第7話 負けず嫌い
【side ノア】
ノアは頭がこんがらかる思いでおにーさんの元から逃げ出したです。
そもそも、ノアは有名になりたいだけなのに、それに命を懸けるかって聞かれたら、激しくノーなのです!
折角、ドラゴンから逃げ出して命を拾ったというのに、何でわざわざまた命を投げ出さないといけないですか!
アイドルの試合を見て、あれなら国中にノアの名前を轟かせることが出来ると考えたですけど、やっぱり死ぬのは怖いので、おにーさんのお話はお断りしようと思うのです。
なんて、考えながら歩いていたら、立派そうな中庭に出ていたです。ノアが住んでいた村の中央広場くらいはありそうです! 広いです!
そして、色々考えながら歩いていたから迷ったです! ここ、どこです!
そういえば、さっきもおトイレの場所が分からなかったから、商人のお爺さんに話し掛けたら教えてくれましたです。今度も誰かを探して……あ、誰かやってきたです!
「あの、すみませんです!」
「…………」
元気に話し掛けたのに、すっごい睨まれてるです!? 何か癇に障ったです!?
「さっき、ロビーで話が聞こえましたけど、貴女、アイドル目指すつもりですの?」
そう言ってきたのは、金髪碧眼で癖っ毛の女の子です。ノアとそんなに年齢が変わらないはずですが、どこか偉そうです!
彼女は何だかイライラした表情でノアを睨んでいるです。何か変なこと言ったですか? ノアは?
「ノアは……」
別に目指してないと続けるよりも先に、女の子は口を挟んでくるです。
「貴女みたいな素人がアイドルになれるわけがないでしょう?」
「はぁ?」
何なんですか、この子は! いきなりノアの将来に文句付けてきやがったです! そんなことやってみないとわからないですし、この子が判断することじゃないです!
「面白半分で資格試験を受けられると迷惑なんですの。実力のない素人がまぐれで勝って、あまつさえアイドルになられたら、アイドルの質が落ちて素人にも舐められてしまいますわ。アイドルなんて所詮こんなものか、とね」
「人のことを知りもしないで、勝手に可能性を否定しないで欲しいです!」
「見るからに弱そうで鍛えていない貴女が、まさかアイドルになれると本気で思っているのかしら? アイドルになれる人なんて、冒険者上がりか、小さな頃からずっと剣を嗜んできた私のような人間しかなれないのですわ。貴女みたいな素人が挑もうなんて思い上がりも甚だしいですわよ。そうですわね。貴女もたゆまぬ努力をして十年も経てば、もしかしたらアイドルの端っこぐらいには引っ掛かるかもしれませんわね。端の端のほんの端っこの方ですけどね!」
ほんの少しだけ人差し指と親指の間に隙間を開けて馬鹿にされたです!
何なんですか、この子!
超感じ悪いです!
大体、自分なら受かる~みたいな空気を出してるですけど、歳は大してノアと変わらないはずです!
そんな女の子が冒険者からアイドルに転向したおねーさんたちに勝てるとも思えないです!
「何か言いたいことでもあるのかしら? 私は親切心で言っているのですけど。ほら、さっさと自分にはアイドルは無理です、御免なさいっと言って、どこにでも行くといいですわ。貴女みたいな存在は、本気でアイドルの頂点を目指そうと決めた人間には迷惑なんですのよ」
「決めたです」
「ようやく、分かってくれましたか」
「誰がお前の言うことなんて聞くかバーカです! ノアは今、この瞬間、アイドルになることを決意したです!」
「貴女の為を思って言ってあげているのに、何ですのその態度! 言っていますでしょう? この私にとって迷惑なんですの!」
「ザマァとしか感想が出てこないです! そもそも、ノアと大して歳が変わらないのに偉そうなのです! 何様のつもりです!」
「そう……。忠告したのにそう言う態度を取るんですのね?」
女の子の雰囲気が変わったです。
大人の人に付いていって、狩りの様子を見たことがあるから知っているです。あれは獲物を狩る時の狩人の目です!
「本物とニワカの違いを見せてあげないと納得しないようですから、仕方ないわよね?」
そう言って、女の子はノアに一本の剣を投げて寄越したです。
あまりに自然だったから普通に受け取っちゃったです!
取り落とせば良かったです!
「鞘から抜くのは無しで一本勝負をしましょう。ハンデとして、私は短剣で相手してさしあげますわ」
「ノアは剣なんて使ったことないです!」
むしろ、あっちの短剣の方が使ったことあるです! 後、短弓ならまだ使えると思うです!
「アイドルになるっていうのでしたら、使ったことのない武器でも即座に対応してみせなさいな。私は出来ますけど?」
「カ、ノアだって出来るです!」
「その割には構えがへっぽこですけど? いいですわ、先手は譲ってあげますわよ。来なさい。格の違いを見せてあげますわ」
そう言って構える女の子は堂々としていて、とても打ち込む隙なんか無いように見えるです。
多分、女の子が真面目に練習をやっているのは本当なのです。そんな真面目にやろうとしているところに、ノアみたいな半端な気持ちでアイドルやろうとする子がいたら、確かにガチギレするかもしれないです。
でも、ノアだって本気です!
ドラゴンに襲われた時、村の皆は散り散りに逃げたです。
ドラゴンのブレスで次々と村が焼け落ちていく中で、知り合いのおばちゃんや友達が慌てて逃げていった姿を、ノアはちゃんと確認しているです。
だから、きっと……。
きっと皆はどこかで頑張って生きているのです!
そんな皆に、ノアはココだって……ココにいるんだって、一生懸命伝えなきゃいけないんです!
みんなを集め、みんなに呼び掛け、もう一度あの村の姿を取り戻す為にも、ノアは旗持ちにならないといけないのです!
多分、あの騒ぎを起こしたのは、ノアのおねーちゃんの仕業だと思うですし……。
その為にもノアは有名に……有名なアイドルになってやるのです!
そして、皆に居場所を伝えて、もう一度村を再建するんです! その為にも、ノアはこんなところで足踏みなんてしていられないのです!
「あっ、警備の人がやってきたです!」
「え?」
嘘です!
クールなノアは無言で不意討ちするです!
だけど、女の子はノアの方を見もしないで、ノアの剣を短剣で弾いたです! 無茶苦茶です! 本当に人間です!?
「随分と狡い手を使ってきますのね。おかげで『返し』損ねましたわ」
何を言っているのか意味不明ですが、多分、危険を回避したです! 流石ノアです! 冴えてるです!
「なら、今度はこっちの番ですわよ」
女の子が動いたと思った瞬間には、ノアの鎖骨に硬いものが思い切りぶち当てられた痛みが走ったです。
そして、今度はお腹にも重い痛み……なんです、これ? 痛すぎて死んじゃうです……。
「はい、一本。……蹴りはおまけですわ」
ずきずきずきずきと左肩とお腹が痛い中、女の子は平然とした顔を見せているです。
一方のノアは地面にお腹を抱えて蹲ったまま。どちらが勝者かなんて聞くまでもない状況です。でも……。
(でも、おねーちゃんが言ってたです! 負けは負けって認めない限り負けじゃないって。だから、ノアはまだ負けてねーです!)
「それじゃあ、剣は返して貰いますわ……よ!?」
女の子が近付いてきて、ノアの手から剣を引ったくろうとしたタイミングで石を投げてやったです。完璧なタイミングだったから避けることは出来ないです。
女の子は額で石を受けて、小さく息を漏らしたです。でも、それは悲鳴を堪えた時の吐息だってノアにはバレバレです! そのまま鞘付きの長剣を女の子の足首に叩き付けるです!
「ぐっ!?」
変な声が出たです! ザマァみろです!
だけど、そんなノアを女の子は思い切り踏みつけたです。ミシッとノアの体の中から、鳴っちゃいけない音がした気がするです!
「勝負はついたといいますのに、何てことをするんですの! こいつ!」
「ま、負けてないです……!」
「一本勝負って言ったてしょう! 肩に一撃入れられた時点で貴女の負けですわ!」
「その後に蹴られたです! なら、これはただの喧嘩です! 参ったしない限り、ノアの負けじゃないです!」
「減らず口を! なら、参ったさせてやりますわ!」
女の子がノアを何度も何度も踏みつけるです! ノアはその足から頭を守りつつ、近くの石を拾って、隙を見て女の子の足に、手に持った石で殴り付けるです!
「痛っ! この……! このこのこのっ!」
女の子の攻撃が激しくなるです! でもノアは諦めないです! ガンガンガンガン、女の子の踝目掛けて石を叩き付けるです!
「うぅ、ううぅ~~~っ!」
「うぐぐうぅう~~~っ!」
女の子もノアも互いに涙目になってきたです……。痛すぎて我慢出来ないです……。骨とか折れてるかもしれないです……。
もしかして、ずっとこんな地獄のような状態が続くのです……? それを疑い始めた時、何処かから大声が上がったです……。
「こらぁ! 何をやってるかぁ!」
あ、本物の警備員さんです……。
そう思ったノアは気が抜けて、女の子の逃げるついでの踏みつけをもろに食らって意識を手放したのです。
★
side ディオス
「お前は何をやっている?」
「…………。それはノアが聞きたいです」
起きてから、ぽやーっと寝ぼけ眼で高級宿の真っ白な壁を眺めていたノアちゃんは、ようやくといった感じで言葉を口にする。
もしかしたら、一瞬、ここが夢の世界であると勘違いしたのかもしれない。何せ、俺たちが今いる部屋は俺の基準で言っても豪華過ぎるからだ。
天蓋付きのベッドは勿論のこと、部屋の片隅には岩を積み重ねた小さな滝がある。その周りには南国から取り寄せたのか、熱帯雨林を思わせる植物が植えられており、部屋の中だというのに小さな池が出来ている。
この部屋を案内してくれたボーイさんに聞いたところ、あれは池に見えてジャグジーなのだとか。
え、湿気とか大丈夫なの? と思ったが、その辺は魔石で何とかしているようだ。
それだけに留まらず、調度品も超豪華。
くの字型の高級感溢れる革張りソファーがあれば、その手前には背の低い硝子テーブルが置かれ、硝子テーブル越しにはティムロードの町を一望できるバルコニーに繋がる透明度の高い硝子窓が見えている。
バルコニーはバルコニーでちょっとした立食パーティーが出来るくらいには広いし、最上階であるために眺めも良い。
後は部屋の片隅に執務でも行う為か、黒檀で出来た机と何やら本が収められた本棚まで存在する。
まさに、要人が泊まるような豪華な部屋。
というか、実際にティムロードにアイドル観戦にきたお偉いさん用の部屋らしい。
ちなみに、これだけの設備が揃って一人部屋だというのだから驚きだ。
「一応、俺が知っている限りだと」
そう前置きをして、俺はノアちゃんの置かれていた状況を語る。
ボロボロになったノアちゃんが発見されたのはこの豪華な宿舎の中庭でのこと。金持ち御用達の宿なので、警備の人間がトラブルがないか結構な頻度で巡回しているのだそうだ。
そんな警備の人間が中庭で争うような物音を聞いて駆けつけると、一人の少女が倒れ、もう一人の小柄な人影が逃げていくのが見えたという。
警備の人間は倒れている少女……ノアちゃんに近付くと傷の容態を確認。
危なそうだということで、犯人は追い掛けずに宿舎のフロントに言って、教会から治癒魔法が使える者を慌てて呼んで貰おうとしていたのを、たまたま宿舎のロビーにいた俺が聞き及んで、それなら俺が回復すると名乗り出たというわけだ。
その後で倒れていたのがノアちゃんだと知り、知り合いなので引き取って、部屋へと戻ってきたのである。
「傷は完全に治したつもりだが、酷い状態だったからな。どこも痛くないかちゃんと確認しておいてくれよ?」
「わかったです」
ノアちゃんはキングサイズのベッドに上半身だけを起こして、ペタペタと自分の体を触る。やがて、問題なかったのかこくりと小さく頷いた。
ふむ、骨に皹まで入っていたように見えたが、完治しているようだな。
「それで? 結局、誰にやられたんだ? 人族原理主義者の馬鹿か? それなら、報復してきてやるが」
「そんなんじゃないです」
「じゃあ、誰だよ?」
「アイツはアイドルになるのはやめろって言ってきたです」
「? そんなもの個人の勝手だろう」
「素人がアイドルを目指すなと……、真面目にやっている人の邪魔になるからと……、言われたです」
「ふむ」
確かに遊び半分でやられたら邪魔かもな。それは真剣に取り組んでいる者ほど、そう思うのかもしれない。そして、そうやって真剣に取り組んでいる相手だからこそ、手も足も出ずに負けた、と。
「まぁ、気にする事はない。ノアちゃんはまだ何も知らない素人だ。喧嘩で負けたからといって落ち込むことはない」
「負けてねーです」
「いや、倒れていたということは負けたということだろう」
「参ったってしない限り、負けじゃないっておねーちゃんが言っていたです!」
「ほう」
お前の姉さんは無茶苦茶な奴だが、それは間違っていない。
本当の負けってのは心が折れた時だ。いくらやられても、最後に立っていた者が勝利者だというのは歴史が証明している。そういう意味でいえば、ノアちゃんの姉さんもたまには良いことを言うじゃないか。
「ノアは……、ノアは悔しいです! 始める前から否定されて! お前には出来ないと決め付けられて! 何でそんなこと赤の他人から言われなくちゃいけないですか! ノアの可能性はノアだけのものです! ノアのことも良く知らないような奴に決められたくないです!」
ノアちゃんの目に涙が滲む。
そうだな、才能ってのは確かにある。
向き不向きってのも確かにある。
だが、それをやる前から決め付けるのは相手の傲慢だ。それにノアちゃんには才能がある。
寿命という才能だ。
ノアちゃんは鍛えれば鍛えるほど伸びていくことだろう。世界がそういう風に出来ているのだ。だから、これは間違いない。
「ノアは強くなりたいです……! アイツがアイドルを目指すなら、アイドルのトップを目指すのなら、ノアがそれよりも強いことを証明してやるのです……! アイツの目が腐っていて、ノアの才能が驚くほどキラキラだって教えてやるのです!」
「それは、アイドルの中で一番を目指すということか? それとも――」
「ノアは……、ノアは……、おにーさんみたいになりたいです! 誰にも負けないくらいに強く、強くなりたいです! だから、おにーさん! 剣を、剣を教えて欲しいです! お願いしますです!」
そう言ってノアちゃんは頭を下げる。
なるほど。
剣神とトップアイドルのどちらが強いかと問われたら、異口同音で剣神という言葉が返ってくる。ノアちゃんはそこを目指すことで、高慢ちきな相手の鼻をあかしてやろうというのだろう。
だが、肝心なことを忘れている。そこははっきりとしておこう。
「剣神の弟子となって、命を狙われる覚悟はしたのか?」
「大丈夫です! ノアが死にそうになってもおにーさんが生き返らせてくれます! 痛さに耐えていれば、何とかしてくれるって分かったから、そこに怖さはないです!」
…………。
俺がギリギリの状況を救ったせいで危ない思考に陥ったか?
だが、その無鉄砲さは、決して悪い方向ばかりに転ばないだろう。それに俺にもノアちゃんを有名にして、北の森に人を呼んで文明化を図るという計画がある。ここで心変わりされるのも宜しくない。
ならば、どうするか。
「そうだな。最終的には俺の後でも継いでもらうとして、まずはアイドルになることから初めてみるのがいいんじゃないか?」
「アイドルになるです?」
「ソイツにやられっぱなしで終わるのも気分が悪いだろ? それにノアちゃんも有名になりたいんだろ? アイドルになれば、一石二鳥じゃないか」
「そ、そんなに上手くいくです?」
「可能かどうかはノアちゃんの努力に掛かっているな。やる前から、諦める気はないんだろう?」
「そ、そうです! ノアは、ノアの可能性を見せつけてやるんです! だから、まずはアイドルになって、アイツをボコボコにしてやるです!」
ふむ、安全を確保しつつ、育てていくのにアイドル業ほど向いているものもないだろう。
良い感じだ。
★
かくして、俺は弟子を得た。
その弟子は剣に通じていたわけでもなく、人一倍利口なわけでもなく、魔法の素質があるわけでもなく、ただただ負けず嫌いのクソガキだったわけだが、それでも寿命という才能を持っていた。
まずは、たった一ヶ月でアイドル資格試験に合格するところからだ。
剣もろくに握ったことのない素人を玄人たち相手に勝てるようにしないといけないのは、なかなかに骨の折れる仕事だが、出来ないわけではない。
それには、ノアちゃんの想像以上の頑張りが必要なわけだけど……。
「覚悟しろよ、弟子よ。俺の修行は想像以上に厳しいぞ?」
「はい、おにーさ……いえ、ししょー!」
だが、このノアちゃんの声を聞く限りでは、そんな事も杞憂になるのではないかと俺は思うのだった。
★
side ???
「やってくれましたわね……」
痛む足を引き摺りながら私は歩き続けますわ。
しん、と静まり返った高級宿の廊下は、単調にその足音を跳ね返してくるだけで、騒ぎが起きている様子はありませんの。
普段は泊まらないような豪華な宿だけに、その場で騒ぎを起こしてしまったことを少しだけ後悔しながら……私は憤っておりましたのよ。
事の始まりは、私がこの宿のロビーを見学していた時のことですわ。
私の第二の家族とも言うべき、ロズエル一座は旅芸人の一座で、私はそこで舞姫として雇われていましたの。
大勢のお客さんの前で剣舞を披露したり、座長と模擬試合のようなものを見せてお客さんたちを沸かせたりするのが私の仕事ですの。そうすることで、観覧料を頂いて私たちは食べていけるのですわ。
一応、それなりに名の知れた一座ですから? そこまで財政状況が逼迫してはいないのだけど? 普段ならこんな高級宿に泊まったりはしませんのよ?
今回泊まったのは特別ですの。
そう。長い間一座でお世話になってきた私が、アイドルになる為に一座を辞めるというので奮発してくれたんですの。
良い環境で勉強して、技を磨いて、最後の追い込みをかけて一発で合格と、座長や一座の皆様からのそんな温かい思いを受けて、私は有難いやら嬉しいやら、と複雑な気分になっていたんですの。
別に一座にいるのが嫌なわけじゃないんですのよ。
ただ、私の目標は最初からアイドルになることだったんですの。
元々、そういう条件で一座に在籍していたのですから、これは規定路線ですわ。
そして、私はその条件を果たす為に努力してきましたの。
五年の間、興行で国中を行脚してきましたけど、技量で届かないと思える相手はいませんでしたわ。それだけ、自身を鍛えてきたという自負がありますもの。
目標はトップアイドルですわ。
そして、パパから教えて貰った剣が最強であることを国中に知らしめますの!
そんな風に意気込みも新たにしていた時に、ソイツは現れたのですわ……。
ソイツは最初、アイドルを馬鹿にしていましたわ。
だから、カチンと来て、その会話に耳をそばだててしまったのかもしれません。
曰く、彼女には何か目的があって、その為にアイドルになるのも良いかもしれない……って、なんですのそれは?
何でアイドルになることをそんな風に軽く考えられますの?
アイドルといえば、女性の憧れの職業で、毎年多くの女性が挑んでは散っていく、狭き門の職業で有名なんですのよ?
だから、低ランクのアイドルといえども、アイドルであるというだけで、一種のステータスになるのですわ。
それなのに、彼女はアイドルを軽視していましたの。それだけに留まらず、最強のアイドルになれると煽てられて調子に乗っていましたわ。
むかむかと下っ腹辺りから、嫌な感じが湧いてきましたわ。
私は十年以上も遊ぶことなく修行をしていたのに……。
アイツは鍛えてもいない細腕で……。
私はパパの力を証明する為に絶対にアイドルにならなくちゃいけないのに……。
アイツはアイドルになっても良いかなと上から目線で……。
私はアイドルになる為に必死にやってきたというのに……。
アイツはお気楽にトップアイドルになれると煽てられて……。
なんですの? なんですの? なんですのこれ?
気持ち悪いですわ。吐きそう……。
私の中の全てが否定された気分ですわ……。
私の中の価値観が根底から崩されるとでも言いますの? そんなことはありませんわ。私の積み上げてきたものは間違いじゃないですもの。
アイドルとは、みんなが憧れるほどの職業で、みんなが憧れるというのは高尚な職業だからで、そんなアイドルになるのは高尚な人間でなければならないんですの!
だから私は間違っていませんわ!
間違っているのはアイツですのよ!
軽い気持ちでアイドルを目指そうだなんて……アイドルを懸命に目指している人たちにとって失礼ですわ!
そんなことを考えていた結果、私はアイツに一本勝負を仕掛けていましたわ。結果は言わずもがな。私が正しいことは証明されましたわ。
ただ、一方的に勝つつもりだったのに反撃されたのは予想外でしたわ。実力的には私の方が断然上でしたのに、反撃の余地を与えてしまったことは反省点ですわ。
「まだ未熟ということですわね」
恐らくはそういうことなのでしょう。
怒りが眼を曇らせるというのは良く聞く話ですわ。でも、まさか、それは無いとは思いますけど……。
(アイツに才能があった――なんてことはあり得ないですわね)
口には出さずに、私は薄く笑う。
例え、アイツに才能があったとしても勝ったのは私ですわ。私の才能と技量の方が上なのですから気にする必要はないでしょう。
ただ、アイツの不意討ちを受けてしまいましたから、咄嗟の不意討ちに対応出来るように、もっと訓練のメニューを増やさないといけませんわね。
そういう意味で言えば、あの素人の存在も役に立ったのかもしれませんわ。
「気を引き締めましょう。あとひと月しかないんですから」
そう。あとひと月ですわ。
その先もあるのだけど、とりあえずの目標をひと月後のアイドル資格試験に定めましょう。ひと月後に笑っていられるように、今はただ全力を尽くすだけですわ。
だから、路傍の石ころに蹴躓きかけたことなんて忘れましょう。
深呼吸を二、三度繰り返し、私はゆっくりと今日あったことの記憶を薄れさせていく。
そして、気持ちが落ち着いた時には、下っ腹辺りのむかむかとしたものは、ようやく無くなったのですわ。
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