ウィンデルノートの庭付きの花嫁

烏目

第1話

「異世界というものが何のために在ると思っている。無理を通すために存在するのだ!」


 茫洋とした意識が捉えた声はとんでもなく傍若無人であった。


 そんなわけがあるか、と、溶融し撹拌された自我のひとかけらが抗議の声をあげた。お前は物理法則の検証を放棄したSF作家か筋の通ったトリックを思いつけなくなったミステリ作家か、と非難の思考が続いた――ような気がした。

 意識が拡散していて定まらず、すべてが曖昧だった。現象も認識も知覚も思考も何もかもが不確かで、何かの実在を確かめたくとも確かめようとする『主体』すら不在であった。

 けれど覚醒しつつある。靄のように薄まり引き伸ばされた意識は、なぜだか不遜な高笑いに引き寄せられ、じわじわと収束しつつあった。


「うむ、実によい。実に鮮度のよい死体だ」


 どれほどの時間が経ったのか、同じ人物の声なのか。やはり妙な自信に満ちた声を、また拾った。

 楽しげに死体の鮮度を批評するな一刻も早く通報しろ、と意識のどこかが喚いている。同時に別のどこかでは、こいつサイコパスじゃん通報しないと、と冷ややかな感情が広がった。思考が混濁して、なかなか一つにまとまらない。


「しかし、これは」

「どうした。臆したか」


 応酬があった。二人いるぞ、と何かが囁いた。けれど意識の大部分は『二人』がどういう意味なのかを理解できない。そこに注意が向いた理由もわからない。


「臆してなどおりません。けれどこれは……なんと言いますか、その……量が多すぎるのでは」

「ふむ。ざっと五人分はあるな。おまけに破損が酷い。なに、案ずるな。使える部品を継ぎ合わせればどうにかなる」


 安心できる要素が何もない。

 《ユマは》慌てて弛緩した意識をかき集め、それらを圧着させようとどこかに力を込めた。

 聞こえた言葉もどこからか浮き上がってくる言葉も、正しく認識できているわけではない。何が起きているのかはわからないし、本当に起きているのかも、そもそも『本当』とはなんなのかも未だ捉え損ねている。それでも、自分が『よくないこと』に直面しているような気はした。事実であろうとなかろうと、それは決して捨て置けない感覚だった。

 起きなくてはいけない。確かな自我になるよう意識の破片を凝集し、輪郭を見出し、目を開けて外を見て、立ち上がって逃げ出さなければいけない。なぜなら『よくない』とは安全を脅かすことだから。

 だが、統一されていない意識は感情を共有できない。覚醒を急かす意識とそれ以外の部分との繋がりがあまりにも希薄で、恐怖も焦燥も、まるで他人事のように伝わらない。結局、一部だけが極端に逸った不均衡な状態はかえって意識の混濁を助長した。混沌はまるで海のように逆巻き、膨れ、押しつぶし、あるかないかの思考もぐわんと歪んで一瞬で暗闇に沈んでしまった。

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