第31話 土曜日
よくわからない 変な夢を見たわりには、スッキリと目覚めは良かった気がする。 朧気には覚えているけれど、詳しく探れば その先から記憶が薄くなっていく。 よくあることだ。
そんなことよりも私は目覚めて すぐ、ベッドから出る前にスマホを手にしてネットでお店を検索した。
今日 まず目指すスーツの専門店は午前10時に開店するとあって、私の いつもの のんびりとした土曜休日の朝の過ごし方とは違った。
おまけにそんな中で、大樹が電話をしてきたから余計に焦りながら、パンを頬張り、野菜ジュースをグイっと飲んで 歯を磨き、メイクを急ぐ。
母はいつもの土曜日と同じように、私とショッピングモールに買い物に行く、というか 連れて行ってもらうことを期待していたみたいだけど、こんな私の朝から落ち着きのない様子を見て、早々に頼りの先を妹に変更していた。
大樹はこんなに暑いのに元気に仲間内で草野球と そのあとにチームのメンバーと飲み会をするらしく、今日は会えないから、と明日の待ち合わせ時間(9:00)と場所だけを 一方的に捲し立ててきた。
私が話を切り出す隙さえも与えられないままに、「熱中症 気をつけて! エアコンを上手に!」と、いちおう私の体まで気遣ってくれて? 私が何かを言う間もなく、すぐに電話はOFFになった。
それにしても、そんな連絡は電話じゃなくても良いものだけど、スマホを使う彼は 見たり読んだりの受信は好きな 反面、文字を打ったり貼ったりの送信は苦手というか嫌い、という典型的な面倒臭がり男子。
私と付き合い始めの頃は、そんなことはなくて、むしろ彼のほうからマメにLINEをしてきてたはず。 なのに 1年半以上も経てば、だんだんと緩んできたのだろうか? 最近では目が衰えてスマホの文字が、なんて 言い出す始末。 いや そんなはずはない、チラチラと女の子の観察には目がランランと輝いているくせに!
だけど真面目な話、せっかくの電話だったら、私としては昨日の出来事を大樹に話したかった。 やっぱり彼だけには知ってほしかったし、なによりも共感をしてほしかったから。
彼は私と同じように、ううん 私以上に慌ただしくバタバタとしている様子だったし、時間に焦ってするような話でもない。 そんなふうに私自身が納得して、彼には またあらためて話すことにした。
あっ! それ以上にもっと大事なこと、差し迫った明日 日曜日のことも だ。 英語の勉強に行かないといけないこと、しかも初めての出席なので15時開始に遅れは許されない。
せめてそのことだけでも伝えることができればよかったのに! と心残りに思いながら、白のスニーカーで日陰を選びながら、私は足早に駅に向かった。
今日も猛暑日の予報で朝からジリジリと暑い。
ゆったりとボリュームのあるブラウンのブラウスをタックインした黒いデニムパンツでカジュアルなショッピングスタイルの私は、日傘を差したところで路面からの照り返しがキツいので、迷わず地下街を通ることにした。
街に出ている人々、みなさんも考えることは同じで、特に今日は少し早い時間 午前10時前で ほとんどのお店はこれから開店だというのに、普段の休日よりも地下のこの通りは賑わっているような気もする。
お目当てのスーツ専門店には 10時の開店と同時に入ることができた。
私は一番乗りということもあり、店員さんも独占できて、しっかりと話をしながら、あれこれと試着をさせてもらったり、ゆっくりと時間をかけて、そして気に入ったものを選ぶことができた。
とりあえずは、夏用のビジネススーツ2着を購入。 なるべく早くとのお願いをしたところ、仕上がり日も木曜日にしていただいた。 これでひとまずはチームのミーティングと食事会のある金曜日には間に合わせることができたし、私的には満足のいく買い物ができた。
それと…… ついで と言っては変だけど、昨日の今日だけに?
そのお店に入ってスーツを探し、選びながら、商品(ここではスーツがメイン)の陳列やマネキンの配置、店内の照明、靴やバッグといった関連商品の展示なんかにも、私はやっぱり気が向いてしまっていた。
これまでこんな思考で買い物なんてしたことがなくて、でも、こういうのも悪くないな って、さっそく仕事に感化されてしまった ビジネスウーマン気取りの自分が可笑しくて。 それにしても なんて私は単純なんだ!
もうひとつ、一緒に付いてくださった店員さん、名刺には主任アドバイザーとの肩書がある高木さんのこと。
私よりも小振りで 2-3歳若い? 実際はわからないけど。
彼女は常に柔らかく表情豊かに私のニーズやウォンツをしっかりと嫌味なく聞いてくれて、的確に商品に当てはめてくれた。 商品の知識も豊富で私の問い合わせにも100%の回答をしてくれて、とても頼りになる店員さんだったこと。
当たり前のことかもしれないけれど、店舗での販売スタイルというのは こういうことなのかな、と ビジネス思考の単純な私の脳にしっかりとインプットされた。
そんな高木さんの着ていた ボウタイが特徴的で可愛らしい柔らかそうな白いブラウスは彼女の着こなしもあってか、とても上品に優雅に 私の目に映った。
ブラウスはこういう感じが良いな と もちろん これからの仕事をする上での外見上の参考ということで、さっそく私の頭の中にインプットされている。
そして、これはもっと余談だけど、彼女の両肩に透けていた下着の線は合計4本、そして背中にもゴージャスな花柄レースの模様が薄く響いていた。
あっ これって大樹の好みだ と思った私も、なるほど、たしかに華やかで品もあるし、良いなーと思ってしまった。 たまたま薄っすらと視界に入ってしまった他人の下着くらいのことでそんなことを感じるのは 大げさだと自分でも思いながらも、女性らしさ、女性にしかできない装い、そして女性の美しさ みたいなのを あらためて感じた気がする。
これまでそんなことは思ったことも感じたこともなかったけれど、もしも私が他の人にこうして見られるのであれば、見られても大丈夫なような、というか、逆にさりげなく魅せる意識というのも必要なのかな、なんて。
大樹のフェチっぽい好みは変態とは言わないけれど変わっていることには違いない。 だけどなんとなく理解もできた気がした。 そして私も、たまにはこんなエレガントなアイテムを身に着けるのも悪くないなと。
女性らしさというのを、少しだけでも意識すれば、また気分も変わるのかな? でも、正直 お値段 高いしなー いやいや お給料もUPするんでしょ! あれ? この感覚って少しは夕奈に近づいている? 悪くないなー! ううん、佐倉さんなんて もっとすごいはずだし!
地下街を歩きながら そんなことを頭の中で巡らせていると なんだか楽しくなってきた。
リズム良く軽やかスニーカーの足を運ぶ 単純な私は、ずっと口を綻ばせていた。
私にしては予定通りに事が進んでいる7月半ばの土曜日。
ランチは、半年くらい前にグルメ番組で人気芸人が絶賛していた駅裏筋の洋食屋さんに良いタイミングで入ることができた。 この炎天下で外に行列に並ぶのだけは避けたかったから、それがないだけでもラッキーだ。
こじんまりとしたお店で 一人で入るのは少し勇気がいったけれど、思い切って入ってみると、意外にも雰囲気は緩く カウンター席だったこともあって気兼ねをすることもなかった。 なるほど、と 絶賛されるオムライスの味は、十分におなかを満たしてくれた。
ちなみに、私が食べ終わってお店を出た時には、7~8mの行列ができていた。 これは大樹にも言いたいネタだ。
その後に行ったシューズ専門店。 こちらも店員さんとうまくコミュニケーションがとれて、しっかりしたイメージ通りのパンプスが見つかった。
特にヒールの高さは、私が受付当番の時にだけ履き替えるパンプスが5cm、プライベートを合わせても、それ以上は持ち合わせもなく履いたこともない。
今回予想されるビジネスシーンから、店員さんにおすすめされたのは7cmで、パンプス自体も疲れにくくて上質のもの。
実は 5cmのは取り寄せになるとのことで、それではと お試しで 7cmを履いてみると、意外に両足にしっかりとフィット(そんな気がしただけ?)したのと、店員さんの軽妙な推しも嫌味がなくて、私を引き立ててくれるように勧めてくれたのも決め手になった。
夕奈や佐倉さんも7cmくらいのヒールだったし、慣れれば平気だろうからと、私は靴擦れ覚悟で思い切って購入した。 店員さんからは靴擦れ防止のパッドやインソールもすすめられ、私は万全の備えをした。
そして仕上げはネイルサロン。 少し堅い仕事向きで清潔感のある爪に、とのオーダーに、ネイリストさんは期待通りに綺麗に整えてくれた。 ネイルのことは洋食屋さんでランチをしている時に 何気なく 咄嗟に思いついたこと。 ダメ元で検索をしてみると 運良くベストなタイミングでお店の予約が取れたのだ。
そしてもちろん、それぞれ行ったお店の雰囲気や展示品とか小物のレイアウト、店員さんの接客や掲示物なども、最初に行ったスーツのお店と同じように、私なりの仕事目線でのチェックを忘れなかった。
今日のような、私自身の用事だけで、一人で、シャキシャキとお店を廻ったりするのは、ここ最近は なかったように思う、というか、とても久しぶり。
だって、いつも私の隣には、大樹や夕奈や母や妹がいたのだから。
(一人でも良いなー 一人でも楽しめるし)
ふと、そんなことまで思ってしまった。
そのきっかけとなった今回の突然の異動についても 昨日までのネガティブな気持ちよりも、今日 自分自身を高めるアイテムを探したり、お店をウォッチして背筋がピンとなるような感覚になれたのが、とても新鮮だったし 心地も良くて、少しだけポジティブになれたような気がした。
やっぱり私は単純?
少しポジティブな気持ちになって、スニーカーの足も軽やかに そのまま駅に向かった。 その途中で 地下街出口への昇り階段横にあるブライダル情報センターが私の目に留まった。
店頭に飾られているドレスは、ゴージャスなロングトレーン、金糸の刺繍が上品なビスチェタイプのAラインの純白のウェディングドレス。
それって以前、私が試着したドレスにとても良く似ている! 思わず目を奪われてしまった。
通行している他の人の邪魔だけには ならないように、少し離れたところに立ち止まって、さりげなくドレスを見つめながら、少しの間 大樹と参加したブライダルフェアの日を懐かしんでいた。 ドレス姿の私の画像は今も写メの中にあるから、時々それを見てはあの時の感動を蘇らせ、一人で感動に浸っていることもあるくらいに、私にとってはとても大事な一日になっていた。
あの日からもう1年になるんだな~ あっという間だよね……
あの時は、舞い上がってしまって、ゴールが目の前に見えていた気がしていたのに、そのゴールはより遠くに離れてしまったという事実。
過去と現実が交錯するとどうしても感傷的になってしまうけれど、私は気持ちだけでも切り替えられるように、と頑張ってみる。 考え方によってはあっという間の1年、来年の私はここで大樹と一緒に結婚式の申し込みや手続きをしているかもしれないのだから。
「1年なんて、あっという間 」
もう一度、彼も言っていたそのフレーズで、自分自身を納得させ 少し強引にでも元気づけると、足早に人波の中へと紛れ込んだ。
帰りの電車、弱冷車輛に乗って座ったと同時に大樹からLINEが入った。
大樹:明日9:30 迎えいく
私:明日仕事になったから14:00に R駅に行きたい
大樹:無理 イルカ13:00から
(え? 待って? どうしよう?)
電車の中、電話もできない。 急いでメッセージを考えていると
大樹:負けたし、今から審判じゃー 涙;;; 熱いよー
というメッセージと 熊キャラが暑がっているスタンプ。
ダメだ、もう彼の中では、明日のことについてのやりとりは終わっている、次の駅で降りて電話で直接伝えたほうが良さそう。
そう思った私は、次の駅で下車してホームで早速、彼に電話をしたけれど、無情にも繋がることはなかった。 彼らしいと言えばそれまでだけど、留守電設定すらしていないので、いったんは諦めることにした。
せっかく予定通りに買い物ができて 気持ち良く帰着するはずだったのに、せっかくのクリアジェルのネイルまでも なんだかパッとしないくらいに思えてしまう。
さらに次の電車を待つホームで感じる異常な熱気が 顔に首筋に露出した肌にまとわりついて、モヤモヤとした私の気分に拍車をかけるどころか不快にさえ なる。
帰宅して彼からの連絡を待ちながら、私から もう一度 メッセージを送信した。
昨日、話したことだけど……
まず、仕事の所属が変わって英語が必要になった、
そして、そのため日曜日15:00に英語教室に行くことになった、
最後に、水族館には行くけれどイルカショーを観ることは難しそう。
これら3つのことを綴ると長いメッセージになったけれど、とにかく彼には伝えておきたいことだったし、特に明日のことはマストだから。 彼がちゃんと最後まで読んでくれることを願って。
彼は、試合で審判の役を終えた後は メンバーの人たちと 飲み会? 打ち上げ? って 言っていたので、返信をしてくれる可能性は低いのかもしれないけれど、せめて私が送信したメッセージに 目だけは通しておいてほしい。
だから私は帰宅後ずっとスマホ片手に画面のチェックを繰り返して、既読になるのを待っていた。
ほんの少しだけ 私も手伝った今日の夕食は、ハンバーグとポテトサラダ。
あっ、お料理も本当は もっともっと積極的に学ばないといけないのだけど、正直 私には どうも苦手なジャンルになっている。
それに、お料理は本格的に結婚が決まれば、そこから少しずつ頑張れば良いかなー くらいの甘い考えがある以上、私自身が なかなか手を付けようとしない。
両親と私(妹は取り込み中)3人で食卓を囲んでいる時に、「そういえば……」と思い出したようなふりをして私は 昨日のことを伝えた。
所属している部門が変わること、スケールは大きいけれど面白味のある仕事(面白い? 本当はそんなことはないのだけれど;;)、英語が必要になった と。
伝え方によっては あらぬ方向に飛び火して、特に母が 例の話題を持ち出すことに なりかねない。 だから私は あくまでも簡単にトーンも軽くして ソフトに淡々と、そこは十分に気を遣って話したつもり。 たとえば、その時にテレビに映っていたバラエティ番組のおかしなシーンを取り上げて話題を逸らしたりもした。
そんな姑息な作戦通りに、父に至っては ほとんど うんうんと聞き流しているだけだったし、母は残業で帰宅時間が遅くなる時に くれぐれも注意するように、との 反応があったくらいだった。
あまりにも呆気なさ過ぎて、もちろんうまく伝えきったというのはあるのだけれど、正直 拍子抜けしたというのが本音。 ううん、これで良い。
その間も ずっと気にしていた スマホに大樹からの返信はなく、お風呂を済ませ 体を拭いた後に確認をしても既読のままで変化なし。
もう一度、髪を乾かし終えて、部屋に入ってスマホを見ると、大樹からの着信アリの表示があったので、慌てて大樹にコールバックをしたけれど、何度呼び出しても繋がらない。
一瞬のすれ違いに慌てた私は「ごめん、お風呂に入っていた」「電話、待ってます」と2つのメッセージを送信した。
いつもよりもキビキビと歩いた今日だったから、しっかりと体を解し、伸ばし 緩めるストレッチに集中していると、やっと大樹から着信があった。
彼は彼で、今日はたくさん動いて疲れていて、おまけに飲み会も盛り上がったらしくて、とにかく「疲れた、疲れた」を連呼しながら、勝った負けた、誰それがどうなったとか、とにかく暑かったと、一方的に説明をしてくれた。
それは良いのだけど、午後に電話でもLINEでも彼に伝えたはずの肝心な話に向かっていかない。
私はとにかく明日のことだけが心配で、時間のことを切り出すと、急に彼のテンションも下がって、「英語? なにそれ」から始まって 「そんなの絶対に続かんし」「日曜日なのに」とか、ネガティブなトーンで話すから、私は努めて明るめなトーンで、少しでも新しい仕事のことを絡め、もちろん彼に対して 悪いなー って気持ちを入れながら理解を求めた。
「うん まぁ わかった、とりあえず また明日 」
最後は不機嫌というか無機質なトーンで、電話は終わった。
なんとか明日の英語のこと、時間のことだけは伝わったと思うので、あとのこと つまり昨日からの私に起きた出来事は明日会って話すことにした。
結果的には なんとか心配事もなくなったけれど、まだ気持ちのどこかに曇り雲があってスッキリしない、そんな長いようで短い一日だった。
とにかく おやすみなさい☆
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