第12話 無理かもだけどね


 それぞれ会計を済ませ、俺は間宮を家まで送っていくことにした。


 間宮は気まずいのか断ろうとしていたものの、六時前の秋空は既に日が暮れ始めていて薄暗い。

 夕焼けの赤と、夜の訪れを告げるような深い青の境界線がじんわりと交わって、溶けるように広がっていた。


 この暗さで仮にも女子校生である間宮を一人で帰すのは良くないかと思っただけで、深い意味は何一つない。


「ありがとね、藍坂くん。心配してくれたの?」

「多少な。何かに巻き込まれたら面倒だし」

「そっか」


 静かな声。

 左隣から流される視線がどうにも居心地悪く感じられて、顔ごと右の車道へと逸らした。


 俺の心情としては間宮とあまり居たいわけじゃない。

 間宮に不愉快な感情を抱かせてしまうとわかっていたし、実際喫茶店ではそうなった。


 これでも学校生活では迂闊うかつな反応をした覚えはなかったけれど、それは間宮ほど距離感を詰めてきた女子がいなかったからだと気づいた。

 まだ根本的な部分で女子を苦手に思ってはいる。


 なのに男としての部分は正常に反応するものだからどうしようもない。


 結局、俺は間宮の遊び道具になるしかないわけで。

 それなら多少の好感度稼ぎ……ではないにしろ、嫌われない程度の付き合いはしておいた方が得だと思った。


「――さっきの理由、聞かない方がいいんだよね」

「まあ、そうしてくれると助かる。出来ることなら証拠写真をこの世から消し去ってくれるともっと助かる」

「前半分はいいとしても、後ろ半分はダメだよ? それに、ほら。ネットの海に出てしまったものは完全に消し去るなんて無理だし。私の写真みたいに」


 間宮は薄く笑って、僅かに空を見上げる。


 俺も釣られて顔を上げると、早くも一番星が瞬いていた。

 冷たい風が吹き抜け、逃げるように手を制服のポケットに突っ込み暖を取る。


 10月。

 冬まであっという間に過ぎていくんだろうな、なんて考えながら、間宮と並んで靴音を鳴らす。


「私はさ、こんな感じだから普通に話せる友達って誰もいないんだ」

「学校のやつは知らないのか」

「教えるわけないでしょ? 裏垢女子なんて相当グレー……まあ私の場合は写真を上げてるだけとはいえ、世間的な評価としてはアレだから」


 それはまあ、わからないでもない。


 俺が持つ裏垢女子というもののイメージは、大人の男とそういう関係を持ってお金を貰う人……そんな感じだ。


「本当だからね? 私、そういうことはしたことないから」

「……あのなあ、仮にもそういう話題を彼氏彼女でもない男に振るな。どう返せばいいのかわからないだろ」

「俺も俺も! って返せばいいんじゃない?」

「失敬な」

「違うの?」

「その通りだけど」

「ならいいんじゃない? 別に私は気にしないし。このくらいで経験してる子もいるってよく聞くけど、よくやるなあ……って感じ」


 その言葉には、しみじみとした実感のようなものがにじんでいる気がした。


うらやましいのか?」

「いや? まさか。私はピュアな乙女だからね。初めてはちゃんと好きな人がいいなあって思ってるよ? ――まあ、そんなの無理かもだけどね」

「……決まったわけじゃないだろ?」

「ううん。私には無理。クラスの女子が恋愛話をしていても、全く理解できないし。そもそも自分を偽ってる私が誰かを好きになれるはずがないの」

「本当の顔を知られたくないから、か?」

「正解。それも藍坂くんには知られちゃったけど」


 てへ、と落ち込んだ雰囲気を吹き飛ばすように、間宮は小さく舌を出しておどけて見せた。


 人を好きになれない……か。

 理由は違うけれど、俺も似たような感覚は持っている。


 少なくとも今のままでは恋愛なんてものをすることはないだろうと確信できた。


 そもそも、身近な異性が母親と姉を除外すると間宮くらいしかいないわけだが。


「後悔してるのか?」

「してる……って言いたいところだけど、私としてはこれでよかったかなって思ってる。ずっと仮面を被ったままだと息苦しいし、私の裏の顔を見ても藍坂くんはなんだかんだで拒絶はしないよね」


 間宮は俺の方に振り向いて、頬を緩ませつつ視線を送った。

 微かな信頼の色を感じ取ってしまい、喉の奥に何かが詰まったような感覚に見舞われるも、それを胸の内にしまい込んで言葉を出す。


「驚きはしたし、今もどうにかして関りを断ち切りたいとは思ってるけどな」

「……私のおっぱいをあんな嬉しそうに触ってたくせに」

「そんなに嬉しそうに触ってはいないだろ。普通にちょっと柔らかいんだな……とか考えただけで」

「また触りたいの?」

「いやまさか」

「あっ……そっか。授業中にあんなことしたからムラムラしてるんだ……気づかなくてごめんね?」

「勘違いもはなはだしいし公共の場でわざと誤解を生むような言葉を口にするのやめてくれませんかね??」


 人いるからね!?


 ただでさえ間宮のせいで視線を集めているんだぞ。

 頼むから人の視線とか意識を考えて欲しい。


「……で、家は」

「もう着くよ。というか、目の前に見えてるし」


 間宮が前方に控える建物を指さした。

 そこには至って普通のマンションがあって――ていうか、俺もそこのマンションなんだけど?


 えっ、なに? 俺と間宮って同じマンションに住んでたの?

 それなのに一度も遭遇したことないって……幸か不幸か、よっぽどタイミングが合わなかったんだな。


 これは言うべきか言わないべきか――


「藍坂くんもここでしょ? 迷惑じゃなかったらこれからも一緒に帰らない?」

「その口ぶりからして始めから知ってたのかよ」

「まあね。前に出ていくの見かけたから」


 ……もう何を言われても驚かないと思う。


 俺は間宮に何を握られているんだ??

 一方的に知られ過ぎている気がする。


 それに、これからも一緒に帰る……か。

 学校の奴らが知ったら俺はどうなるのか考えるだけでも怖い。


「他に帰りに一緒のやつとかいないのかよ」

「自分で言うのもなんだけど、基本的にボッチだよ? 学校の人には塾とか習い事があるから――って断ってるし。リスク増やしたくないから」

「よくまあそれで乗り切れたな」

「そのための優等生って仮面だし。で、どう? 一人で帰るよりも楽しいなあ、と思って」


 楽しい、か。


 俺も友達と呼べる相手は少ない。

 それこそナツくらいだけど部活をしていて彼女もいて、帰る方向も全く違う。


 必然的に一人で帰る機会が多かったけど……今日のように寄り道をしたり雑談しつつ帰るのも悪くはないと思った。


 相手が間宮なのはどうにかして欲しいところだけど。

 それに、間宮には気を遣わなくていいから意外と楽ではある。


 あんな秘密がある以上、俺と間宮は一蓮托生……運命共同体、とは少し違うかもしれないが、互いに命綱を握りあっている状況に近い。

 間宮は俺が秘密を守る限り裏切らない――そういう確信があった。


「なら帰るときは連絡してくれ」

「クラスメイトに怪しまれないように?」

「そういうことだ」

「ふうーん。いいよ、それでも。私的には誤解を生んだ方が楽しそうではあるなあ、と思ったけど」

「悪魔かよ」

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