第41話 二人目②
エレベーターは使わずに階段を駆け下りてマンションを飛び出す。
すっかりと夜も更けたこの時間帯。異様なほど静かに寝静まっている住宅街を駆ける。
辺りには人一人も見当たらなかった。誰もいない風景というのは何とも言えない不気味さを嫌でも意識させられた。
生き物の気配がまるで感じられないような夜に悪寒が走る。
まるで人がいない異世界に入り込んでしまったような感覚がして腕に鳥肌が立つ。
恐怖に負けそうになる心に、深夜という時間帯を考えれば何もおかしくはないと言い聞かせ、余計な事を考えない為にも、僕はひたすら脚を動かすことだけに集中した。
最短距離を意識して、通いなれた恵里香の家までの道をひた走る。
無心で走りながらも、もしかしたら恵里香が逃げて来てくれるかもしれないという希望は捨てない。
もし恵里香が逃げてきても見逃さないよう辺りを注視しながら走った。
けれどそんな僕の願望を嘲笑うかのように、どこまで行っても誰にも出会う事はなかった。
走っても走っても、恵里香どころか人っ子一人いないのだ。
等間隔で立っている白い色の外灯が寂しさを増長させ、心に暗い影を落としていく。
結局僕は誰とも会うことなく、恵里香の家の前まで辿り着いてしまっていた。
もし恵里香が逃げて来てくれていれば、きっと今僕が通ってきた道のどこかで出会うはずだった。
いくつかある道の中で、僕たちはいつも同じ道を通っていたからだ。
その途中で出会わなかったということは、恵里香は電話の最後に言っていた通り、神奈を助けに家の中に戻ってしまったということになる。
けれどもしかしたら、いつもとは違う道で逃げてくれているかもしれない。そんな最後の希望に縋りつきたかった僕は、震える手でスマホを取り出し恵里香に電話をかけた。
コール音が続く。
恵里香は電話に出てくれない。
恵里香も必死になって走っているせいで着信に気が付かないのかもしれない……そう思い込まなければ気が狂いそうだった。
最悪の想像を振り払いながらも恵里香が出てくれるのを待つ。
「くっ、出ない」
コールが二桁を越えても待っていたが恵里香は結局出てくれなかった。
もしすれ違いになっていたとしたらそれはそれでいい。
マンションには一真がいるし、御札もあるからすぐに閉じこもれば二人は安全だ。
けれど恵里香が家の中に戻っているとしたら、一刻を争う事態になっているかもしれない。
迷っている時間はなかった。
引き返すわけにはいかない。どちらにしろ神奈を助けに行けるのは僕だけなのだから。
暗闇の中に佇む恵里香の家からは何の物音もしない。
ただ静かに、そこにあるだけ。
その様相を見ていると、先ほど想像してしまった人間がいない異世界が現実味を帯びて来るような異質な空気を感じた。
少し震えている手を動かしてスマホのライトで恵里香の家を照らしてみる。
二階の窓が開いていた。
そこは位置的に恵里香の部屋だろう。たぶん神奈が開けてしまった窓だ。
残念ながらここからでは中までは見えない。
恵里香と神奈の無事を確認するには、入って確かめるしかなさそうだった。
恐る恐る玄関に手をかけると鍵は開いていた。
物音を立てないよう静かにドアを開ける。
家の中には暗闇が鎮座していた。
まるでブラックホールだ。足を踏み入れたら最後、もう二度と外には出れないような気がしてしまう。
それでも僕は震える脚を暗闇に向けて一歩踏み出した。
スマホのライトで辺りを照らして様子を探る。
見える範囲には誰もいない。
恵里香か神奈の声でもしないかと耳を澄ませてみるけれど、それも無駄に終わった。
何も聞こえない。耳鳴りがするほどの静寂だった。
立ちすくんでいても埒が明かないと判断して、壁伝いに廊下を進む。
電気のスイッチを押したけれど、明るくなるはずの室内はいつまで経っても暗いままだ。丁度よく電気がきれたのだろうか。何度試しても電気が付かないことは変わらなかった。
暗いまま進まなければならない事実にくじけそうになる。それでも神奈と恵里香の顔お思い浮かべて、スマホのライトを頼りに奥へと足を踏み入れた。
「神奈? 恵里香?」
小声で呼びかけてみるけれど当然返事は帰って来ず、どこに誰がいるのか見当もつかない。
僕はとりあえず階段をのぼった。恵里香の部屋を真っ先に調べた方がいいと思ったからだ。
そうして二回に上がり、恵里香の部屋の前まで来た時だった、
――ギィ ギィ
何かが軋むような音が耳朶を打った。
ドアノブに伸ばしていた手を止める。
なんの音かは分からないけれど、微かなその軋む音は確かに恵里香の部屋の中から聞こえていた。
それを意識した瞬間、心臓の鼓動が激しく早鐘を打ちだした。
緊張が限界に近づき、胸の中で何かが暴れて喉をせり上がろうとしている。
あまりの気持ち悪さに膝をついてしまいそうになるのを、寸前のところでこらえた。
二人を助けられるのは僕だけなんだと必死に言い聞かせ、意を決してドアノブを掴んだ。
その瞬間、
僕は誰かに見られているような気がして振り向いた。
振り向いた先、暗い廊下には誰もいなかった。
嫌な汗が背中を流れていく。早く中に入らなければと感じた。
振り返って、そのままドアを開ける。
――ギィ ギィ
ドアを開けるとその音はよりはっきりと僕の耳に響いてきた。
その音が何の音なのかは、部屋に足を踏み入れなくても一目瞭然だった。
天井から伸びる一本のロープ。
それにぶら下がっている何かがゆっくりと部屋の中央で揺れている。
何がぶら下がっているのかとライトを向けると、そこに照らし出されたのは人の身体だった。
首にロープを引っかけて、一定のリズムで揺れている。
――ギィ ギィ
この音は余韻だ。
きっとはじめはもっと激しく揺れていたのだろう。
今はもう落ち着いていて、それが動かなくなってしばらく経つのだろうということを教えてくれた。
だらりと垂れ下がったままの腕を見れば、それがもう生きてはいない事は明白だった。
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