73 陰謀が動く

「王宮の騎士たちがヨーク家の屋敷を囲んでいますっ!!」



 執事のジョンソンの切羽詰まった声様子に、穏やかだった部屋がぴんと張り詰めた空気に変化する。

 わたくしたちは、少しのあいだ困惑して顔を見合わせていた。


「……本当のようだな」


 ハリー殿下が窓の外を見た。わたくしも慌ててベッドから起き上がって、窓へ駆け寄る。

 二階からは外の様子がよく見えた。騎士たちは一定間隔でヨーク家の門の側に屹立していたのだ。とても剣呑な雰囲気で、まるでこれから厳しい戦が始まろうとしているかのようだった。


「なぜ、彼らが?」と、お兄様がジョンソンに尋ねる。


 彼は困ったように眉根を下げて、


「それが、アルバートお坊ちゃまを出せとしか……」


 力なく首を横に振った。


「僕に用事があるのなら行くしかないか」と、お兄様は軽くため息をつく。


「僕も同行しよう。なにやら危うい予感がする」とハリー殿下。


「まさか……第一王子が?」と、わたくしは首を傾げる。


 たしか前の人生では、第一王子がヨーク家の犯罪を捏造して全員を断頭台送りにした。

 でも、今回は前とは事情が異なるようだし、第一王子自らわたくしと婚約する意思を見せたのだし……。


「いや、それはないと思うが……。兄上にとって、メリットがなにもない」


「そう……ですわよね。でしたら、なぜ……」


「とにかく、彼らに話を聞いてみるよ」


 お兄様がおもむろに歩き出した折も折、


「アルバート・ヨーク公爵令息! 貴殿を王宮へ連行するっ!!」


 ドン――と、破壊するかのように激しく音を立てて部屋の扉が開いて、近衛騎士団長が入って来た。彼に続いて、騎士たちがどたどたと雪崩れ込む。

 そして忽ちお兄様を拘束した。


「おいっ! これは一体どういうことだっ!」


 ハリー殿下が大声で抗議をする。


「どうもこうも、王命ですから」と、騎士団長は険しい表情を崩さずに冷然と言い放った。


「父上が!?」


 騎士団長は肯定するように懐から書状を取り出した。

 わたくしたちは揃って目を剥く。そこには国王陛下の署名が確かにに書かれてあったのだ。


「こちらは……?」


 くらくらと目眩がした。お兄様の名前と、国王陛下の署名。

 二つの関連性が見当たらなくて……でも、こうやって近衛騎士団が大きく動くことは――、


 お兄様の犯罪を意味している!


「……仮に公爵令息を王宮へ連行するとしても、当主であるヨーク公爵の許可と同行が必要だ。それまでは貴族子女に手を出すことは許されていない」と、ハリー殿下が騎士団長をきつく睨み付けた。


「あぁ、それは問題ありません。此度の件は急を要しますので、国王陛下が特別に許可を出されました」と、彼は涼しい顔をして王子をあしらった。


 お父様とお母様は、領地で問題が起こったので今はこの場にいない。

 だから、通常ならば両親が王都へ戻るするまでは、部屋に軟禁で済むはずだった。騎士位が高位貴族の子女をどうこうするなんて許されないのだ。


「だったら、理由くらいは――」


「騎士団長! ありました! 中庭の温室に毒草の株がっ!」


 そのとき、若い騎士たちが慌ただしく部屋に入って来た。

 彼らの両手には植木鉢が抱えられていた。


「あれは……!」


 矢庭にお兄様の顔が強張る。ハリー殿下も苦虫を噛み潰したような顔をしていた。わたくしもすぐに理解した。

 次の瞬間、不安が大波のように胸に押し寄せて来る。


 これは……前回の人生で起こったことと同じじゃない!


 騎士たちが持っている鉢に、は第一王子がお兄様に解析を頼んだあの毒草が植えられていたのだ。

 まだ未解明の部分も多く、グレトラント国では禁止されている。扱いが許可されているのは、国による限られた研究機関だけだ。


 前回の人生では、お兄様はこの毒草から毒薬を生成して王太子を暗殺しようとした……と、処刑されたのだった。


 騎士団長はにやりと笑って、


「殿下、説明は不要ですな。――お前たち、公爵令息を王宮へ連行するように」


 それからは早かった。お兄様を連れた彼らは波が引くようにヨーク邸から去り、わたくしとハリー殿下だけがやりきれない気持ちと共に残されたのだった。


 さっきとは打って変わって静まり返った屋敷に、わたくしの心も深く沈んでいく。強く握った殿下の温かい手が、唯一わたくしの消えそうな意識を繋ぎ止めていた。


 言葉が、出ない。

 悲しみと悔しさがじわじわと胸に滲んで、罪悪感でどうかなりそうだった。


 お兄様が捕らえられたのは……わたくしのせいだ。わたくしが毒にやられて正常な判断ができなくなって、それを解毒するために、お兄様は再びあの毒草を手に取ったのだ。


「わたくしが……しっかりしていれば、お兄様は……。わたくしのせいで……」


 ついに我慢していた涙が溢れ出てしまった。冷たい雫が、堰を切ったように悲しく流れていく。


「ロッティー、泣かないで」


 ハリー殿下が背後からわたくしの身体をふわりと包み込む。冷えた皮膚がたちまち温まるが、へばりついた悲しみは拭えなかった。涙はまだ流れ続ける。


「で、ですが……わたくしのせいなのに…………」


「ロッティーのせいじゃないよ」


「でも――」


「僕は、これは仕組まれたものだと思っている」


「え……?」


 意外な言葉にぎょっとして、振り返って殿下を仰ぎ見た。


「どういう、ことですの?」


「タイミングが良すぎると思うんだ。ヨーク公爵夫妻が領地へ戻っているときに君の毒薬騒ぎに、今日の騎士団の突入……。これらは全て繋がっていて、裏で誰かが糸を引いているのは明らかだ」


「だ……第一王子……でしょうか……?」


「う~ん……どう考えてもそれはあり得ないと思うんだよなぁ」


「モーガン男爵令嬢と水面下で繋がっているとも考えられますわ」


 男爵令嬢は、王宮の地下牢から逃げ出したと聞いている。あんな厳重な警備をくぐり抜けるなんて、権力者である第一王子の手を借りないと不可能だわ。


「いやぁ~、前の記憶を持っている兄上なら今回はもっと上手くやれるはずだと思う。君のことも憎悪していないようだし、こんなまどろっこしいことはしないよ。……多分。あんな性格だけど」


「では、どなたが……?」


「アーサー・ドゥ・ルイス」


 にわかに、ハリー殿下をまとう空気が冷ややかになった。


「まさか……」


 いつの間にか涙は止まって、今度はねっとりとした汗が皮膚を伝った。


 アーサー様は、前回の人生では厄介者になっていたわたくしにも親切にしてくださって、今回も困っているときに助けていただいたり、家門もヨーク家とはライバル関係にあるけど、あからさまに敵愾心を燃やしているわけでは……。


 でも……アーサー様はわたくしに毒草を…………。



「君には言っていなかったけど、僕は前の人生で、君が処刑された少しあとに殺されたんだ」


「えっ……!?」


 わたくしは目を剥いて硬直した。動揺して鼓動が早くなる。

 てっきり、ハリー殿下は幸せに暮らしたのだと思っていたわ。

 だって、わたくしがいなくなることで第一王子も男爵令嬢と結ばれて安泰で、野心のない第二王子である彼は後継者争いなど関係のない世界で悠々自適に生活していたと……。


 ハリー殿下は苦笑いをして、


「部屋に暗殺者たちが侵入してきてね。あっという間だったよ」


「そんな……」


「そして、父上と母上も死んでいる」


「っ……!」


 思わず息を呑む。心臓が止まるかと思った。

 わたくしが処刑されたあとに、そんな不幸が起きていただなんて……!


「最初は僕も兄上の仕業かと思っていたんだ。ほら、あの頃の兄上は人が変わったように、どこかおかしくなっていただろう? 男爵令嬢との結婚を父上たちから反対されて、彼女を王妃に据えたいがために謀反を起こしたのかな、って。――でも、それは見当違いだったのだろう」


「……アーサー様、ですか?」


 殿下は深く頷く。


「あぁ。彼は、前回も今回も、本気で王位を狙っているということだよ」


「…………」


「僕たちは敵を見誤っていた。本当の敵は兄上じゃなくて、アーサー・ドゥ・ルイス公爵令息だ」


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