魔女の推し事

月食ぱんな

第1話 魔女様、うっかり恋に落ちる

 アンデル国から緊急派遣依頼を受け、浮足立って王城に到着した私。


 そんな私を待ち受けていたのはいわゆる男女の修羅場というもの。

 色とりどりの綺麗な花が咲き誇る中庭で私と同じくらいの年齢、十歳前後の着飾った男女が向かい合いお互い頬を膨らませていた。


「すまない……君とは婚約破棄をさせてもらう」


 黒髪に紫色の瞳を持つ少年が赤髪の吊り目の女の子に対し、婚約破棄をしたいと申し出る。


「こっ、これが噂の婚約破棄」


 最近あちこちで発生していると報告を受けている婚約破棄絡みの案件。

 ついに私の担当区域にも婚約破棄の波が来たと、私は感慨深い気持ちに包まれる。


 というのも。


「やだ、まだ見たことないの?」

「チェルシーったら遅れてる」

「見所はね、王子が我に返った瞬間よ」


 魔女ばかりが集められた閉鎖的な森で暮らす私にとって、婚約破棄というあまりに非日常的な事件は実に興味深いものであった。だから既に他の地域で活動する魔女友が婚約破棄現場に遭遇したと聞いて羨む気持ちもあったし、密かに「早くアンデル国にも婚約破棄が起こりますように」と願ったりもしていた。


 それがついに私の目の前で起こっているのである。


「王子が我に返った瞬間……」


 それを絶対に見逃すまいと私は固唾を飲み、目の前の見目麗しい、まるで絵本から飛び出してきたような美男美女カップルに熱の籠もった視線を向ける。


「僕が愛しているのはゾフィだ」

「えぇ、それは昔から存じ上げておりますわ」

「このこを愛しいと思う気持ち。それを残念ながら君には感じない」


 着飾った王子は手に持った瓶を少女にかざす。

 どうやら中には緑の小さな蛙が入っているようだ。


「わかりましたわ。実は私もロブをお慕いしていますの」


 王子と向かい合う少女がロブと呼び、頬を染め上げ撫でるのは両肩からニョロリと下がる蛇である。


 ロブこと蛇は少女の言葉に答えるように、シャーッと元気よく二つに割れた舌を出し、王子を威嚇した。


「まさに、険悪な雰囲気だわ」


 キタキタキターーと魔力が昂る私はいつでも魔法を発動できるよう、握った杖に力を込める。


「やめてくれ。僕のゾフィが怯えているじゃないか」

「仕方ないですわ、ロブにとったらその子は餌ですもの」

「すまない。やはり君とは分かり合えないようだ」

「そうですわね。では婚約破棄で」

「成立だな」


 王子と少女はプイと横を向く。

 どうやら婚約破棄が成立してしまったようである。


「なっ!?アンソニー殿下、今すぐキャサリン嬢に謝罪を!!」


 アンソニー殿下と呼ばれた少年の背後にいる騎士服姿の青年が目を丸くする。


「キャサリン嬢、今すぐアンソニー殿下に謝罪をなさって下さい!!」


 キャサリン嬢と呼ばれた少女の背後にいる、紺色のドレスを身にまとう女性が顔を青ざめ和解を促す。


「僕たちは婚約破棄をしたんだ」

「そうですわ。婚約破棄をしましたの」

「だから構うな」

「そうですわ、大人は黙っていて下さい」


 何事かと二人の周囲に集まる大人達を尻目に、婚約破棄をしたと揃って口にする王子と婚約者。その姿を目の当たりにし、警戒しつつも密かにワクワクと期待していた私は拍子抜けする。


「何か噂に聞いていたのと違うんだけど。それに私の出番はないみたいな感じがする」


 魔女仲間から聞いて想像していたのは、もっと憎悪と憎悪がぶつかりあう悲惨な現場だ。


 しかし現状、罵倒し合うでもなく、剣を抜き合う様子もない。ただひたすら穏便に婚約破棄が成立してしまったという状況だ。


「こういうパターンもあるということか。やっぱり外の世界は勉強になるわ」


 私は万が一の場合を考慮し手にしていた杖を、少し残念な気持ちで腰に下げた杖専用ホルダーに差し込む。


「魔女見習い様、感心している場合ではありません。どうか我が国の王子、アンソニー殿下をお救い下さい」


 魔女の森に派遣依頼を送ったアンデル国の宰相と名乗る人物が私に懇願した声をかけてくる。


「お救い下さいと言われても、円満に解決してるじゃない」

「いいえ、アンソニー殿下とキャサリン嬢はきっとピクシーにいたずらをされてあんなことに」


 眉根を下げ、困り果てた顔を私に向ける宰相さん。

 確かに魔女の森に集まる情報によると、いたずら好きなピクシーが一連の婚約破棄ブームを仕掛けていると、そんな報告は上がっている。


「この国の未来は魔女見習い様にかかっているのです。どうぞお願いします」


 手の込んだ刺繍入りの立派な服に身を包む大人が、黒い三角帽に黒いワンピースに黒いローブという、全身黒ずくめ。魔女の正装に身を包む子どもである私にしっかり頭を下げた。


 その状況に私は自然と頬が緩む。


 何故なら普段魔女の森では、先輩である大人の魔女達にまだまだ修行が足りないと叱られる事が多いからだ。だから見るからに偉そうな大人が私にひたすら頭を下げるというシチュエーションは悪い気がしない。むしろいい気分になり得意げな顔で私は胸を張った。


「わかったわ。あなたに免じて私が魔法で調べてあげる」


 私は収納したばかり、腰に下げた杖ホルダーからスッと杖を抜く。


「シャンターユ」


 呪文を口にし私は杖を振る。


 すると驚く事に十は軽く超えるピクシーが思い思いの場所に腰掛け、アンソニー殿下とキャサリン嬢を取り囲んでいる姿があらわになった。

 赤髪に緑の三角帽。尖った耳に赤い瞳が特徴のピクシー。それ以外の外見は可愛い子供といったところ。けれどいたずら好きな所がたまに……いやだいぶ、いけてない。


 ピクシーは私の存在にようやく気付いたらしく、一斉に顔を青白くさせた。


「うわ、やべ。魔女様だ」

「落ち着いて。あの子はまだ見習いみたいよ」

「ほんとだ。ローブについたエンブレムの星が二つ」

「二つ星の魔女だ」

「なーんだ。見習いも見習い。下級魔女じゃん」

「でも魔女は魔女だよ?」

「叱られる?」

「わかんない」


 私にだけ見えているであろうピクシー達の会話。

 その小馬鹿にしたような態度と言葉に私はカチンときた。


「確かに私はまだ二つ星の魔女だけど、それでもここアンデル国の治安維持をマーラ様からも、そしてアンデル国の王様からも直々に頼まれてるんだから」


 私は腰に手を当て、偉そうに見えるように顎を上にあげる。


「マーラ様?」

「馬鹿、筆頭魔女のマーラ様だよ」

「それはまずいかも」

「でもあの子は星二だよ?」

「でも魔女は魔女だよ?」

「叱られる?」

「たぶん」

「逃げる?」

「そうだね」

「逃げよう」


 どうやらピクシー達の話し合いは終了したようだ。

 一斉に背中についた羽でを忙しなく動かし始める。


「ごめんなさい」

「マーラ様には言わないで」

「でも楽しかった」

「そうだね」

「またね、二つ星の魔女さん」

「逃げるよ」

「逃げよう」


 ピクシー達は虹色の粉を振りまき、慌てた様子で私の前から飛び立って行った。


「魔女様、一体何が?」


 宰相さんが私に不思議そうな顔をして尋ねる。

 この世界では魔女以外魔法が使えない。だから宰相さんにはピクシー達の姿が一切見えないのである。


「確かに宰相さんの言う通り、ピクシーが悪さをしていました。けれど、私に怯えて逃げたからもう大丈夫です」


 私は幾分脚色し、自分の功績とそれに付随する名声のランクアップを図る。


「流石魔女様です」

「どうってことないわ」


 私は宰相さんに胸を張り言い切る。


 何故なら。


『魔女はいつでも魔女らしく堂々と。我が身を守る為にも人々に畏敬の念を抱かせる存在でなくてはいけないざます』


 マーラ様が口を酸っぱくし、繰り返し私達魔女にかける言葉を思い出したからだ。


 魔女は人とは少し違う特別な存在。そんな魔女の力を求める悪人からその身を守るため、私達は人々に畏敬の念を抱かせなくてはならないのである。


「さ、仕事も終わったし。私はかえろ」


 私の言葉を遮り、耳をつんざく勢いで甲高い叫び声が上がる。


「きゃーー!!蛇が、蛇が。誰かとって!!アンソニー様、助けて」


 どうやらピクシーの魔法にかけられていたキャサリン嬢が我に返ったようである。キャサリン嬢は真っ青な顔で大声を出し泣き叫んでいる。


「キャシー、ど、どうしよう。僕も蛇はちょっと無理かも」


 同じく真っ青な顔で、婚約者のピンチにオロオロするアンソニー王子。


「全く、手がやけるわね」


 私は杖の先を蛇に向け、この状況に的確な呪文を口にする。


「ヘヴァーナポイ」


 するとボンと白い煙がキャサリン嬢の首元で上がり、蛇がその場から消えた。


「任務完了」


 私は今度こそ任務終了とばかり、杖をホルダーにきっちり仕舞い込む。


「魔女様、ありがとうございます。お陰で丸く収まりそうです」


 今日何度目かわからない。

 宰相さんが私に頭を下げる。


「当然の事をしたまでですわ。では、私は仕事がありますので」


 私は宰相さんに魔女らしく格好つけ、急いでいる風を装う。本当は特にこの後仕事の予定はない。だけど今はとにかく早く魔女の森に帰り、みんなに婚約破棄を見た事を報告したくてたまらなかった。


 けれど魔女は自らの身を守るため、偉そうな雰囲気を醸し出さねばならない。

 だから私は魔女の森へひとっ飛び!!とはやる気持ちを抑え、ゆっくりと手を前に突き出した。


 するとボンと音がして空中に箒が召喚される。

 私達の移動手段。魔女の定番、魔法の箒である。


「では、アンデル国に何かあれば、魔女見習いチェルシー・ウィンストンにご連絡を」


 私は空中にフワフワ浮く杖を掴み、ササッと跨った。

 それから杖に魔力を込め、ふわりと宙に舞う。


「魔女様、待って下さい」


 突然私に声をかけながら駆け寄ってきたのは、先程まで瓶に入った蛙に愛情たっぷりな視線を送っていた、蛙に恋するアンソニー王子である。


「何かまだ私に用があるの?」


 やり残した事はないはずと、私は下にいるアンソニー王子に顔を向ける。


「違います。僕と、それからキャサリン嬢を助けて頂き、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。僕はあなたに生涯忠誠を誓います」


 アンソニー王子は箒に跨る私に対し、突然地面に膝をついて頭を下げた。それはまるで騎士がお姫様に忠誠を誓うようなポーズのようで私は素直に驚く。

 ついでに、何となく嬉しいような、恥ずかしいような、訳の分からない気持ちに襲われた。しかし困った時は逃げるに限るという事を私は身をもって知っている。


「か、勝手にすればいいわ。とにかく私はこの地域を守る魔女、チェルシー・ウィンストン。その名前をよく覚えておくといいわ」


 私は何とか魔女っぽくまとめ、格好良く空に飛び立とうとした。


 とその時急に強風が吹き込み、私は箒の上でバランスを崩す。そして箒に跨ったままくるりと一回転。思わず箒を手放してしまう。そして無残にも地面にその身を投げ出す事となった。


「うわっ」


 私は杖を手にする事をすっかり忘れ、このままでは地面に激突すると、咄嗟に目を瞑った。


「魔女様ッ!!」


 アンソニー王子の声がして、それからポフンと私は誰かに体を抱きしめられた。しかもこの体制は確実に全魔女が憧れてやまない、お姫様抱っこという状況っぽい。


「間に合って良かった。お怪我はありませんか」


 おそるおそる目を開けた私の視界に、心配そうな顔をした美しい少年の顔が映り込む。


「あ、勝手に触れてしまい申し訳ございません」


 アンソニー王子が慌てた様子で私を足から床にそっと下ろした。


「えっと……」


 私はドキドキして上手く魔女ぶる事が出来ない。


「やっぱり星二の見習い魔女だ」

「情けないな」

「王子に照れてる」

「楽しいね」

「ふふふ」

「見習い魔女が恋をした」

「大事件!!」

「ニュース!!」


 ニマニマと笑いながら、私をからかう言葉を発し、浮かれた様子で空中をくるくると飛び回るピクシー達。


「もうっ、いい加減にしなさい!!」


 私はわかりやすく腰にさした杖に指先を添える。


「わ、怒った」

「まずい」

「魔法は嫌」

「ツタの籠にいれられたくない」

「根っこのムチで叩かれたくない」

「逃げろ」

「逃げなきゃ」


 ピクシーはパタパタと背中の羽を動かし、今度こそ本当にその場からいなくなった。


「魔女見習い様?大丈夫ですか?」


 アンソニー王子が空をにらみつける私の顔を覗き込む。


 私の視界いっぱいに映り込んできたアンソニー王子はまるで本当に私の事を心配するような表情をしている。その事を私は嬉しいと思った。けれどすぐ、何となく王子から石鹸のようないい匂いがして、それから王子が無遠慮に私を見つめる紫色の瞳がとても綺麗で、私は急に恥ずかしくなった。


 何せ私は生まれて初めて同じくらいの年齢の、しかも抜群に綺麗な見た目をした男の子に接近されたのである。呆気なく私はピシリと固まる事となる。


 そして内心、ちかい、ちかい。物凄くちかい。と心で大合唱。


「魔女様?」


 再度呼びかけられ、私はハッとする。

 そして顔に熱がこもるのを感じ、慌てて宙をプカプカ浮いていた箒を掴み跨った。


「仕事があるので、失礼」


 私は逃げるように地面を蹴り上げ、箒で空に飛び上がる。

 何だかいつまでたってもアンソニー殿下の綺麗な瞳が脳裏から離れてくれない。それに胸がドキドキしてたまらない。こんなのおかしい。初めての経験だ。


 落ち着かない気持いっぱいで、私は何とか魔女の森に帰宅する。

 そして一連の話を同年代の魔女友に包み隠さず伝えた。勿論未だにアンソニー王子の事を考えると、ドキドキした気持ちになる事も。


「チェルシー、それは恋ね」


 魔女友の言葉で私は自覚した。


 こうして私は十歳の時、黒髪に紫の瞳を持つ天使のような極上に美しい少年、アンソニー王子に見事恋に落ちたのである。

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