第36話 油断したな


「――人の気持ちも聞かずに強引な手段で迫るのは感心しないな」


 俺は空き教室に入って、呆れたように間宮を締め上げる男子生徒へ告げた。


 彼の姿に見覚えはないものの、雰囲気は暗めで気の強い人には思えない。


 間宮に抱き着いた状態のまま彼は驚いたように視線を俺に向けている。

 当の間宮は苦しげに表情を歪めて、目じりに涙のしずくを浮かべていた。


「……誰だよ、君」

「藍坂アキト。まあ、そこの間宮の知り合いみたいなものでさ。取り敢えず――」


 俺は空き教室に入る前から用意していたスマホを取り出し、素早く二人の姿をカメラに収めてシャッターを切る。

 今しがた撮った写真を確認しつつ、これなら彼が間宮を襲っていた、なんて証拠としては十分だろうと思いそれを見せつけ、


「お互い落ち着くってのはどうだ? 状況証拠じゃあ、お前が間宮を襲ってたようにしか見えないぞ」

「違うっ、僕は――」


 彼は俺という第三者が介入したことで冷静さを取り戻したのか、間宮を手放して身振り手振りで自分の無実を証明しようとしていた。

 だけど、今そんなものに意味はない。


 彼の拘束から解放された間宮はけほ、けほと軽く咳込みながらも呼吸を整え、彼から隠れるように俺の後ろに回って制服の裾を掴んでくる。

 それから耳元に口を寄せて、


「……彼が犯人みたい。裏垢のこと知ってる」

「油断したな」

「うるさい」


 おいこら背中を小突くんじゃない。


 形だけ見れば助けに来たってのにその仕打ちはないだろ。


 でもまあ、知られているならこうなった経緯も読めてくる。


 彼が「秘密がバレたくなかったら好きにさせろ」みたいなことを言い出して、間宮は従っていたらあんなことになっていたのだろう。


「……なんで。僕の方が間宮さんを好きなのに。こんなにこんなに、好きなのにっ!!」


 彼は両拳を硬く握りしめながら、怒りをあらわにして叫ぶ。

 安易に殴り掛かってこなくて助かったと思いつつも、彼の言葉と行動の乖離かいりにどうしても引っ掛かりを覚えてしまう。


 好きな人を脅して自分のものにしようなんて、どう考えても好きという感情からは遠ざかっているように思える。


 独占欲や執着心と呼ぶべき感情。

 人間ならある程度は仕方ないとはいえ、度が過ぎているのではないだろうか。


「好きなら相応の態度ってものがあるだろ」

「なんだよ、なんなんだよっ!? いきなり出てきたと思ったら彼氏面かよっ!? そうやって僕のことを内心笑ってるんだろっ!!」

「違う。俺と間宮は付き合ってすらいなければ、恋愛感情的な好きも持ち合わせていない。ただの友達だ」

「口ではなんとでも言えるだろっ!! お前、放課後に間宮さんといかがわしいことをしていた奴だろっ!!」


 放課後、いかがわしいこと……実際にしていたことを思い返すと微妙に否定できないのが悔しい。


 だけど認めるわけにはいかないし、あの行為の本質はそこじゃない。


「いかがわしいことって言ってるけど、具体的にはなんだよ」

「っ……それは、いや、誤魔化そうとしても無駄だっ!!」

「証拠でもあるのか? 無いなら言いがかりも甚だしいぞ」


 証拠なんてあるはずがない。


 教室の扉は施錠されていて、目撃者は俺と間宮、そして目の前の彼だけ。

 俺と間宮が否定すれば人数と間宮の信用度によって彼の意見は封殺されるはず。


 彼もそれをわかっているからか、ギリギリと歯を強く噛み締めていた。


「それと比べるわけじゃないが、お前がやっていたことは証拠があるぞ。俺も目撃して、あの証拠写真と間宮の証言もあれば悪いのはお前ということになる」

「違うっ! 僕と間宮さんは互いの愛を確かめ合っていただけで――」

「彼はこう言ってるけど実際は?」

「……そうするしかありませんでした。大人しく従わないと何をされるかわからなかったので」

「だそうだ」


 声を震わせながら間宮は答える。


 普段の間宮を知っているからか演技を疑ってしまうものの、若干は本当の心境が混ざっているのか不自然には感じない。

 ぴったりと俺の背中に手を当てて支えにしている間宮。


 涙で濡れた瞳で彼を映していた。


 彼は呆然としたまま立ち尽くし、肩を震わせながら目を見開く。


「……どうして。僕はこんなに間宮さんのことが好きなのに」

「好きならやり方を間違えるなよ。お前がやっていたのはストーカーと脅迫。場合によっては警察沙汰もあり得るんだぞ」

「……うるさいっ!! 僕は間宮さんに振り向いてもらいたかったんだ!! 間宮さんだけは僕みたいな陰キャにも「おはよう」って言ってくれて、優しく笑ってくれて、だから、だから――っ!!」


 彼は膝から崩れ、喉を鳴らしながら溢れた涙を袖で拭う。


 ……なんだよ、それ。


 結局、お前が間宮に自分の理想を押し付けていただけじゃないか。

 自分勝手に間宮を振り回して、好意とは名ばかりの醜い欲求だけを一方的にぶつけて、それのどこが「好き」なんだよ。


「――ごめんなさい、内海さん。やっぱり私は、貴方の気持ちには応えられません」


 後ろにいたはずの間宮が、彼へ歩み寄りながら静かに言葉をかける。


 俺は危ないからと止めに入ろうとするも、間宮が振り返って「大丈夫」と口の動きだけで伝えてきたので仕方なく留まった。

 だけど、何かあった時のために動けるように心の用意だけはしておく。


「これは貴方のことが嫌いだからではなく、私自身の問題です。以前内海さんから告白されたときも、同じように返答をしたはずです」

「……でも、それは断るための方便だと思って」

「違います。告白に嘘を返すのは、失礼を通り越して侮辱とすら思います。こればかりは信じていただくしかありません」


 彼は明らかに間宮の言動に困惑していた。


 さっきまで半ば強引に抱き着いていた男に向けるような態度ではなく、少しだけ残念そうな雰囲気を漂わせる優等生の姿。

 けれど、間宮は彼の歪んでしまった好意も受け止めている。


 それが彼には理解不能なのだろう。


 自分がしてしまったことを理解した今なら、尚更。


「ですから、どうか自分を見失わないでください。その時になってからでは遅いです。私のように戻れなくなってしまいますから」

「……っ、なら、僕は間宮さんのことを好きでいてもいいんですか」

「返事は変わらないかもしれませんが、それでもよければ」


 最後に間宮は微笑んでくるりと俺の方へと振り返る。


 おいやめろ「これでいいでしょ?」みたいな雰囲気を出すんじゃない。

 まだやるべきことは残っている。


「あー、内海……でいいんだよな。俺から一つ提案がある」

「…………」

「今日のこと、俺も間宮も他へ公言しないと約束する。もちろん警察沙汰もなしだ。だから、内海も知ったことを公言しないと約束してくれ」

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