第9話 魔女様、策を披露する

 二人きりという甘い響きでいけないスイッチが入ってしまったのか、ドーベルマン化してしまったアンソニー王子。


 そんなアンソニー王子はお茶会を「宴もたけなわですが」などと前置きし、お開きにする宣言をしてしまった。


「我が国を常日頃から気にかけて下さっている魔女様に対し吐き出された暴言の数々は許しがたい。追って沙汰を言い渡すまで愚……彼女達は屋敷に幽閉。本来であれば牢に入れたい所であるが、未婚の令嬢には耐えかねぬであろうと、最大限考慮した。異議ある者は今ここで申し出てくれ」


 とても厳しいアンソニー王子の声が中庭に響き渡り、お茶会は悲壮感いっぱいな令嬢達のすすり泣く声と共に終了した。


「魔女様、ごめんなさい」

「許して下さい」

「もう気持ち悪いだなんていいません」

「ごめんなさい」


 ひとしきり私に謝罪の言葉を口にする令嬢。その姿を見る限り、私に対する恐怖のファク上げに成功したのようなので、アンソニー王子格好いい……いや、とても感謝だ。


 そして庭園に残されたのは私とアンソニー王子。それからエミリーとエルロンド王子だ。


 エミリーには色々と事情を尋ねたい所ではあるが、私はやらねばならぬ仕事があってここにいる。よって、エミリーにこちらの事情を話しさっさと、それこそ盗賊も驚きの速さでこの場からとんずらしたい所なのではあるが。


「魔女様、彼女達に償わせる罪について二人きりでご相談を。お手をとっても?」


 推しはにこやかに私に手を差し出した。


「無理です、というか二人きりも無理ですし、エミリー様だけお借りして帰ります」


 私はドーベルマン化したアンソニー王子に若干戸惑い、エミリーの体にピタリと張り付いた。


「おい、トニー。気持ちはわかるが、あまりガツガツするな。そんな事じゃ、魔女様に逃げられるぞ」

「それは困る」

「それに私の知る限り魔女様は、紳士なアンソニー王子の方がタイプだと思いますわ。そうですわよね、魔女様」


 私はエミリーの言葉にしっかりとうなずいた。


「魔女様は私にお話があるようです。殿下大変不躾なお願いかとは思いますが、何処か空き部屋を拝借してもよろしいでしょうか?」

「勿論だ。エミリー嬢、案内するよ」


 エルロンド様がスマートにエミリーに腕を差し出す。

 そしてエミリーは迷うこと無くその腕に白い手袋をした手を乗せた。


「魔女様、怖がらせるつもりはないんです。でも僕は本当に魔女様が」

「トニー、だから今は我慢しろ。魔女様だって困っているだろう?」


 エルロンド王子がアンソニー王子を宥める。

 もはや私にはエルロンド王子は、ドーベルマンを飼いならす主にしか見えなかった。


「わかった。確かにこういうのは順序が大事だよね。魔女様、よろしかったら僕に部屋まであなたをエスコートさせて下さい」


 正気を取り戻したらしいアンソニー王子が私に腕を差し出した。しかし私は尊い推しの腕に触れたら最後、昇天しかねないと冷静に判断する。


「お気持ちだけいただいておきます」


 私は小さく呟く。そしてその場にアンソニー王子を残し、前を歩くエルロンド王子とエミリーの後を素早く追ったのであった。



 ★★★



 どこか浮かない気持ちでエミリーと話をするために訪れたのは王城内の一室。エルロンド様の執務室だった。


 シックな青い壁紙の貼られた部屋。

 天井にはシャンデリアがついており、部屋の奥には机が置いてある。机の上は見事に乱雑な感じで書類が置かれており、この部屋の主が普段からその身を酷使されていることが見て取れる。


 そして部屋の中央には壁紙に合わせて置かれたブルーの布張りの大きなソファーセット。そこに勧められるがまま、私は腰を下ろした。


 そして私は思い出す。

 私は人々から畏敬の念を抱かれるべき魔女である。だから威厳に満ちた態度でいなければならないということを。


「私は恐ろしい魔女よ」

「どうだかニャワン」


 不貞腐れた様子のルド。

 しかしそうなってしまったのは私がついうっかり口にしてしまった一言だ。


「ルド、あなたには見た目的にもニャーが似合うわ。誤解させたのならごめんね。でも私はこの先もずっとルドしか使い魔を持つもりはないから安心して」

「……マスター」


 ルドがソファーに座る膝の上に飛び乗る。

 私は謝罪の意味も込め、ルドの耳の付け根を人差し指で撫でてあげた。


「魔女様、いちご?それともキウイ?あ、こっちにはメロンもありますよ」


 いつの間にか向かい合うソファーを挟むローテブルには、山盛りのフルーツと紅茶が用意されていた。


 乙女的な正解としてはいちごだ。けれど私はわりとキウイ派な一面も持ち合わせている。しかし推しの前でキウイと口にした場合、お手頃価格などと思われそうで口にしない方がいいだろう。それに私はメロンも好きだ。だってわりと高価だし。


「メロンで」

「かしこまりました。なるほど魔女様はメロンがお好きなんですね」


 ソファーに座る私の前に、何故か隣に座るアンソニー王子手ずからお皿に乗せてくれた、果汁溢れるジューシーな見た目のメロンがそっと置かれた。


 高価なメロンを推しから勧められる私。

 マニアには夢のシチュエーションである。


「ありがとう。ところであの二人はどういう関係なの?」


 私は向かい側に仲良く座る二人に視線を送る。

 醸し出す雰囲気、例えばさり気なく触れ合う手とか、交わす視線とか。それがどう見ても恋人っぽいのがさっきから物凄く、私は気になっている。


「着いてきちゃったんですよ。邪魔なようでしたら今すぐ部屋の外につまみ出しましょうか?」


 アンソニー王子が美しい笑みをたたえながら、辛辣な言葉を発する。

 けれど、私に言わせれば着いてきちゃったという表現に相応しいのはアンソニー王子、あなたである。


「魔女様、邪魔ですよね?あの二人」

「いえ、全然邪魔ではありません。で、エルロンド王子とエミリーさんの関係は?」


 推される側と推す側だよね?と私は心で問いかける。


「エミリーナ嬢と私は婚約者同士。来春には結婚予定です」

「え?ご報告?婚約者?」

「はい。アンソニーがキャサリン嬢と婚約破棄した頃に決まった私のフィアンセ。それがエミリーナ嬢です」

「アンソニー王子がキャサリン嬢と婚約破棄?」


 ソファーに腰を下ろし、ようやく落ち着きかけた私の心。しかし新たに知らされる事実に、まるで嵐の中を突き進む船のように私の心は進路を迷わせた。


「あれ?アンソニーが婚約破棄をした現場に魔女様はいらしたんですよね?」

「ええ、でもあれは、ピクシーのイダズラ……」


 私は自分の口から飛び出した、今まさに私の指示で勤労妖精と化すピクシー達の存在を思い出す。


 そうだ。私はピクシー達との約束を守り、円滑な推し事環境を取り戻す任務中。


「エミリーあなたの力が必要なの」


 私はいつになく大真面目な顔でエミリーに懇願する。

 そりゃアンソニー王子の婚約破棄の案件は非常に気になる。


 だけど今は問題が山積みなのである。

 だから私の個人的な問題よりもずっと深刻な問題を先に片付けるべきだと、私はこの地域の治安維持に務める魔女の立場として判断した。


「魔女様のお力に慣れるのは大変光栄な事。なんなりと私のお力をお使い下さい……と申し上げたいのですが、まずは内容を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「手伝ってもらうのだから勿論話すわ。実はね、今ピクシーがトレカ工場で不眠不休で働いてくれているの」

「トレカって、まさか、あのトレカですの?」


 エミリーの目が大きく見開く。


「初耳だな。一体魔女様は何を企んでいるのですか?」


 隣に座るアンソニー王子が私の方へ身を乗り出した。

 大変困った事に、先程からアンソニー王子が身じろぎする度に、私を殺しにかかる危険な、とてもいい香りが私の鼻に纏わりついて離れない。


「ア、アンソニー王子、動かないで頂けます?業務妨害で訴えますよ?」

「すみません。つい手の届く所に魔女様がいらっしゃると思うと嬉しくて」


 馴染みあるミニチュアシュナウザー顔に戻ったアンソニー王子。

 シュンとした顔でソファーの端に移動し、私と適切な距離を保ってくれた。


「もしかしたらだけど、この王子。マスターより変態かもしれないニャ」

「そ、そもそも私は変態じゃないし、失礼よ、アンソニー王子に」

「僕は全然大丈夫です」


 ルドとの会話は他人には聞こえないはずだ。

 それなのにやたら的確な返答をよこすアンソニー王子。

 やはり変態、もとい変体なのかも知れない。


 でも可愛いから許す。全力で許す。


「それで先程のお話の続きですが、私はトレカ事業を皆様に是非実現させるべきだと、推しました。その結果現在一部の心もとない人間の買い占め行為により、純粋な気持ちで王族を応援する活動をしている方々の手元にトレカが届かないという、異常事態が起きています」


 私はジョンさん、そしてパン屋の女将さん。それから顔見知りの推し事仲間の顔を思い浮かべる。いつもなら楽しそうな笑顔が浮かぶのに、今私の顔にパツと浮かぶみんなの顔は至極沈んだ顔だ。もはや緊急事態である。


「買い占め行為を行っているのは、ビギンズ商会で間違いない。けれどビギンズ商会は買い占めに関して言えば法を犯しているわけではないのです」


 私は自分の憎しみで顔を歪ませる。何故なら物販の列で遭遇したイゴルの傲慢な態度を思い出したからだ。あの男が主義主張を堂々と口にしたのは確かに法を犯していないから。悔しいけれどそれは正しいのだ。


「確かに脅すなどし、購入者から奪った訳ではないですからね。店や人から買った物を他の人に売る行為自体は違法ではないですし」


 アンソニー王子が私の補足を口にする。


「店の値段より高く売っても、そう簡単に客は買わない。だからビギンズ商会のように組織的に買い占めを行い、市場に商品が出回る数自体を減らそうと考える者が出てくる。全くヘドがでる」


 エルロンド王子が眉間に皺を寄せる。


「そして残念な事にそれ自体は犯罪行為ではない。だからこそ、魔女様のお手を煩わせてしまうほど、この問題が大きな社会的な問題となってしまっている。しかも自分達が善意で行っている事業で悲しむ国民がいると思うと、胸が痛い」


 アンソニー王子も怒りを込めたのか、膝の上で拳を強く握りしめた。


 二人は上に立つ者として、そしてトレカを仕掛けた側としての責任を感じているのだろう。エルロンド王子とアンソニー王子が同時に憂いある表情になった。


「本当に欲しいと願う人にからしてみれば、迷惑な話ですわ。それで、魔女様はトレカの工場でピクシー達と何をなさっているのですか?」


 今度はエミリーが訝しげな顔を私に向けた。


「そもそもこの問題を解決するには、買い占めを禁止する法律を作る。もしくは転売を禁止するという方法があると思うの。だけどどうしても必要だから買い占め……というか、買いだめをする人もいるだろうし、転売を禁止となると古い絵画などの美術品が、今後一切売れなくなってしまう」

「だからって、全ての物に対し細かく分類するような法案を作るのは時間がかかる上に、そもそも投資目的で美術品など購入する層は圧倒的に貴族だしな」


 エルロンド殿下が眉間に皺を寄せ、難しい表情になる。


「例え貴族院に転売禁止法の法案を提出した所で、採決されない可能性が高い。だからこそ買い占めや転売はとても厄介な問題でありながら、これといった解決策をこちらも提示出来ない。その結果純粋な気持ちで趣味に没頭する人にしわ寄せがいってしまっているわけで、大変申し訳なく思っています」


 アンソニー王子はため息と共に、悩ましげな表情でテーブルの上に乗ったバナナを見つめた。実際のところアンソニー王子はバナナを見つめているだけなのに、あまりに素晴らしく造形が整っているせいで、もはやこの世界を滅ぼすか否かをバナナ越しに悩む神のように私には見えてきた。


「あぁ、すみません魔女様。気付かなくて。どうぞ」


 アンソニー様王子は何故か私にバナナを差し出した。

 違う、私はあなたに見惚れていたのよ。なんて事は言えるはずもなく。

 私は推しからバナナを有り難く受け取った。


「推しバナナ。推しバナ……くすっ」

「マスター、寒いニャ。木枯らしが吹いてるニャ」


 ルドの指摘により、私は密かに推しバナナを鞄に仕舞い込み、それから何事もなかったかのように姿勢を正し、話をまとめる。


「つまり法で裁く事が困難であるのならば、私が独断で裁こうと思ったの。そこで思いついたのが単純だけど、効果てきめんな方法よ」

「是非お聞かせ願いたいです」


 アンソニー王子が私に身を乗り出しかけ、私は視線で待ての合図を送る。するとアンソニー王子はシュンとした表情で待てを守った。キューンと可愛らしい犬の鳴き声が聞こえた……ような気がする。やばいナデナデのち、もふもふしたい。


「みんな話の続きを待ってるニャ」

「くっ、ナデナデ」


 私は両手を握りしめる。そしてトレカ問題を解決するのが先決だと、愛玩動物を構いたくなるのと同等な気持ちを押し殺し、口を開く。


「向こうが買い占めをするなら、こっちは買い占め出来ないくらい商品を市場に出回らせればいいのだと、私はそういう決論に達したの」


 私の言葉に驚きで目を丸くする三人。


「しかし、私達も印刷工場をフル稼働させている。それでも間に合わない。それを一体どうやって」


 エルロンド王子は私に疑問をぶつける。


「エル、君は大事な事を忘れてるよ」

「大事なこと?」

「そう。僕たちが今話している相手は五つ星の魔女様。チェルシー・ウィンストン様だということを」


 アンソニー王子がまるで自分の事のように、誇らしげに私の名を口にした。

 私はそれが過去最高に嬉しくて、思わず魔女だけど無防備に頬を緩め、自然に微笑んでしまったのであった。

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