50 過去の記憶
「えっ……?」
アーサー様の予想外の驚くべき発言にわたくしは目を見張った。
「今……なんて……?」
彼も驚いた様相でわたくしを見つめる。胸に早鐘が鳴って、思わず呼吸を忘れてしまった。
しばらく無言で互いを見つめ合う。
ややあって、彼のほうから口火を切った。
「やっぱり……そうなのか?」
「まさか、あなたも……?」と、おそるおそる尋ねると彼はゆっくりと頷いた。
「おかしいと思っていたんだ。あんなに第一王子に恋慕の情を寄せていた君が今回は婚約を回避しようとしているなんて。それに、先日のパーティーでの婚約発表も第一王子と示し合わせていた訳ではないのだろう?」
「そう……なんですっ……わたくしは…………」
わたくしの瞳にじわりと涙が浮かび上がった。
新たに過去の記憶を共有する仲間が現れて、なんだか気が楽になった感じだった。
前回の人生の記憶を持っているのはわたくしと王子二人だけだと思っていて、一人は仇敵の第一王子だし……唯一気心の知れた味方のハリー殿下にはもうおいそれと近付けないし、わたくしの張り詰めた緊張の糸はいつ切れてもおかしくなかったのだ。
だから、前の記憶を持つ新たな人物の登場は、わたくしに急速に安心感を与えてくれたのだった。
「辛かったね」
アーサー様はそっとハンカチを出してくれる。仄かに柑橘類の心落ち着くようないい香りがした。
わたくしはそれを有り難く受け取って、目尻に光るものを軽く押さえた。
「ありがとうございます……。わたくし、同じ記憶持ちの方で、もう気軽に相談できる方がいなくなってしまって……」
「前回の記憶を保持している者が他にもいるのか?」と、彼は微かに目を見開いた。
「えぇ……」
わたくしはドロドロと心の中に沈殿している黒い感情を吐き出すように、彼にこれまでのことを洗いざらい告白をした。
第一王子に処刑されて気が付いたら12歳に戻っていたこと、ハリー殿下も記憶を持っていて今は協力関係にあること、今回はアルバートお兄様やダイアナ様にも秘密を打ち明けていること……そして、第一王子も記憶を持っていてなにやら良からぬことを企んでいる様子だということを…………。
アーサー様はわたくしの感情の波に任せたまとまりのない話を、時おり相槌を打ちながら辛抱強く聞いてくれた。
そして一通り話したあと、
「もう一人で無理をしなくていいんだよ」と、優しく微笑んでくれた。
わたくしは彼の柔らかい笑顔に安堵して、なんだか全身の力が抜けてしまった。奥に溜まっていた負の感情を放出して、少しはすっきりして気が晴れた。
「済まなかった」
矢庭に彼が頭を下げた。
「なっ……なぜアーサー様が頭を下げるのですか!? どうか顔を上げてください!」
「私は前回も今回も君を守ることができなかった……忸怩たる思いでいっぱいだ」
「そんなっ……アーサー様のせいではありませんわ! わたくし自身にも問題があったのです!」
「しかし、君を助ける機会はいくらでもあったのに、私は全てを無駄にしてしまった。処刑の日も私がその場にいれば……」
彼の声は微かに震えていた。本気で心配をしてくださるその姿に、胸を打った。
わたくしはふっと笑顔を見せて、
「どうかご自分を責めないでくださいまし。本当にあなたのせいではありませんから。お心遣いありがとうございます。とても嬉しく思いますわ」
「君は本当に優しいんだね」
「そんなことはありませんけど……」
「いや、気を遣ってくれてありがとう。……しかし、二度目の人生では早く動いて君を救いたかったのだが、どうやら徒労に終わったみたいだね」と、彼は肩をすくめる。
「早く動いて……? ま、まさか……!」
わたくしはドキリとして目を見張った。
今回の人生ではドゥ・ルイス家は前回にはなかった縁談を持ち掛けてきた。お父様は王弟派が王位簒奪のための計略の一つでヨーク家と縁続きになりたいだけだろう、って一蹴していたけど…………本当は、わたくしのために?
「で、では……わたくしとの婚約の話は……?」
アーサー様は照れたように軽く頬を掻いた。
「……まぁ、あれだ。入学前に私との婚約が決定したら、第一王子とも男爵令嬢ともかかずらうことなく平穏無事な一生が送れるだろうと思って」
「っっ…………!」
わたくしは感激して打ち震えた。じわじわと再び双眸が湿ってくる。
まさか……彼がそのようなことを考えていただなんて。わたくしのために影で密かに動いてくれていただなんて。
わたくしの協力者はこんな意外なところにもいらしたのね……!
「で、ですが……仮にヨーク家と婚約したとして、アーサー様はそれで宜しかったのですか? もし前回の人生の罪滅ぼしなんてお考えでしたら……わたくしのことはお気になさらずに、どうぞ心から愛する令嬢と婚姻なさってくださいませ」
アーサー様の人生は彼自身のものだ。わたくしのために彼の尊い一生を犠牲にして欲しくないわ。
「私としても君を妻に迎えられたら、これほど喜ばしいことはないのだけれど?」と、彼はニッといたずらっぽく笑った。
「えっ……えっ……!?」
予想外の彼の言葉にわたくしは顔を上気させながら、素っ頓狂な声を上げた。
と……突然そんなことを言われても困るわ……。
「そのっ、わ、わたくしには、お慕い申している殿方が…………」と、わたくしは蚊の鳴くような声でしどろもどろに答えた。
「それって第二王子?」
「えぇっ……は、はい…………っ!」
顔が更に熱くなった。
どうしましょう。彼には全てを見透かされているみたい。動揺が隠せないわ。さっきからもうずっと心臓の音が体中に鳴り響いていた。
アーサー様は急に黙り込んで、なにやら考えている素振りを見せた。
「あの、アーサー様?」
わたくしが声を掛けても気付かない様子で、ずっと思案顔をしている。
「いかがされました?」
何度目かの問いかけで彼はやっと正気に返ったようだった。
「あぁ、済まない。その……このような話をあまりしたくはないのだが…………」
わたくしは首を傾げる。彼の不穏な様子になんだか嫌な予感がして、ぶるりと悪寒が走った。
アーサー様は少し戸惑った様子で遠慮がちにこちらを見て言った。
「その……私の記憶が正しければ……第二王子は……第一王子側に与していたと思うのだが…………」
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