第40話 二人目①


「何があったの⁉」

「無事か恵里香⁉」


 突如かかってきた恵里香からの電話は、僕たちを動揺させるには充分すぎる威力があった。


 聞き取りにくい微かな弱弱しい声だった。それでも聞き間違いではない。明瞭に聞こえてきたのは助けを求める声。


 呼びかける声に自然と力がこもり、もはや叫んでいるような一真の様子からも必死さが伝わって来る。


『あいつが、神様、来た』


 隣で一真が息を飲む音がした。


 動揺のあまり落としそうになったスマホを慌てて持ち直す。


『はぁはぁ……私は、平気』


 息が整ってきたのか恵里香の声はだんだんとしっかりしてきていた。


 平気と言う言葉に安堵する。けれど、ならどうして恵里香は助けてと電話をかけてきたのだろうか。


 どうして息が切れるまで慌てていたのだろうか。


 そこまで考えた時、僕の頭にはすぐもう一人の存在が頭に浮かんでいた。


「神奈は!?」

『……神奈ちゃん、はぁ、はぁ、捕まった』


 最悪の展開だった。


 汚い言葉を叫びそうになり、左手を握りしめてグッとこらえる。


「いったいどうして!? 御札は?」

『神奈ちゃんが、窓を開けてた……気が付いた時にはもう、遅くて』

「なっ⁉ なんでそんな事?」

『わか……分からないの』


 さっきから訳が分からない事ばかりだ。


 だいたいガマズミ様はこちらに来ていたのではなかったのだろうか。


 深夜急にインターフォンが鳴り、それから激しくドアを揺さぶられていたのは本当についさっきのことだ。


 僕と一真だってまだ落ち着いていなかったというのに、向こうが襲われているなんて考えもしなかった。


 しかも何故か神奈が自分で窓を開けていただなんて、どうしてそんなことをしてしまったのだろう。


 追い詰められた一真が恐慌状態に陥ったように、神奈も何かのきっかけでおかしくなってしまったのだろうか。このまま考えてみても分かる気はしなかった。


 それに今は理由を考えるよりも大事な事がある。


 今するべきことのために僕は必死になって頭を切り替えた。


「恵里香は! 恵里香は今どこにいるの!?」

『外……家から出て来ちゃった……どうしよう、私、神奈ちゃんのこと』

「いいから、家に戻っちゃダメだよ!」

『私、最低だ』

「そんなことない! 危ないから恵里香は絶対に戻らないで!」

『でも、それじゃ神奈ちゃんが……』

「僕が今から急いで行くから!」

『けど……』


 必死に恵里香に呼びかけながら、僕は頭の中で何通りかの行動を考えてみる。


 真夜中の屋外に恵里香は今一人きりだ。


 邪悪な神様だけじゃなく他にも現実的な危険は沢山ある。


 ガマズミ様がいるかもしれない恵里香の家に戻るのは当然アウト。


 道端で待機もこんな深夜に女子高生一人なんて普通に危ない。


 なら他に逃げて隠れられる場所となると……ここしかなかった。


「恵里香落ち着いて聞いて、もう一度言うけど絶対に家には戻らないで、それから今すぐ僕たちの所に来て。ここなら御札のおかげですぐに部屋に入ってドアを閉めれば大丈夫なはずだから」

『優君の家に?』

「そう! こっちにもガマズミ様は来たけどアイツは入って来れなかった。だからきっと安全だから」

『神奈ちゃんは?』

「僕が絶対に助けるよ。今すぐ走って行くから」

『でも、どんなに急いでも十分くらいかかるんじゃ、それだと神奈ちゃんは……』


 言葉に詰まる。十分はかからないと思うけれど、それでももう神奈は捕まっているのだ。僕が辿り着くまで無事でいてくれる保証はない。


 だからといって恵里香を危険な場所に行かせたくもなかった。


「とにかく恵里香は僕の家に逃げてきて! いい?」

『……私、神奈ちゃんを助けに行ってくる』

「なっ!? バカな事言わないでよ!」

『ホント馬鹿だよね。神奈ちゃんを残して一人逃げちゃうなんて』

「そんなことない! そんなことないから、お願いだから落ち着いて恵里香!」

『私は落ち着いてるよ。自分がどれだけ最悪な事したかも分かってる』

「最悪なんかじゃないんだよ。仕方ないことなんだ。お願いだから逃げてきてよ!」

『……ごめんね優君、早く神奈ちゃんを助けてあげなきゃ』

「ぇ、ぁれ……恵里香?」


 もう恵里香からの返事はなかった。


 スマホからは通話が終了したこと告げる無機質な音しか聞こえない。


「ぁぁああああ!! なんでそんな事!!」


 どこにぶつけたらいいのか分からない憤りが溢れてきて、僕は思わず大声を出して頭を搔きむしった。


 なんでも自分の思い通りにならないと気に食わない。自分はそんな傲慢な性格の人間ではないと思っていたけれど、今だけはこのもどかしさで気が狂いそうだ。


 僕が豹変したことに驚いたのか、一真から一歩距離を取られた。


 それがなんだか酷くショックで、逆に冷静さが戻って来る。


 こんな時だからこそ落ち着かなきゃいけない。


 僕だって恵里香の立場なら、どんなに止められても神奈を助けに戻ったはずだ。だったら恵里香の行動を責める資格はない。そう自分い言い聞かせて、一度大きく深呼吸した。


「ごめん一真。恵里香の家に行って来るよ」

「オ、オレは? オレはどうすればいい?」


 酷く狼狽している一真の声は心細いのか震えてしまっていた。


「危ないから、一真は部屋から出ないでここにいて」

「あ、あぁ、優人、お前は怖くないのか?」

「怖いけど、鬼をやってた僕はそもそも隠れてる必要もないから」

「そうか……悪いオレ、何も出来なくて」

「そんなことないよ。一真はちゃんとここに隠れて、生きててくれればそれでいいんだ。僕はもう幼馴染を誰も失いたくないから」

「優人……悪かった」


 そう言った時の一真の顔は泣きそうに見えた。


「だから気にしないでよ。それより恵里香を見つけたら先に逃がすから、来たら入れてあげてね」

「あぁ、分かった」

「誰か来るのは怖いと思うけど、一真だけが頼りだから」

「大丈夫だ。オレも恵里香のためならなんだってやるよ」


 お互いに頷きあって会話はそれだけで切り上げた。


 スマホと部屋の鍵をポケットに突っ込んでドアに手をかける。


 一応確認した除き窓からは付近に誰かがいるようには見えない。それでも、手に汗をかくほどドアを開けるのが怖かった。


 自分より神奈が大切だろ。そう言い聞かせて狼狽えている自分に喝を入れる。


 覚悟を決めて素早く開けたドアの向こうには……確認した通り誰もいなかった。


 安心する前にすぐドアを閉めて鍵をかける。


 一真の二日間という時間はまたやり直しになってしまうかもしれないけれど、こうなってしまったら仕方ないと割り切るしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る