第9話 鍛錬2

 アイドルギルドから受け取ったのは、いわゆるアイドルに関するルールブックであった。


 試合のルールに関するものから、一試合の報酬額ファイトマネーの計算方法まで、それこそ銀貨三枚には見合わない分厚さだ。


 別で渡された試験要綱を見る限りだと、この分厚いルールブックからアイドル資格試験の問題の八割が出るようだ。残りの二割は計算や読み書き、国の歴史などの常識問題が出るらしい。


 それら筆記試験の配点が四十点。


 実技試験の配点が六十点。


 そして、合格点は八十点以上が必要となる。


 その為、どちらか一方だけを習熟してアイドルになることは不可能のようだ。抜け道のようなものがあるかと思って、試験要綱を見ながら歩いていたのだが、なかなかどうして見当たらない。むぅ。


 まぁ、俺は頭脳労働専門ではないので、その辺は諦めるとしよう。


 ちなみに、歩きながら資料を読んでいたら人とぶつかりそうなものだが、俺は人の気配を見ずとも分かるのでぶつかることはない。高スペックの無駄な活用法である。


「まぁ、やっぱりそうなるか」


「…………」


 丁度、お昼になろうかという時間帯で、グエンタール商会に戻ってきたのだが、案の定、ノアちゃんはバテていた。


 まぁ、今まで体を鍛える行為をしてこなかったのだ。どのくらいのペースでやれば良かったのか見当もつかなかったに違いない。


 とはいえ、このままにしておくのもよろしくない。


「し、ししょー……」


 まるで酔っぱらいが酒樽に寄り掛かるようにして、武器の入った小樽を抱え込んで倒れている。完全に目が死んでいるな。いや、それは元からか。


「ちなみに、どれくらい運べた?」


 俺が近くにいたジミーに聞くと、三往復したところで動けなくなったそうだ。時間にして一時間といったところか。まぁ、初めてならそんなものだろう。


「ノアちゃん、食事に行くぞ」


「は、はいです……」


 よろよろと起き上がるノアちゃん。


 だが、起き上がるのに手は貸さない。


 甘やかすことで、それが癖になってしまうと、厳しく鍛え難くなる。


 ノアちゃんがちゃんとついてくるのを気配だけで感じ取りながら、俺はあらかじめ予約を入れていた店に躊躇いなく入っていた。


「な、何か高そうなお店に入ったですけど、おにーさ……じゃなくて、ししょー大丈夫です……?」


「冒険者ギルドで素材を換金してきたし、即金でそこそこ手に入ったからな。問題ない」


「ししょーって……、独身です……?」


「おい、玉の輿を狙うんじゃない」


 給仕に名前を告げて、奥の個室へと案内される。そこには、俺が先程予約時に注文した料理が所狭しと並んでいた。豆料理を中心に、鶏肉をメインディッシュとして、バランスの取れた食事だ。


「ししょーは……こんなに食べるんですか?」


「食べるのはお前だぞ」


「え……?」


「お前の体は森でのダークエルフの生活が染み付いていて、若干の栄養失調気味なんだ。肉を中心に食って、体つきから変える必要がある。また、豆類はたんぱく質が豊富だからな。筋肉を付けるのに丁度良い。後は、成長に合わせて様々な栄養素を取る必要がある。だから、このテーブルに乗る料理は全てお前のものだ」


「えっと……、ノアはこんなに食べられないですけど……?」

 

「無理してでも腹につめろ。そして、その後で一時間の仮眠だ。それから、また午後から荷物運びになる」


 俺がそう告げるとノアちゃんの顔が曇る。


「ししょー……。ノア、荷物を運んでるだけで強くなるです……?」


「良く動いて、良く食べて、良く眠る。それだけで、お前さんの筋肉は一ヶ月で見違えるほど増強されるはずだ。単純な腕力を考えるなら、『強く』はなれるぞ」


「ノアは……! あの身勝手女に勝ちたいんです……! 荷物運びで汗水垂らしたって……、剣は上手くならないです……!」


「それはそうだな。剣の訓練ではないからな」


「だったら……ひっ!?」


 俺は眼差しを鋭くする。


 それだけでノアちゃんは次に続く言葉を失った。この程度の怒気で言葉を失っていては、殺し合いの舞台である試合ライブに上がれないのではないかと一抹の不安を覚える。


「いいか、良く聞けよ?」


「な、なんです……?」


「お前はスラムの浮浪者だ。そんなスラムの浮浪者が「今から自分は、この国の王様になる!」と叫んだところだ。ちゃんちゃら可笑しくて、誰も真面目に取り合わないほどの大それた夢だ。そんなお前は、その言葉を受けて、唯一真面目に助言してくれた人から、『まずは自分を磨きなさい』と言われたとしよう。だが、自分を磨くのは予想以上に辛くて、お前は改めて考える。……で、思い付く。『そうだ、手っ取り早く王様を殺してしまえば、国が手に入るじゃないか!』とな。それは一見すると素晴らしいアイデアに見えたことだろう」


「王様を殺したら王様になれるじゃないんです……?」


「なれるわけないだろ。王様には王子様がいるかもしれないし、王弟様がいるかもしれない。下手人は王様を殺したところで、お縄について死刑。国は何も変わらず、国王を目指したスラムの住人は死んでしまいましたとさ。……ってオチだ。まぁ、そもそも、スラムの住人程度が王宮の警備を掻い潜れるとも思わないがな」


「そのスラムの住人が……、親切な人の言葉に従っていたらどうなったのです……?」


「その身を鍛え、軍に入って武功を上げて、貴族位を手に入れて、上手くすれば王族の血筋を伴侶として国の中枢に加わり、場合によっては実質的な王様になれたかもしれないな」


 だが、それは可能性だ。


「そうなったかもしれないし、そうならなかったかもしれない。だが、王様暗殺を狙うよりは断然現実的な道だろう。お前さんが、剣を習いたいと言っているのは、そういうことだ。王様を殺そうとしているのと一緒だ」


「でもでもっ! ノアはあの子の剣が見えなかったです……! 荷物を運んでも剣は見えないです……!」


「見る必要があるのか?」


「え……?」


「勝つのに、わざわざ相手の剣を受ける必要はないだろう。もっと端的に言えば、相手に攻撃させずに勝てれば最良だ」


「そ、そんなことが出来るです……?」


「やれるかどうかは、これからのお前さんの頑張り次第だがな。そもそも、お前さんは一ヶ月かそこら特訓したくらいで、長年修行を続けて磨き抜かれたであろう技に対抗できると思っているのか? 剣神の弟子になったからといってすぐ強くなるわけではないということぐらいは理解していたと思ったが……違ったか?」


 ノアちゃんは暫く逡巡した後で、ポツリとこぼす。


「弟子の条件に寿命があった時点で……、そんな気はしてたですけど……」


「理解しているなら良い。それで? お前さんはそれでも剣を教えろと俺に言うのか?」


 ノアちゃんは無言のままに、首を横に振った。


 ★


 side ノア


 お昼を食べて、お昼寝をして、少しだけ疲れを抜いたところで、ノアは大きなお店の倉庫に帰ってきたです。


 そして、忌々しい武器の入った樽の前で、思い出したくもないことを思い出していたのです。


 ちなみに、ししょーはいないです。


 ししょーは、ひっきしけん対策? を取らないといけないので、書類とにらめっこするらしいです。にらめっこって遊びです? と聞いたら、ノアを受からせる為に必要なことらしいです。


 ししょーには足を向けて寝れないです……。


 昨日は寝相が悪くて、ししょーの顔に足をぶち込んでしまったようですけど……。


 それよりも、ノアの記憶に浮かぶのは憎いアイツの顔です。


 アイツはノアのことを素人だってバカにしたです。


 その言葉の裏には、ノアとは違って小さな頃から自分は鍛えてきたんだぞって自信があったと思うのです……。


 ノアは目の前の武器の入った樽を見るです。


 この樽は凄く重くて、辛くて、ノアは三回も往復する間に、疲れて立てなくなったです。


 でも、あの憎たらしい子は、それよりも辛い訓練をノアよりも長い間ずっとやってきたんだと思うのです。


 そんな相手に勝ちたい、追い抜きたいって思ったら、その相手以上の特訓をその相手よりも多くこなす必要があるはずです。


 長年の……それこそ、十年以上の訓練の成果を、たった一ヶ月の特訓で追い抜かすなんて、普通は無理だと思うです。


 でも、それをやりたいんですから、無理ぐらいはしなきゃ駄目なんです。きっと。


「――――」


 ふーっと、細く長い息を吐き出すです。


 多分、樽の中の剣の重さはノアの今の力に合わせて、ししょーが調整してくれたものだと思うのです。


 だから、この重さを考えなしに調整するのは逆効果だと思うのです。


 調整するなら、むしろ回数の方です。


 ししょーは三十回と言っていたから、ノアは六十回運んでやるです!


 …………。


 いきなり無理するのは、駄目かもしれないですから、四十回ぐらいにしとくです?


 その時、ノアの脳裏に、あの意地悪そうな顔をした金髪癖毛の姿が思い浮かんだです。


『そんなこともできないのかしらぁ? 私は簡単にできますわよぉ~。オホホホ!』


 ムカッときたです!


 意地でも六十回……いや、それ以上やってやるです!


「あ、ノアちゃん、ちょっといいっすか?」


 ジミーさんに声を掛けられて、ノアは樽を持とうとしていた手の力を抜くです。ジミーさんは何やら紐のようなもの? を持ってきているようです。


「どうしたです、ジミーさん?」


「いや、普通に運んでいると指が痛いでしょ? だから行商人みたいに運んだらどうかなって」


「ギョーショーニンです?」


 ノアが育った村にはギョーショーニンなんて人はいなかったです。


 だから、ジミーさんが何を言っているか良く分からないです!


「えっと、町中で荷物を背中に背負っている人は見たことないっすか?」


「ちらっと見たことはあるです! そういえば、そういう人たちは重い荷物を背中に背負っていた気がするです!」


「そう! だから、この樽も背中に背負ったら負担が軽くなるんじゃないかなって」


「んー。ししょーに怒られるかもですが、その分回数こなして怒るに怒らせなくしてやるです! でも、ジミーさんは何でノアに協力してくれるです?」


「そりゃ、一生懸命やってるのを見てたら、応援したくなるっすからね!」


 照れたように笑うジミーさんは、きっと良い人です。


 早速、ジミーさんの持ってきた紐を取っ手に通して、肩で担げるようにするです。それで背負ってみると……お? おぉー、凄いです! 肩に紐が食い込むですけど、簡単に持ち上がるです。


「おぉー、成功したです……」


 ただ、凄く後ろに引っ張られるです。気を抜けばひっくり返りそうなのが心配です。


 うーん……。


 あっ、そうです!


「ジミーさん、紐ってもう一本あるです?」


「探せばあると思うっすけど、どうするんすか?」


「もう一個の樽に同じように剣を入れて、ノアの前に掛けて欲しいです!」


「えぇ、大丈夫すか~?」


 後ろに引っ張られるなら、前にも重しを付ければ完璧です。ジミーさんに手伝って貰って、前と後ろに樽を背負うです。


 ずしりと両肩に掛かる重みは、肩が抜けそうになる重さです。ちょっと両脚に掛かる重みが尋常じゃないです。むむむ~……。


 というか、これだとししょーが調整した重さを無視することになるのでは?


 …………。


「だ、大丈夫そうっすか?」


 心配そうなジミーさんの顔を見て、やっぱりやめるとか言い出しづらくなったです!?


「だ、大丈夫です! やってやるです!」


 かくなる上は覚悟を決めるですよ!


「うお、おおおおー!」


 ずる、ずる、と摺り足で進むです。


 ジミーさんが思わず拍手してるです。


 でも、それに応えられないぐらいにしんどいです!


 肩が痛いし、脚も動かすのが億劫になるほどです!


 こんなことを六十回もやるなんて、馬鹿なんじゃないかと思うですが、脳裏に浮かんだ癖っ毛の金髪が『ハッ』と鼻で笑う姿が思い浮かんだので、歯を喰い縛って耐えるです!


 むぎぎ! 絶対にノアは諦めねーのです!


 ★


「…………」


「それで? 頑張り過ぎて倒れて、生きる屍になっていると?」


 武器の入った樽がすっかり片付いてしまった第二倉庫の中で、声すら出せない様子でノアちゃんが床に転がっている。


 ノアちゃんが圧倒的な根性を見せたことにも驚きだが、自分で工夫して、更に肉体への負荷を上げてしまったことにも驚きだ。


 同年代の少女に馬鹿にされたことが、それほどまでに悔しかったのかもしれない。


 普通は楽な方へと逃げようとするもんなんだがなぁ。


「最後の方は半分意識飛んでたと思うっすよ」


 真夏の高校野球部員の地獄の特訓か。


「無茶するなぁ」


 さすがにここで動くことを強要してノアちゃんを潰すつもりはないので、俺はノアちゃんを抱き上げる。


「し、ししょー……!?」


 おっと、気が付いたか。


「しかし、軽いな。やっぱり肉が足りないんじゃないか、肉が。よし、肉食いに行くぞ、肉。それじゃあ、本日は失礼する。明日も来ると思うがよろしく頼む」


「あ、はい。お疲れ様っすー」


「し、ししょー! ノア、自分で歩けるですから! 横抱っこはやめて欲しいです!?」


「嘘つけ。そんな余裕がある状態じゃないのは、見れば分かるんだよ。しかも、俺の考案したメニューの何倍もやりやがって。飯食ったらケアもするからな。覚悟しとけよ」


「け、けあ? 何か分からないですけど、嫌な予感がするですー! 助けて欲しいですー!」


 ノアちゃんを抱き上げながら、グエンタール商会の面々に挨拶しつつ、俺はその場を辞す事にしたのであった。


 ★


 飯処『大努屋』。


 その昔、勇者が考案した料理の数々を努力の末、悉く再現したとされる伝説の飯処である。


 おかげさまで、昔はしがない大衆食堂だったのが、今は会員制の超高級レストランへと変貌している。


 昔の雰囲気が好きだったという長命種の常連客もいるらしいが、会員制となって落ち着いた雰囲気を醸し出す今の大努屋の方が俺は好きだったりする。


 そんな大努屋の入り口にいたボーイに、軽く会員証を提示すると、彼は微笑と共に「いらっしゃいませ」と言って扉を開いてくれる。


 相変わらず、出来た店員さんだ。


 普通、こんな薄汚れた着流しを着た奴を笑顔で案内なんて出来んだろう。その辺、一流の教育がしっかりされていると感じる。


 そのまま、ドアベルの音で駆け付けてきた給仕に従って歩くと、奥の個室に案内される。


 この個室は俺が生涯使えるように借りきっている個室だ。なので、俺がいつ来ても良いようにこの部屋だけはいつも空けてあるらしい。


 ……本当かどうかは知らんけど。


 ちなみに、昼に来たのもこの店である。


「あらかじめ、肉と豆料理をメインに出すように言っていたんだが、その様子だと流動食にした方がいいか」


「うー、ノアは汚されたですー。もうお嫁さんにいけないですよー」


「運ばれるのが嫌ならさっさと体力をつけろ。俺だって手間なんだ」


 ぐてんとテーブルの上に突っ伏すノアちゃんを見ながら、俺はそういえばと思い出す。


「そういえば、疲労回復に良いものがあったな。後でマッサージもしてやるが、まずはこいつだ。てれれてっててー」


 某猫型ロボットの効果音を自前で口ずさみながら、取り出したるはひとつの小瓶。


 その中身を手ずから――問答無用でノアちゃんに飲み込ませる。


「!? …………ッ!」


 バタバタと暴れるノアちゃん。


 それを、いいから飲めとばかりに押さえつける俺。


 何故だろう。そこはかとなく犯罪チックな香りがするのは……。


「!? ! ! ~~ーー! ……………」


 やがて、足掻く気力が無くなったのか、ノアちゃんの動きが止まる。


 そこを今だとばかりに、俺はノアちゃんの鼻を摘まんで、小瓶の中身を嚥下させていた。


 今度こそ完全に動かなくなるノアちゃん。うん、白目剥いてるね。やり過ぎたか?


「……まぁ、気持ちは分からなくもない。某大人気漫画の、一瞬で回復出来る仙人の豆をリスペクトして作った霊薬EX……。効果については、ほぼ再現出来たんだが、死ぬ程不味いんだよな、コレ。そりゃ意識ぐらい失うわな」


 とりあえず、寝て起きたらすっきりするだろうから、料理が運ばれてくるまでは寝かせておいてやるか。


 尚、俺は霊薬EXを試しに飲んでみたところ、一週間ほど味が分からなくなった。


 何というか、辛いとか、苦いとか、渋いとかじゃなくて……臭いんだよな。いや、味の表現として間違っているんだろうけど、そうとしか言いようがないんだわ。うん。


 ★


「はっ! 此処はどこです!」


 起き上がったノアちゃんは、意識だけでなく記憶まで無くしていた。


 余程ショックだったらしい。


「そして、何でノアはししょーに抱き上げられているです? はっ! これはししょーに脈ありの証拠です? ほぎゅっ!?」


 とりあえず、ノアちゃんを床に落とす。


 変な声がしたが、まぁ大丈夫だろう。


 ちなみに抱き上げていたのは、ノアちゃんの寝相が悪すぎて、放っておくと椅子から転げ落ちてしまう為だ。


 結局、落ちたので抱えていた意味はなかったのかもしれないが。


「あれ? 何だか、体が軽い気がするです?」


「そうか。それは良かったな」


 何せ、虎の子の霊薬EXを飲ませたのだ。効果が無くては逆に困るぐらいだ。


 ちなみに、この霊薬EX。原材料も希少なものばかりで、俺自身も数を持っておらず、在庫も数百個くらいしかない超貴重品である。


 更に言えば、現在では取れない材料も使っているので、数を増やすことも出来なかったりする。


 そんな希少な薬をノアちゃんに使った。


 それだけ、彼女の執念に俺は期待しているのかもしれない。


 俺は人のやる気は長続きしないものだと考えている。そのやる気の根拠が希薄であれば尚更だ。特に子供なんかは飽きやすいし、冷めやすい。


 だから、ノアちゃんのやる気も長続きしないだろうと勝手に思い込んでいた。


 だが、今回の件で少し考え方を改めた。


 彼女の本質は恐らく執念深い。


 それは、ダークエルフの種族的なものかもしれないし、彼女の本質的なものかもしれない。


 ただ執念深いというのは、良く言えばひとつのことに固執できる人間だ。


 こだわりというか、他の何を捨ててもそのことに命を懸けられる……即ち最上級のやる気の持ち主だとも言える。


 目標さえ上手く設定できれば、彼女は恐ろしく伸びるのではないだろうか。そう思ったのである。


 やがて、転げ落ちた床から聞こえてくる腹の虫の大合唱。床を見やると転げ落ちた姿勢のままのノアちゃんの頬が赤い。


「やれやれ。用意してある。食え」


「さ、さすがししょーです!」


 ガバリと起き上がると、席につくなり、昼の比ではない勢いで食べ始めるノアちゃん。


 恐らく、霊薬の影響で体内の臓器も活性化しているのではなかろうか?


 少食のエルフとは思えない食べっぷりである。


 まぁ、彼女の場合はダークエルフなので、エルフとは少し違うのかもしれないが。


「げふっ! ごちそーさまです!」


 昼は吐きそうになっているのを無理矢理詰め込んだ感があったのだが、今回はきちんと全部自分で食べきったようだ。胃腸が元気だとこうも違うかね。


「今更だが、体の調子はどうだ?」


「そういえば、体が全然痛くないです!? ノア、死んだんですか!?」


「どうしてそうなる。ちょっと秘密のお薬で治療しただけだ」


「おー。やはり、ししょーは凄いです。どんなお薬だか知らないですけど」


 やはり、記憶が飛んでいるようだ。南無。


「でも、これで分かったです! ししょーがいる限り、ノアは無茶してもちゃんと復活出来るです!」


「いや、無理できることを前提で行動するなよ? まぁ、できる限りの面倒くらいは見るつもりだが」


「さすがはししょーです! 愛してるです!」


「はいはい。ありがとありがと。体が動くならそろそろ行くぞ。整理体操を兼ねて少し歩いて帰るからな」


「せいりたいそー?」


「筋肉を収縮させたから、正常な状態に戻す為に伸ばす必要がある。それが整理体操だ。ストレッチとも言う」


「筋肉って伸びたり縮んだりするんです?」


「筋肉ってのは紐みたいなものだ。そいつが伸びたり縮んだりすることで体は動くんだぞ。腕や脚が曲げられるのも筋肉に引っ張られたり弛んだりしているからだからな」


「そんな話、初めて聞いたです」


 この世界、怪我は何でも神聖魔法で治すために医学はあまり進歩していない。不死生物とかもいる世界だから、人の死体を悠長に解剖している時間がないというのもあるのだろうが。


「人体の構造くらいは軽く覚えておけよ。それが、お前の生死を別つかもしれんからな」


「はいです! ししょー!」


 元気が戻ってきたノアちゃんは、既に本来の調子を取り戻しつつあるようであった。


 ★


 ノアちゃんと連れ立って店を出る。外に出ると既に辺りは暗くなっていた。ノアちゃんが頑張った分、遅くなったようだ。


「ふぇ~。暗くなったのに、まだ沢山人がいるです!」


「ティムロード領は北方でも一番の大都市だからな。これぐらいの時間では、まだ店は閉まらんよ」


 大通りにところ狭しと並ぶ屋台からは、やたらと食欲を誘う香ばしい臭いが漂い、ここからが本番だとばかりに酒場の明かりが軒先を煌々と照らす。


 商売女も妖しげな色香を振り撒いて男を誘い、何やら良いことでもあったのか男たちが肩を組んで賑々しく歩いている。


 北の森の中で住んでいたのなら、それらは恐らく見たことのない光景として見えるだろう。


「これから、夜の町に繰り出して遊ぶです?」


「なんでそうなる」


「それが、大人の男の甲斐性だっておねーちゃんが言ってました」


「本当、お前の姉ちゃんはろくなこと言わないな……。今日はもう宿に帰る。だが、眠る訳じゃない。勉強だ」


「ししょーも勉強することがあるです?」


「お前が勉強するんだよ! アイドル資格試験に必要なんだよ! 徹底的に教えてやるから、ちゃんと頭に詰め込んどけよ!」


「は、はいです!」


「あと、その返事も何か気合いが抜ける。今度から返事は「押忍」でいいぞ」


「は……押忍っ!」


 うん、気合い入ってる感あっていいな。


「ちなみに、押忍ってどういう意味です?」


「知らん」


「ししょーは、おねーちゃんのこと色々言うですけど、ししょーも大概だと思うのです」


「そうか? 俺ほど普通な一般貴族はいないと思うがな」


 俺はそう言ったのだが、ノアちゃんはノーコメントだった。解せぬ。

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