第24話 町内肝試し大会の夜への応援コメント
最終的には帰るのかと思って読んでいたので、意外な結末に驚きました。
平和な終わり方とも受け取れますが、一方で、「より高度な異世界で実験動物として適応してしまった」と考えると、やはりジワジワとした不気味さを覚えます。
今回も面白かったです。
また楽しみにしています!
作者からの返信
行ったきりで帰れない人ってたくさんいると思います。行方不明者も少したつと忘れ去られてしまう。怖いですね。
第23話 人柱への応援コメント
今回もゾワゾワしながら読ませていただきました。
まさか本当に人柱にされてしまうなんて……!
最後に浮かばれたようで、安心しました。
ホラーのような、ジワジワと忍び寄る恐怖、不気味さの表現にリアリティがあって、凄いです。
戦後の村の描写にもドキッとしました。
また楽しみにしています。
作者からの返信
釣舟草さんいつもありがとうございます。学校の校門前には傷痍軍人がいたり、町外れの防空壕にまだ住む人がいました。家族が次々に栄養失調でなくなり孤児になった友達。それでも、私は戦後の生まれ。戦争がこの国で起こったなんて、信じられない。美しい話になるといいなあ、黄金のドクロ。
第21話 呪われた記憶への応援コメント
今回は恐ろしい物語でしたね。
ヨネさんが丑の刻参りの作法を正しく知らなかったことが、唯一の救いです。
人を呪わば穴2つと言いますが、正しく呪わなかったからこそ、ヨネさんは普通の亡くなり方をすることが出来たのかな、と思いました。
作者からの返信
丑の刻参り目撃すると、トラウマに苦しみます。あっさり書きましたが、怨念とか、執念とか、恐ろしい世界ですね。ヤダヤダ、ブルブル。
第20話 プログラムされたストーリーへの応援コメント
一緒に不思議な体験を共有したキラキラした思い出を、あっさりと相手の友人が否定するのは悲しいですね。
でもそれが大人になるということで、それが都会の無関心でもあるという。
心に響くお話でした。
作者からの返信
大人になるってことは、そんな事の繰り返しですね。足並み揃えて、同じ方向に向き行進すること。鬱憤は文章に変えて逃げるか、突っ込むか。たくさん読んで頂き感謝しかありません。ありがとうございます。
第2話 トワイライトゾーン(迷いの森)への応援コメント
郷愁を誘う素敵な物語だと感じました。
物を知らない子供の頃、大人に内緒でしていた大胆な行動を振り返り、「よく無事だったな……」と思う感覚があるもので、つい共感いたしました。
語彙が豊富なのに読みやすく、文章力の高さに、学ぶべきところの多い作品と感じます。
作者からの返信
ほんとですね。よく生きていますよ。大人が知らないところで何度も死にかけました。
第5話 耳塚への応援コメント
タイトルが凄いですね。墓碑でもなく、不思議な丸い石塚。その重い石を水洗いすると、「耳塚」とよめる。時を経て、夢枕にいろんな人の声が耳に憑くようになる。いかにも上田秋成らしい怪異噺が漂って来ます。戦没者の耳か、虐殺された者たちの耳なのか、耳だけを供養する風習があった時代がかつて日本にはあった、ということでしょう。そして、使い慣れた言葉、鬼籍に入る、や、霊障、といった言葉が作品全体を覆い尽くしてくる怪異な珠玉の短編はお見事です。
作者からの返信
遠野物語を読んでいると、口伝で伝わる怪異がたくさん出て来ます。物語として人から人に繋ぐうちに、本当に誰かが見たり聞いたりしたに違いない、身近な恐怖が語られます。そんな風の噂のようなやんわりと怖い話を書いています。
第4話 東京散歩への応援コメント
随筆の形であれ小説の形であれ、風流を重んじる文体はすばらしい。
平安時代の日本は、さぞかし風趣にみちた美観をなしていたことでしょう。
物あれば名あり、荻生徂徠の言葉どおり美しい言語あれば、そこに風情の名前は存在するのでしょう。平安、江戸、現代に至っては、現代人の言語の衰退ばかりが目立ちます。言語の衰退は思考回路まで衰弱させます。そんな現代社会のなかで風流を重んじる小説家は、とても貴重な存在であります。
作者からの返信
同感です。大木はいつの間にか巨木と言い、人の流れをジンリュウと言う、茶道をチャドウなんて混乱するばかりです。言葉は意味をなすもの。コロナウィルスじゃあるまいし、流行に乗るんじゃ先が心配です。私に言葉の美しさを教えてくれた教師に教えを乞うた。
「頭にくるからTVは観ない、本は読めない、退屈してるよ」と辟易していました。私はまだ勉強途中なのに。
第3話 ある男の臨死体験への応援コメント
混沌にも一輪の花あり。今生に苛まれても、咲こうとする花はうつくし。
青森県下北半島の恐山を目指して旅をしたことがあります。その日は雲行きが怪しくて、手前で立ち止まり、踵を返してバスで大湊の町に降り立ちました。ひなびた港町というよりも、タイムスリップしたような昭和30年代の土の道や郵便ポスト、清楚な木造建築などに深く感動したことがあります。アスファルトも敷かれておらず、取り残されたような風情がとても印象的でした。もうずいぶん前の記憶なのですが、冬の十和田湖に入水しようとした自分が、大湊の清楚な町の温かみに救われたことを今も感謝しています。
凍り付いた十和田湖の岸辺まで歩こうとするも、胸まで積もった積雪に阻まれ、雪をかきわけてもかきわけても前に進めず、ふうふう息を切らしながら、ついにギブアップ。たった100m先なのに10mも進めない。滑稽すぎて暗い夕闇のなかで笑ってしまいました。25歳の頃だったでしょうか。国民宿舎「十和田湖」の夕食で啜ったジュンサイの熱い汁物と鮎の甘露煮が美味しくて今も忘れられません。
作者からの返信
コメントがすでに一編の掌編になっていて、今だから美しさに感動します。当時の心まで凍えた心情は涙も凍えます。生きながらえて、こうして文章を書いている。切迫詰まった若かりし頃も今は昔。言問橋の赤い花は空襲の戦死者の魂かと、地域の人は現在も慰霊の対象としています。自然で出会う鮮烈な色は見る者の魂に直接語りかけます。応援コメントとても嬉しく思います。
第2話 トワイライトゾーン(迷いの森)への応援コメント
さりげない身近な風景のなかの鎮守の杜。俯瞰すれば、トワイライトゾーンの迷宮の森へいざなわれ、こんこんキツネにだまされるような、子供の心象風景。幼少の頃の純真な視野はケモノを恐れ、無垢な心をはぐくむが、大人になると不純とは言わないものの、猜疑心と野心が付いてまわる。樹林の多い丘育ちの私は、自然の森には親密感を抱きますが、さすがに夜の森だけは彷徨いたくないですね。二十歳のとき北海道の大沼湖畔で一人野宿して駒ヶ岳の朝焼けに感動した体験は、生涯の財産となりました。けれども、八ヶ岳の中腹あたりの林で、2匹のドーベルマンに遭遇した時には肝を冷やしました。樹の陰にじっとして、走り去ってゆくまで息を殺してましたが。山荘で飼っている犬のようでした。人生、恐怖のてんこもりですね。
作者からの返信
古川さんいつも素敵な感想ありがとうございます。八ヶ岳の中腹は、原村のペンションでしょうか、私は南アルプスの風景に魅せられて、二年間あの辺りに暮らしていました。東京では夜が恐ろしくないですね。でも、人間は怖いです。百鬼夜行も見られるかも知れません。
第25話 神様のことへの応援コメント
神秘的なお話ですね。
理では説明がつかないことって、世の中にはありますよね。
神様が本当にいるのかもしれないと思える物語でした。
作者からの返信
釣舟草様いつもありがとうございます。東京奇譚またいつか続編を書きたいと思ってます。