れたとは言わせないぞ」


 裏アカに上げる用の写真を撮るのが普通とか断じて認めないからな。


「……二人がいるってことは優等生状態ってことだろ?」

「そのことね。別に、もう慣れてるし」

「それに、二人の勉強のことも」

「私の復習にもなるからそれもいいの。でも……問題は、私が藍坂くんの家に行くってところ」


 真面目な表情で間宮が言う。


 いや、俺の家に来るのに緊張する要素はないだろ。


「なんで?」


 怪訝な表情で聞いてみれば、どうしてか間宮はぎこちない動きで顔を逸らし、


「だって、藍坂くんの家だよ? ……好きな人の、家、なんだよ?」

「………………おう」


 結局、出てきた言葉はそれだけで。


 微妙な空気のまま何十秒と経ってから、


「とりあえず帰らないか?」

「そう、だね。もう外も暗くなってきてるし、遅くなると寒いし。うん、そうしよ」


 焦ったような間宮の様子に少しだけおかしさを感じるも、笑みを見せないように二人で下校の準備を始め、帰路についた。


 だが、マンションにエントランスに辿り着いて、エレベータを待っていると――


「……あれ、アキも今帰り?」


 背後から聞こえた声に振り向けば、そこにいたのは仕事から帰ってきたと思われるアカ姉がいた。


 これは……やっちゃったな。

 なにせ、まだ隣には間宮がいる。


 アカ姉は俺が女性不信で滅多なことでもなければ異性と関わらないと知っている。

 そんな俺が間宮という外見だけ見れば美少女とよんで差し支えない異性と一緒に帰ってきたとなれば、余計な勘繰りは避けられない。


 内心の動揺を押し込みつつ、


「そういうアカ姉こそ今帰り」

「まあね。それで――隣の子は?」


 どこか警戒するように目を細めながらアカ姉が間宮を見ると、視線を感じ取った間宮が丁寧に腰を折って礼をする。


「藍坂くんのクラスメイトの間宮ユウです」

「ふぅん……」


 アカ姉が獲物でも見定めるかのように間宮を注視する。

 張り詰めたような緊張感が漂って、まずいかもと感じた俺が介入しようとした寸前、


「合格かな。うん。ユウちゃん、ね。自己紹介が遅れたわ。私はアキの姉のアカハよ。遂に悪い虫がついたのかと思ったけど……そういうわけではなさそうね」


 にんまりと一転して笑顔を浮かべるアカ姉。

 丁度、エレベータが到着して、扉が開く。


 そこへ俺と間宮を追い抜いてアカ姉が先に入り、


「ユウちゃん。よかったらうちに寄ってかない?」


 そう、手招きながら提案するのだった。

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