52 第一王子の独白①
ロージーのことは、本気で愛していた。
彼女と初めて出会ったのは、王立学園に入学した日だ。
慌てた様子で出し抜けにぶつかって来て、可愛らしく謝罪をするその可憐な姿に俺は心を奪われた。
小柄な体躯に小動物のような薄茶色のつぶらな瞳、明るい栗色のふんわりと柔らかい髪からは微かに柑橘類のような香りがして、ただ彼女の隣にいるだけで癒やされるような不思議な感覚になった。
見せびらかすような派手な薔薇の香水を纏って、刺々しい雰囲気を持つシャーロットとは大違いで、初めての感情の揺さぶりに、俺は少し戸惑った。
シャーロットというのは俺の婚約者だが……まぁ、今はこの女のことはどうでもいい。とにかく俺は、ロージーのことをもっと知りたいと思ったのだ。
俺たちは運命の糸を両端から手繰るように、どんどん距離が近付いていった。
彼女の貴族令嬢らしくない無邪気な振る舞いが新鮮で、どんなに見ていても飽きることはなかった。むしろ、もっともっと彼女の側にいて見ていたいとさえ思ったのだ。
彼女と一緒にいると王宮での堅苦しい生活を忘れることができた。
男爵令嬢である彼女は自分の知らない平民の日常を多く知っていて、彼女に手を取られるままに入り込んだ未知の世界に俺は心躍った。
いつの間にか、平民の恰好をしてお忍びで王都で遊ぶことが俺たちの日課になった。
そこには王宮に根っこのように蔓延ってある権威や形式や腹の探り合いなどは皆無で、「第一王子」ではなく「エドワード」として、俺は初めて世界に「存在」している気がしたんだ。
ロージーは腐った世界の底を泳ぐ俺を引き上げてくれた「女神」だった。
俺が彼女に溺れるのに時間はかからなかった。
しばらくしてから、妙な噂を聞いた。
それは俺の婚約者のシャーロットが彼女に対して執拗に嫌がらせをしている、という聞き捨てならない話だった。
シャーロット・ヨークは公爵家の令嬢で、俺が12歳のときに国王である父上が決めた婚約者だった。
ヨーク公爵家はグレトラント国でも一、二を争う名門貴族で、血筋で言えば現王家より上とまで謳われている家門だ。
現グレトラント王家は先々代で平民の血が混入していて、王弟派と呼ばれる一部貴族たちからは蔑みの対象だった。
幼い頃に弟のヘンリーが「なんで同じ人間なのに平民の血ってだけでバカにされないといけないの?」と、号泣していたのが強く印象に残っている。あのときは咽び泣く弟を慰めることしかできなくて、酷く腹が立ったのを覚えている。
だから父上は血筋の良いヨーク公爵家の娘を俺と婚姻させて、王弟派たちを黙らせようと計画していたのだ。
あの女の印象は初対面のときから最悪だった。
顔は良いが……それだけだ。あの女は全身に流れる血の一滴までプライドが詰まっているような人間で、自身の身分を鼻にかけて常に他者を見下していた。
おぞましい。醜い。不愉快だ。……あの女にはそんな感情しか湧かなかった。
俺たちを苦しめる「平民の血」という呪い。それを刺激するようなあの女の言動が心底憎かった。当たり前のように俺の隣に立とうとするあの女が俺は大嫌いだった。
あの女には何度かロージーへの嫌がらせを止めるように注意したが、全く聞く耳を持たなかった。それどころか、あの女は「身分はしっかり区別しろ」「第一王子という立場を忘れるな」などと、王子であるこの俺に説教をしてきたのだ。
腸が煮えくり返る思いだった。
血が人間の価値を決めるなんて馬鹿げている。
家門が上だからって、だから一体なんなんだ。人間としての「格」も上だと言うのか。
……だが、俺自身も「王子」という立場を甘受しているのも事実だ。身分を否定しているのに、自身が身分を一番利用している。その馬鹿げた矛盾に酷く煩悶した。
俺の艱苦をロージーに打ち明けると、彼女は全てを受け入れてくれた。
こんな情けない姿を見せても彼女は優しく包み込んでくれて、胸をえぐるような苦しみが徐々に消えていくような感覚だった。
自分のことをこんなにも理解してくれる人がいる。自分の全てを曝け出しても受け止めてくれる人がいる。
嬉しくてたまらなくて、彼女との運命の出会いを何度も神に感謝した。
そして、彼女から「第一王子ではなくエドワード様として正しいと思う道を生きればいい」と言われたとき、俺を縛り付けているなにかがふつりと切れて、晴れやかな気分になったのだ。
そのときに、俺は決意した。
俺の伴侶はロージーだ。彼女こそが次代の王妃に相応しい。
未来のグレトラント王国の国母となる女性は、ロージーのように優しくて、身分や古い慣習に囚われない革新的な思想を持っている令嬢がいい。
それから、俺は動き出した。
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