第38話 これからもよろしくね?


「――それで、間宮」

「どしたの?」

「あんなことがあってもこれはやめないんだな」


 放課後の教室。

 秋が深まって、黄色や赤に色づいていた葉が散り始めて来た景色を窓から眺めつつ、俺は窓辺に佇む間宮へと問いかけた。


 というのも、俺と間宮の秘密を内海が中途半端に知ってしまい、昨日の事件が起こってしまった。

 結果だけ見れば秘密は守られ、内海がしたこともなかったことになり、俺たちの学校生活は平穏を保っている。


 だけど、今回の件で学校であんなことをするのは危険だとわかるはずなのに――間宮はどうしても裏垢のための写真撮影をやめようとしない。


「やめる気はないよ、少なくとも当分の間は」

「なんでだ?」

「本当の私でいられる数少ない場所だから」


 間髪入れず、寂しげに表情を陰らせながら間宮は答えた。


 学校では優等生として振舞っている間宮だが、その素はどこにでもいる普通の女子高生だと俺も知っている。

 そうしなければならない理由も、裏垢を始めた経緯も。


 俺が間宮にやめろと強制するのは間違っていると思う。


「でもね、私は結構今は楽しいよ? 藍坂くんに秘密を知られて、関わるようになって……藍坂くんは迷惑に思ってるかもしれないけど」


 ごめんね? と謝る間宮に、俺も間宮と放課後に出会った時のことを思い出す。


 あの日は忘れ物を取りに戻った教室で自撮りをしていた間宮と遭遇し――気づけば脅されて逆らえなくなり、今のような関係性に落ち着いた。


 一般生徒と優等生……普通に過ごしていたら接点なんて持ちようがなかった相手。


 それがどうして、放課後の教室で裏垢に投稿するための写真を撮る仲になると誰が想像できるだろうか。


 ……いやまあ、俺はどっちかと言えば巻き込まれた感じだけどさ。

 間宮の過去を知って、俺の過去を知られたら、引き返す気も起きない。


 一蓮托生なんて言い方は大仰かもしれないけれど、正しく俺と間宮は互いの秘密を意地でも守る必要があるのだから。


「迷惑ではあるな。間宮にあの写真がある限り逆らえないし、あんな写真を撮らされるし、帰りはなにかと出費がかさむし」

「……そう言われると申し訳ない気持ちになってくるね」

「じゃあ写真削除してくれ」

「それは無理。絶対、無理」


 間宮はぶんぶんと頭を振って否定する。


 元から消してくれるなんて思っていなかったから別にいいけどさ。


 それに……もう、それもどうでもいいと思ってるし。


 間宮が本気で俺を脅そうとしたことはただの一度だってない。

 過去を知ったときに、間宮が誰かを裏切れないことくらい理解している。


 乱れた髪を手櫛で直した間宮は、今度は俺の方へ視線を真っすぐ伸ばしていた。


 どことなく緊張しているように見えるのは気のせいだろうか。


「……藍坂くんは誰かを好きになるって感覚、わかる?」


 溜めるようにして口にしたのは、そんな抽象的な問いだった。


「随分唐突だな。でも、残念ながらわからないな。初恋前に俺の恋愛感情とやらは吹き飛んでしまったから」

「そうだよね。私もわからない。わからなかった。でも、この前の内海さんのときに少しわかった気がしたの」


 細められた間宮の目元。


 ゆっくりと間宮は俺の方へ近づいてきて、屈むように手振りで指示してくる。

 何が何だかわからないまま従うと間宮も視線の高さを俺に合わせて、


「んぐっ!?」


 急に頭を胸の間へと抱き寄せられた。


 顔面に広がった下着のものと思われる硬さと、その奥にある柔らかさ。

 仄かに香る甘い匂いが呼吸に合わせて鼻孔を刺激する。


 まるで心音でも聞こえてきそうなほどに密着していて、驚きと焦りで心臓の鼓動が加速して体温もそれに伴って上昇していく感覚があった。


 離れようにも結構な力で抱きしめられているし、無理に解いて間宮に怪我でもさせたらと思うと力ずくでの抵抗は出来ない。


「……何の真似だ」

「……ここまでさせておいてわからないの?」


 辛うじて意図を聞き出そうとした言葉に返ってきたのは、顔を見ずとも冷たい表情をしているのが手に取るようにわかるような声。

 そして、ため息。


 ……なに? 俺が悪いの?


 どう考えても説明なしにこんなことをしている間宮の方が悪いだろと思いつつも、間宮が言いたいことを考えて――文脈から現実味のない結論にたどり着く。


 いや、それは流石にない。


「……悪い。わからない」

「嘘。わかってるけどあり得ないとか思ってるでしょ」

「……なんでわかるんだよ」

「わかるよ。そうとしか思えないように話を誘導したつもりだし」


 ………………は?


 真っ白になる思考。


 抱きしめる力が弱まって、顔が間宮の胸から遠ざかっていく。

 俺と間宮は視線を交わらせ――その顔が陽の光だと誤魔化せないほどに赤くなっていることに気づいた。


 間宮は覚悟を決めたように「よし」と小さく呟いて、


「――私、藍坂くんのこと好きだよ」


 隠すことなく間宮は告げた。


「本当の私を否定せず見てくれて、お互いの過去を知って、秘密を握り合っているだけだったのに、藍坂くんは私の傍にいてくれた」

「……違う。俺は自分のために間宮といただけだ。間宮に恩を売っておけば、多少は自分の利益になると思って」

「それでも、藍坂くんが私にしてくれたことは変わらないよ。買い物の時も、この前も、藍坂くんは私を助けてくれた。欲しい言葉をくれた。私の弱い部分をそのまま受け入れてくれた」


 俺の否定を間宮がさらに否定する。


 それどころか全てを肯定するような口ぶりで、冗談ではないことを察せられる真剣さに二の句が継げない。


 目の前の光景が過去と重なる。

 全く関係ないとわかっているのに、この場から走って逃げ出したい衝動がふつふつと湧き上がった。


 でも、それは出来ない。


 間宮の告白が嘘だったら――と考えてしまう弱い心が発した声を押し殺し、震える脚を叩いて無理やり止める。

 背中にじわりと滲む汗が気持ち悪く、少しだけ眩暈めまいも感じていた。


 だけど、俺の異変を目敏めざとく察知した間宮が心配そうに手を伸ばして、


「……ごめん、藍坂くん。凄く顔色悪いの、私のせいだよね。私が告白なんてしたから、昔のことを思い出して――」

「……そうだな。でも、最後まで聞かせてくれ」


 絞り出した言葉で間宮に先を促すと、間宮は眉根を下げながらも最終的には頷いて、


「――私は藍坂くんのことが好きです」


 再び、間宮はそう告げた。


 しんとした沈黙が教室に落ちて。


「…………、……えっと、終わり?」

「うん」

「……そういうのってさ、もっとこう、付き合って欲しいとか、なんか色々あるものじゃないの?」

「それはそうなんだけど、藍坂くんの様子を見てるとまだ無理かなあって思って。今も気分悪そうだし、女性不信のこともあるし」


 間宮の予想は全て正しかった。


 過去の嘘告白によって女性不信を抱えた俺は、まだ間宮の告白にもちゃんとした答えを返せる気がしない。


「……そうかもな。こんなときに気を遣わせてごめん」

「それはいいけど、できれば今の藍坂くんの気持ちを教えて欲しい」


 間宮への気持ち、か。


「――少なくとも、俺は間宮に恋愛感情としての好きはまだない。でも、友達としては今後とも仲良くしたいと思うよ」


 自分に都合のいいような言葉だけど、俺の偽らざる本音だった。


 秘密を握り合っているという関係だからか間宮も俺も互いに遠慮なんてしないし、それが居心地いいと思っている節はある。

 始めこそ嫌々だったけど、間宮も俺が本当に嫌がることはしないし、逆も然り。

 脅したのだって間宮が秘密を守らせるためで、実際のところはそれをバラしてどうこうする気なんてなかったんじゃないかと今では思う。


 間宮の素が学校のような優等生なら気後れしたかもしれないけど、優等生の仮面を外した姿はちょっと我儘で、自分勝手で、人並みに悩みを持ったどこにでもいるような女の子なのだと気づいた。

 秘密を守らせるためという大義名分があれば、女性不信があっても間宮と関わるのは楽だった。


 それに、過去を理解してくれた間宮なら、友達として付き合っていくことは俺の方から頼みたいくらいだった。


「そうだと思った。でもさ、それは藍坂くんが私を好きになる可能性がない、ってわけじゃないよね?」

「……さあな。俺の女性不信が治らないことにはなんとも」


 こればかりは断言できるはずもなく首を振る。


 しかし、間宮の目には諦めの色はなく、むしろ挑戦的な光を宿して口角を上げていた。


 それを行動で表すように、間宮は俺へ人差し指を向けて、


「なら、いつか藍坂くんに私を好きだって言わせてみせるから」


 不敵な笑みを浮かべて間宮は宣言する。


 結果だけ見れば間宮の告白を断ったにもかかわらず、間宮はそれでも俺のことを好きでいると言ってくれたのだ。


 直接的に伝えられた好意の熱量に、自然と目の奥が熱くなる。


 いつか俺も『好き』だと本心で伝えられる日が来るのだろうか。

 そうだったらいいなと、間宮の晴れやかな笑みを見ていると素直に思う。


「ね、写真撮ってよ。普通のやつ」


 手渡されたカメラが起動されたスマホを受け取ると、間宮は窓辺に佇んで開け放った窓から茜色に染まった空を眺めてから、くるりと振り返る。


「綺麗に撮ってよ? これは私が藍坂くんに告白した記念日の写真でもあるんだから」

「……そりゃあ責任重大だな」


 呼吸を落ち着けながら、間宮の顔にピントを合わせていく。

 逆光が丁度良く間宮の表情を照らす場所を探して、ようやく定まったところで合図をする。


 ふわり、と窓から吹き込んだ風が長い髪を靡かせた。

 白い頬を茜色が塗り替える。

 長い睫毛が蝶の羽ばたきのように広がって、ぱっちりと開いた両目はカメラ目線に。


 秋色に彩られた柔らかな笑顔。


 タイミングを逃すことなくシャッターを切り――


「――藍坂くん。これからもよろしくね?」


 微笑みと共に放たれた言葉に、俺は気恥ずかしさを誤魔化すようにもう一度シャッターを切った。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 これにて一章完結となります。ここまで読んでいただきありがとうございました!

 お話はまだ続きますが、二週間ほど期間が開くかと思います。投稿を再開したら、またよろしくお願いします!


 少しでも面白かったと思った方はフォローと☆をよろしくお願いします!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る