第36話 都市伝説

 訓練初日から一週間が経った。


 その期間に劇的な何かがあったというわけではないのだが、日数だけは無常にも過ぎていく。時期は既に六月の半ばに差し掛かっており、徐々に気温も暑くなってきており、夏が近い事を知らせてくれているようだ。


 尚、このノース大陸には四季があり、セントラル大陸の中央に向けて進むほどに熱帯性の気候になっていくらしい。一年も365日だし、星の大きさとしては地球とほぼ変わらな……あぁ、違った。この世界プロトテラは丸いお盆の形をしているって話だった。だから、星として扱っちゃ駄目なんだよな。北の剣神が異端審問で吊るし上げとか笑い話にもならないし、この話題にはこれ以上踏み込まないでおこう。


「シャノンさんと、ノアさんの試合の日程が決まりました」


 そんなちょっと暑いかな~っといった気温の屋外会議室の席に着きながらアイリス女史が言ったのはそんな言葉だった。


 もう一回言ってみパードゥン? と聞き返さなかった俺を褒めてあげたい。


「いや、シャノンちゃんもノアちゃんも試合出来るコンディションじゃないぞ?」


 一週間の訓練の結果、二人の疲労はほぼピークに来ている。とてもじゃないが試合の出来るコンディションではない。というか、まだ訓練を始めたばかりで何も成果を出していないので、こんな状態で二人を試合に出したくないというのが本音だ。


 それはアイリス女史も分かっているのだろう。神妙に頷いている。


「分かっています。試合は今すぐというわけではありません。この時期は試合をしたいアイドルが多いので、実際の試合が行われるまでに時間が掛かるんです。なので、シャノンちゃんとノアちゃんの試合は一ヶ月後になります」


「試合までに時間が掛かるってのは何でだ? 何かあるのか?」


 ウィルグレイがニーナちゃんの勉強用の教材に目を通しながらも、そんな事を聞く。


 アイドル資格試験には筆記試験もあるからな。まずは、ウィルグレイが資料に目を通して勉強しておかないとならないのだ。そうしないと、ニーナちゃんに教えられないからな。俺も通った道だが、なかなか大変ではある。


「E級のアイドルがファイトマネー欲しさに試合を求めるというのもあります。――が、D級のアイドルが実績作りの為にE級とやりたがるんです。それで、D級とE級から申請が出過ぎて対戦決定マッチメイクが滞ってしまうんですよね。ウチの申請もあまり遅れると、初試合が来年という形になりそうでしたので……早めに申し込みさせて頂きました」


「別に俺は来年でも構わないのだが?」


「この事務所が破産します」


 俺が一向に構わんポーズを取ると、アイリス女史がぴしゃりと言い放つ。


 そこまで追い詰められているのか、この事務所……。


「アイドル事務所の全てはアイドルギルドに登録しなくてはならないんですが、一年毎に更新料を支払わなくてはならないんです。そして、現在、その更新料が払えなくなりそうなんですよ。一応、ムンさんのグッズの売り上げである程度のお金はあるんですが、あと少し足りなくて……」


 それを補填する為に試合を組んだと。


「一ヶ月で何とかなりませんか?」


 アイリス女史に真剣な目で見つめられ、俺は頭の中で計算する。


「どちらも長期的な計画で育てていたから難しいぞ。訓練の強度を下げてダメージを抜く事は出来るが……それはしたくない」


 それは、ノアちゃんやシャノンちゃんの最終到達点への到着を遅らせる迂遠の手だ。だから、試合があるからといって、訓練の密度を下げたりするつもりはない。


事ぐらいしか出来ないが、それでいいか? 正直、勝敗はあまり期待しないでくれ」


「分かりました。今は少しでもお金が欲しい身です。勝敗にはこだわりません」


「それなら問題ない」


「しっかし、試合が決まったって事は、既に対戦相手も分かっているって事だろ? どんな相手なんだ?」


 そういえば、そうだな。


 決まったというからには相手が判明しているという事だよな。ウィルグレイ君も早速賢くなっているじゃないか。さては勉強の成果が出たな?


「なに、ニヤニヤしてんのか知らねぇが、勉強の成果が出たとか思ってんなら違うからな? 俺は元々賢いんだ」


 俺の心を読むのはやめろ下さい。


 あと、それはギャグか?


「ノアさんの相手は同じE級のアイドルとなります。こちらは新人同士なのでそんなに問題はないのですが、シャノンさんの相手がD級のアイドルで……」


「格上かよ。どうなんだ、相手の実力とか、そういうのは分からねぇのか?」


「非常に言い難いのですが、相手は全身板金鎧の盾使いで……『刃物殺し』の異名を持つ相手です。魔術や打撃系武器には弱いので、弱点はハッキリとしているのですが、斬ったり、刺したりといった攻撃手段しか持たない相手には滅法強いんですよね……」


 それは、何というか、ツイてないというか……。


「今からでも、突きの練習じゃなくて魔術か、鎚の練習でもさしといた方が良いんじゃねーの?」


 いや、それはシャノンちゃんが拒否すると思う。まぁ、勝敗は考えない勝負だし、気楽にいけば良いさ。


 ★


 一週間の訓練を継続する事で、若干の上積みが現れた部分もある。それが、民衆に対する人気だ。


 何でも、普通のアイドルは事務所が持つ訓練施設や、公共の訓練施設を利用するのが普通であり、こんな町中を普通に袋を背負いながら走っているアイドルなんて少ないんだそうだ。しかも、顔の売れていないE級アイドルならともかくS級アイドルが人と触れ合える距離を走っていたりなんて絶対にありえないんだそうだ。


 そんなわけで、親しみやすいS級アイドルとして、ムン女史の人気が鰻登りらしい。それもあってグッズが売れていて、ギルドの更新料については大分賄えるんだとアイリス女史が零していたな。


「ムンさん! サイン、サイン下さい!」


 俺はプロデューサーというかマネージャーのような感じで、アイドルたちを群衆から守りながら並走しているのだが、特にいきなりアイドルに触れようとする、とんでもない輩でない限りは基本的には通すようにしている。


 アイドルも人の子で、やっぱり直接応援されると嬉しいらしく、その後の訓練に良い効果を生み出したりもするのだ。なので無碍には扱わない。


 ちなみに、対応はアイドル任せで、その辺はアイドルの器量による。


 ムン女史は割と気紛れで、気分が乗れば対応してくれるが、乗らない時はきっぱり断るタイプなので、今日はどっちだろうと思っていたら、足を止めてサインを書く気になったようだ。本日は神対応の方である。


「それ、アイドルカードの最新版だぞか?」


「はい! 最新版でムンさんが当たったので是非サインが欲しくて! 御願いします!」


 ペコリと頭を下げる少年。ムン女史の興味はアイドルカードにあるようだ。少年からカードを受け取って繁々と眺めている。


 ちなみに、アイドルカードとは、アイドルギルドが発行しているコレクターズアイテムだ。一袋に五枚のカードが入っていて、日本円で言うと大体五百円ぐらいで売っている。中にはレアリティで別れた各アイドルの絵姿が入っており、レア物と呼ばれる珍しいカードに関してはコレクターの間で高値で取り引きされているらしい。


 こういったカードにサインを求めてくるファンは多いらしく、この一週間で俺も何度かムン女史がサインしている場面を目撃している。サインが付いたりすると、更にカードの価値が上がったりするのかね?


「プロデューサー、魔法インクくれだぞ」


「あいよ」


 速乾性で落ちにくい魔法インクを指先にちょろっと付けて、ムン女史は崩した文字でカードの絵姿の端に自分のサインを書く。絵姿を塗り潰さない配慮をする辺りが、ムン女史の優しい所だよな。


「わぁ! ありがとうございます!」


「失くさないように大切にして欲しいんだぞ!」


「はい! 宝物にします! ムンさんも頑張って下さい!」


 それだけ告げると、少年は逃げるように走り去って行ってしまった。


 少しノアちゃんたちと距離が空いたな。……急ぐか。


「少し急ぐぞ。いけるか?」


「大丈夫だぞ。けど、プロデューサー。あの子について、ちょっと良いかだぞ?」


「ん?」


 俺はムン女史の言葉に耳を貸す――。


 ★


 人通りの少ない路地裏を少年は駆ける。


 迷いが無いところを見ると、その道は少年にとって歩き慣れた道なのだろう。キラキラとした笑顔は本当に嬉しくて仕方が無いといった様子だ。


「帰ったらお父さんやお母さん、それに妹にも見せてやろう! ムンさんのサイン入りだ! みんなびっくりするぞー!」


 そんな風に気が急いていたからか。少年は曲がり角の所で待ち構えていた男たちと鉢合わせてしまう。ぶつかりこそしなかったものの、普段は人通りも少ない路地裏に三人もの大男が道を塞ぐように立っていたのだ。そのただならぬ様子に少年は怯えながらも、男たちの脇を通り抜けようとして――男たちにその道を強制的に塞がれてしまう。


「な、なんですか、あなた達……。と、通して下さい!」


 だが、男たちは不気味に笑うばかりで通してくれない。少年が一歩を後退ると、今度は少年の背後から何やら声が聞こえてくる。


「坊っちゃん、コイツで本当に宜しいので?」


「う〜ん、そうだにょ~ん。コイツだにょ~ん」


 巨漢二人を背後に控えさせてやってきたのは、子供というにはあまりに腹回りが膨らんだ少年だ。一目見るだけで裕福な出自だと分かる少年は、サインを貰った少年を上から下まで見下ろしてから、くいっと顎で後ろの巨漢に指示を出す。それを受けて、巨漢の一人がサインカードを持った少年に近付くなり、高圧的な態度で情報を確認する。


「お前が持っているのは、ナンバー65846のレジェンドレア『ムン覚醒の時』だな?」


「え、えぇっと、そう……ですけど?」


 戸惑いながらも返事をしてしまうのは、その少年が素直な性格をしているからだろう。巨漢は満足そうに頷くと、地面に黒塗りの革鞄を置いて、その鞄を開け始めていた。怪しい行動に少年が警戒する。


「そう警戒するな。我が主様は、お前が持つそのアイドルカードが欲しいと仰っているのだ。どうだ、小僧? 此処にある好きなカード十枚と、そのカードを交換する気はないか?」


 鞄の中に入っていたのは、ギッシリと詰まったアイドルカードの山だ。しかも、そのどれもが、少年の持つカードのような特別なカードのようで、キラキラと光を放っている。そんなカードの中からよりどりみどりで十枚と少年が持つカード一枚の交換――条件としては破格に見えるが、少年としては迷っているようだ。


 なかなか「うん」と言わない少年に焦れたのか、太った少年が更に顎をしゃくるともう一人の巨漢も前に出てくる。


「カードで駄目なら、金ならどうだ? 金貨十枚でそのカードを買い取ろう」


 巨漢が財布を取り出し、そこから金貨をじゃらりと取り出してみせる。


 金貨十枚といえば、日本円にして百万円ほどだ。カード一枚に出す金額としては破格であり、それは少年の生活を鑑みてみれば、喉から手が出るほど欲しいものだろう。思わず少年も生唾を飲み込む。


 だが、散々迷った挙句に、少年は首を縦に振ることは無かった。彼は意を決した瞳で太った少年を見返す。


「ムンさんが、大切にして欲しいと言ったんです! だから、このカードは売れません!」


 少年の決意が固いと見て取ったのだろう。太った少年は長く大きな溜息をこれ見よがしに吐くと、その視線を巨漢たちに向けていた。


「それは残念だにょ~ん……。だったら、力尽くで奪うにょ~ん」


「え? ――あっ! は、離せ!」


 背後から忍び寄っていた巨漢に気付かなかったのか、少年は簡単に羽交い絞めにされてしまっていた。その少年の体をまさぐろうとして、太った少年が息も荒く近付いてくる。


「あのカードは、ムンちゃんが電撃移籍したおかげで桜花プロ最終年の絵柄となるんだにょ~ん! だから、後々相当なプレミア価値が付くんだにょ~ん! お前のような貧乏そうなガキじゃなくてボクちゃんが持つに相応しいカードなんだにょ~ん! しかも、ムンちゃんの直筆サイン入りなんてレア中のレアなんだにょ~ん! お前が持ってちゃ、カードも泣くにょ~ん! ボクちゃんにプレゼントするんだにょ~ん!」


「い、嫌だ! 誰か! 誰か助けて!」


「叫んでもこんな路地裏になんか誰も来ないんだにょ~ん」


 ……ふむ。そろそろ行くか。


 しかし、この格好もだな。


「――そうでもなくってよ★」


 と言いつつ、建物の屋上からダイブ。俺……じゃなかった、私は音もさせずにその場に着地する。


「だ、誰だにょん!」


 建物の上から見ていた時から思っていたが、此処あれだ。ノアちゃんが一人で泣いていた路地裏じゃないか?


 ノアちゃんは普通に隠れていたつもりだったかもしれないけど、普通に一般市民の生活道だったみたいだな。あの時の恥ずかしい光景を誰かに見られてなきゃ良いんだけど……。


「誰にょん! 誰にょん! ボクちゃんの邪魔をする奴は~!」


 お……じゃなくて、私は小さな日傘を差しながら、可愛いクマちゃんを片手に抱えつつ、優雅に少年たちに向けて近付いていく――……のだが、巨漢たちの警戒度があからさまに上がっていく。


「なんだ、あのドギツイ紫色のモジャモジャ頭パンチパーマは!」


「それに全然似合っていない紫色のドレスも不気味だ! 体のラインがムキムキと浮き出ていて……あれで女装のつもりか!」


「どう見てもセンスのない細マッチョの変態だ! 皆、不審者だ! 気を付けろ!」


「いや、あの姿……どこかで聞いた事が……。あっ! ま、まさか、血塗れエマニュエル婦人……!」


「「「「エマニュエル婦人だと……⁉」」」」


 一人の男が発した言葉に、巨漢たちの間に動揺が伝播する。


 ティムロードの町にはいつ頃のことか、密やかな噂話として都市に纏わる有名な怪談が囁かれるようになっていた。アイドルになれずに非業の死を遂げて今も街を彷徨うゾンビアイドルの話、アイドル事務所を立ち上げたは良いが借金苦に自殺をしたオーナーが、今もアイドルをスカウトしてはあの世に引き摺り込もうとする恐ろしい話、奇声を上げながら夜中に街中を走り回る正体不明の怪物の話など……そのような話がティムロードの七不思議として、町人たちの間ではひっそりと語り継がれているのだ。


 血塗れエマニュエル婦人は、その七不思議の話のひとつで、貴族の妻だった女が美容と若さの為に少年少女の生き血を啜るため、夜な夜な街を徘徊するといった内容の話だ。どうやら、設定的には血を飲んだり、浴びたりすることで若さが保たれるらしい。


 まぁ、俺……じゃなかった、私が聞いた話だとどこかのイケメン剣神も竜の血を浴びて不老になったらしいので、噂というのは真実の一部分ぐらいには掠めているのだなぁとは思う。


 ちなみに、私はエマニュエル婦人です。


 北の剣神とは別人の都市伝説のマダムです。


 そこは混同してはならない。いいね?


「あらぁ、美味しそうな子供だこと……食べちゃいたいわ~★」


「めっちゃ気色悪い裏声! 背筋がぞわっとする!」


 巨漢が嫌悪感をあらわにするが、正体を隠す為だから仕方がないだろう!


 うん、超法規的措置をするならやっぱり都市伝説だよね?


「あなた達もこの可愛いクマちゃんと遊びたいのかしら~★」


「熊の生首抱えて可愛いとか、頭腐ってるのか⁉」


 そうか? 剥製にしてあるから結構可愛いんだけどな。


 一応、迫力を出す為に首元に血みどろ風の特殊加工を施したのが、ちょっと気持ち悪いのか? いや、でも、やっぱり可愛くね? むしろ、カッコイイ?


「えぇい、何をやっているにょ~ん! 早く、その気持ち悪いオカマをとっちめてやるんだにょ~ん!」


「駄目よ~ん★」


 はい。一瞬で巨漢五人をボコボコにします。


 都市伝説だからね。恐怖を出会った人に刻み込んであげないとね。


「にょにょにょにょにょにょ~ん⁉」


「さぁ、坊や~★ 私と遊びましょ~★」


 ばちーんっとウインクしてやると、太った少年は堪らず気絶。


 そして、近くにいたサインをもらった少年も堪らず気絶。


 ……なんでやねん!


「あらあら残念ね~★ 仕方ないから、少しだけ記憶改竄して遊びましょ~★」


 かくして、謎のオネエこと都市伝説のエマニュエル婦人は太った少年と、巨漢たちに怪しい術を施して姿を隠すのでした。めでたし、めでたし……っと。


 ★


 翌日。


「血塗れエマニュエル婦人とかいう都市伝説が出たらしいですよ?」


 青空の下で朝食を共にしていると、アイリス女史がそんな事を言い始めた。その手には一体どこで手に入れてきたのやら、粗末な紙で出来た新聞らしきものが握られている。


 というか、金ないのに新聞は取るのかよ。


 アイリス女史の倹約の基準が良く分からん。


「ほー。そんなものが出る季節なんだな」


「季節で出るものなのか?」


 ウィルグレイが突っ込んでくるが、その話を蒸し返されたくない俺は適当に答える。


「暑くなってきただろ。そういう怪談話が流行る季節になってきたって事だよ」


「なるほどなー」


 何がなるほどなのかは分からないが、ウィルグレイは感心した様子だ。とりあえず、彼の中では腑に落ちたのだろう。


 尚、アイドルたちは一足早く朝食を食べてから穴掘りの作業中である。とりあえず、一週間前よりも手際は良くなっていっているので、成長しているであろう事を実感させる。


「まぁ、何が起きるか分かりませんし、こういう不審者も出るかもしれませんから、アイドルたちの身辺警護には十分に気を配って下さいね。……両プロデューサー、本当に頼みますよ」


「それはコイツに言ってくれよ。コイツ、昨日のアイドルたちの特訓の最中にどこかに行っちまったんだぜー」


「それは、ちゃんと謝っただろう? 昨日は少し野暮用があったから席を外したんだ。今日はちゃんと仕事をするさ」


「今日は、じゃなくて毎日ちゃんと仕事をして下さいよ、全く……」


 アイリス女史に呆れられながらも、俺は飄々とした態度で食事を続ける。


 さて、次はエマニュエル婦人じゃなくて、ゾンビアイドルの方で行こうかな……。


 そんな事を考えてアイドルたちの頑張りを見守る午前中なのであった。

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